三、老爺は祈る
広い庭園の隅に
見慣れたその光景を前に合掌し、祈りを捧げる。どうか、返してください。僕の元に返してください。
どれだけ祈っていただろう。顔を上げると同時に、後ろから声を掛けられる。
「こんにちは」
「ああ、先生かい」
今時珍しい古風な恰好をした若人だ。取材をするために、この村に滞在しているという。僕が「今日は何を聞きにきたんだい」と問うと、「よろしいのですか」と眼鏡の奥にある柔和な目が、嬉しそうに細められた。
「では、その
「これは、オコジンサマを祀っているんだ。狐の神と書いて
「……取材ついでに、この老いぼれの話を聞いてくれるかい」
「ええ、是非ともお聞かせ願いたいです」
先生はまた、人が
村の者にはとうてい話すことなど出来ない。しかし墓場まで持っていくには、膨れすぎている心中だ。
「僕には、昔、将来を誓い合った人が居たんだ。もうずっと、何十年も前の話なのだけれどね」
菜の花のように可愛らしい笑顔と、その頬にある
「けれども、時代の流れは残酷だった。わかるだろう。僕は出征することになり、二人は離れ離れになる。それでも、あの人は待っていてくれると言ったんだ」
栗色の目をじっと見つめて約束したあの日、僕は何が何でも生き残って、あの人の元に帰ろうと誓った。昨日まで共に戦っていた
「しかし、帰ってきた僕を迎えたあの人は、変わり果てていた。僕が居ないうちに、隣村の医者との縁談話が持ち上がったらしい。その頃を境に、
なんと、いじらしいことだろう! 健気で
「フリがいつしか
歴史ある
「その後、あの人は
「
「おじいちゃん! やっぱりここにいた~。先生も来てたんですね、こんにちは」
語り終えると同時に、
「今日も御狐神様に祈ってたのね。先生、聞いてくださいよ。うちはこうしておじいちゃんが祈ってくれるおかげで毎年豊作なんですよ~」
僕は曖昧な返事を絞り出すことしか出来なかった。本当は豊穣なんて祈ってなどいない。ただ自分の、エゴによる祈りだ。家族に対する不義理と偽り、そしてあの人を見捨てたくせに呼び戻そうとしている身勝手さに
曾孫は先生を「上がっていきませんか。お茶しましょうよ」と誘ったが、断られたようだ。
「私はこれで失礼します。有意義な時間を過ごせましたよ。ありがとうございました」
若人は、口元に笑みをたたえ去っていった。
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