終、祷祀の果てに

 外の世界からはどれだけ荒唐無稽こうとうむけいに見えても、当人にとっては、それが真実でありことわりである。信仰とはそういうものだ。

 夜更けに、絹を裂くような悲鳴で目が覚める。枕元にある眼鏡を掛けたところで、間借りしている家の婦人が慌ただしくやってきた。母屋おもやからこの離れまで駆けてきたのだろうか、ひたいには玉のような汗がにじんでいる。だがその顔に浮かぶのは疲労だけではない。焦燥、恐怖、絶望。

「先生、逃げ――」

 言葉の途中で倒れ込む。確かめると、苦悶くもんの表情のまま事切れていた。

 外に出てみれば、月明かりの元で、怯え逃げ惑う村人たちの輪郭だけがうごめいている。しかし、信仰していない私には、村人が恐れおののいているその対象を見ることが出来ない。

 ただ声だけが聞こえる。願い、拝み、祈り、謝り、怒り、恐れ、う。ある者は姉に許しを願い、ある者は神の鉄槌をおそれ拝み、ある者は想い人への愛念を祈り、またある者は……と、その狂乱的な音を挙げていけば枚挙にいとまがない。それぞれが、信ずる何かに向き合っているのであろう。

 人が何かを信じるとき、その胸中に存在するのは神か仏か。それとも己が心をむしばむ後悔と、黄泉からの使者に対する恐怖か。あるいは、それらがぜになった形容しがたい何かか。

 およそ怪異や妖怪などと呼ばれるものは、未知未踏を恐れる心から生まれるものであろう。暗闇を恐れるあまり、その暗闇に何かおぞましい存在がいるような気がしてしまうのだ。あるいは、その恐怖心が、本当に怪異を生み出してしまうこともあるだろうか。

 村人たちは相も変わらず闇に対して弁明を続けている。錯乱の最中さなか、私が傍を通ろうとも気にする様子は無い。その視界に納まっているのは、おそらく各々の真実だけだ。

「お姉ちゃんごめんなさいごめんなさいごめんなさい許して」

「こわいよたすけて」

「あれは事故だったんだ俺は悪くないお前も笑ってただろ」

「いったい何が起きているの」

「どうかどうか返してください返して返して返して返して」

「痛い離して痛い痛い痛い」

 暗闇から生まれでてしまったものが、本当に村人たちを襲っているのか。はたまた恐怖心が見せた幻覚とその伝播でんぱか。幾許いくばくかは、ただならぬ様相にてられた者もいるであろう。暗がりは悲鳴と疑心暗鬼に満ちている。強い思い込みというのは時に人をも殺すというから、全くもって笑えない。

 事の真相は非常に気になるが、ここは退散するとしよう。触らぬ神に祟りなし、奇怪な事件には関わらぬが吉。こうして、私は集落を後にした。



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祷祀の果てに 十余一 @0hm1t0y01

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