偽りの真実

帆尊歩

第1話  偽りの真実


会議室には三十四人の役員が座っていた。

そのうちの一人は私の父だ。

「会長、圭子です」私は一番奥に座る老人に言う。

ドアーを入ってすぐなので随分距離がある。

「会長なんて呼ばないでくれ」

「いえ、でもここでは。ホールディングスの役員会議室なので」

「かまわん」

「おじいさま」

「圭子、もっと良く顔をみせておくれ。さあこっちへ」

「はい、おじいさま」そう言って私は、役員たちの後ろを通って一番前に向かった。

「すまなかった。苦労を掛けたな」

「いえ。そんな事はありません。私は様々な人に助けられてきました。決して辛いことばかりではなく、人の優しさにふれて、多くの人に助けられて今があります」

「うん」と私のおじいさんと言われる人は、大きくうなずいた。

「みんな。浩一郎の一人娘、圭子だ。私は私の直系のこの娘に、この会社を継がせる。

そのつもりで、よろしく頼む」父を含めて全員が頭を下げた。

そして私は三十五番目の役員として、末席に座らされた。


芳三(よしみつ)ホールディングスは、新興財閥ながら百五十の企業の持株会社だった。

もっとも百五十とはいえ大半は分社化したり、部署一つを法人化したようなもので、基本は十七社だった。

とはいえ、その十七社はどれも一部上場の大企業で、それ自体がグループを形成する。

企業グループとしては中堅ながら、それなりの存在感があった。

特質するべきは、この規模でありながら同族企業と言うことだった。

だからここにいる役員は、その十七の会社の社長と、それに準ずる企業の社長たちだった。そしてその三十五人が、芳三ホールディングスの役員であり、正社員である。

全員どこかの社長なのだ。

事務方も相当数いるが、全員どこかに企業から来ている人達で、芳三ホールディングスとしての正社員は、ここにいる私を含めた三十五人しかいない。

三十五人の社員のうち、十七人が親族だ。つまり基幹十七の会社の社長は全員同族で、それ以外の有力な企業の社長が同族ではない人達という事になる。

ちなみに、私の父は芳三システム開発の社長をしている。

親族ではないので、芳三システム開発は、基幹十七社には入って居ないが、基幹会社以外の会社としては最大規模の会社と言っていい。

そこで私は、経営企画部の企画部長補佐をしていた。

まあ二十五歳でそのポジションは、社長の娘という七光りで得られたポジションだけれど。私は自分で言うのも何だけれど優秀な社員として、会社に貢献していたと思っていた。

そんな私を、父がキャンプに誘った。

二人きりのキャンプなど、この歳になれば、本来は断るものだけれど、父の思い詰めた表情から何かあると思い、ついてきてやった。

そこで今回の計画を聞かされた。

どうも人に聞かれたくない事らしく、こんなキャンプなんて手の込んだことをしている。


芳三会長には後継者と心に決めていた長男、浩一郎さんが居た。

浩一郎さんは一人の女性に恋をした。

ところが、誰とも分からない女性との結婚を、芳三会長は決して許さず、愛に生きようとした浩一郎さんは全てを捨てて、芳三を飛び出した。

ちなみに私の父はその時の浩一郎さんの右腕で、芳三の親族ではなかったけれど、かなり近しい存在だった。

それから二十五年、風の噂で浩一郎さんに娘が生まれたとのことだったが、すでに家を出ていたので、会長は何のアクションも起こさなかった。

ところが、ここに来て芳三会長の体に異変が起こった。

早急に後継者を選定しなければならない。

気弱になった芳三会長はもう一度、長男の浩一郎さんを後継者にしょうと考えた。

この際、勘当したことも、自分の意に介さない女性と結婚をしたことも、水に流そうと考えて浩一郎さんを探させたが、浩一郎さんは十年前に、交通事故で亡くなっていた。

そこで芳三会長は、その娘さんを後継者に指名した。

ところがこれに大反対したのが、基幹十七社の社長たちだった。

同族なので、当然自分たちの誰かが跡を継げると思って、互いに牽制し合っていたものが、いきなり、眼中になかった浩一郎さんの娘というダークホースが現れた訳である。


そこでキャンプ場での父の話である。

「娘さんなんて、存在しないんだ」

「えっ」

「浩一郎さんが亡くなったときに、道代さんが見栄で言っていた娘がと言う話が一人歩きした。でもこれはチャンスだ」道代さんというのは、浩一郎さんの駆け落ち相手らしい。

「何が」

「お前がその娘になれ」

「はあ」

「誰も娘さんを見た者は居ない。だからおまえが芳三をぶんどってくれ」

「いや、いや、お父様。気は確か」

「確かだよ。お前あんな娘婿だと言うだけの奴らに、芳三を任せることが出来るのか」

「分かるけど。だからって」

「あんな奴らに芳三は渡せない」

「お父様にとって、芳三が命の次に大事なのは分かるけど。乗っ取るのとは違うでしょう」

「お父さんはあんな、無能な、ただ親族だと言うだけで役員に収まっているような奴らに芳三を任せられない、そんな事をしたら芳三は倒産するぞ」

「だからって」

「頼む。お前だけが頼りなんだ」


こうして私は居ないはずの直系後継者。

芳三圭子を演じることとなった。

圭子というのは私の名前だ、存在しない人なので名前なんて無い。

だから私の本当の名前で良いとのこと。


それから私は、基幹十七社を順番に回ることになった。

研修である。

芳三を率いるために、芳三とはどういう会社なのかを研修して行く。

まずは芳三銀行、頭取は浩一郎さんの一番上のお姉さんの旦那さん昭久さん。

浩一郎さんの上にはお姉さんが四人いて、浩一郎さんは待望の男子だった。

四人のお姉さんには旦那さんがいて、それぞれが基幹会社の社長をしている。

さらに浩一郎さんには弟と妹がいて、その人達もそれぞれ社長をしている。

長女に婿、実の弟、妹と誰もが芳三は自分が継ぐ、誰にも渡さないと言う、バチバチの中に私は放り込まれた。

父は、それらをかわす方法として、何も考えていない、おバカな娘を演じろとこれまた難しいことを要求してくる。


さて研修がうまくいくのか、何らかの妨害や、いじめがあるかもしれない。

それはそうだ。

十七人で次期会長を狙っていたのに、いきなり十八番目に継がせると言われたんだ。

ところが、私が何も考えていない、おバカな二十五歳を演じたのが良かったのか、いたってフレンドリーな、非常に良い状態で研修が進む、特に次期会長に一番近いとされていた、芳三銀行の頭取の昭久さんは、気さくに私に話しかけてきた。

父からは嫌がらせのつもりで、いろいろと研修させてくれなかったり、情報を隠されたりするのではと言われていたけれど、そういうこともなかった。

逆にフレンドリー過ぎることに父は怪しんだ。

もしかしたら油断をさせて、化けの皮を剥がそうと言う魂胆かもしれない。

十分にきをつけるように言い含められた。

さらになんか不正を働いていないか、探れと言出した。

うちの親は鬼か、


そして一年の研修が終わるころになると、私は芳三の企業としての特質や、弱み、強みなどかなり深い部分まで把握することに成功、本当に会長が出来るような気になっていた。

そして芳三ホールディングス取締会において、私を時期会長にするという決定がなされることとなった。

その時芳三銀行の頭取の昭久さんが席を立った。

「会長。一つよろしいでしょうか」

「何だね」

「我々役員一同は会長の部下です。ですから、会長のご決断に意義を唱える者ではありません。会長のご決断は何よりも優先される物です。ですから会長が浩一郎さんの遺児である圭子さんを後継者に、ということも支持させていただきます。これは我々役員一同の総意に他なりません」

「うん、ありがとう。ではみんなそれでいいのかな?」その芳三会長の言葉に全員が大きく頷いた。

「ありがとう。では、この圭子を私の後継者とすることでいいな」

「もちろんでございます。ただ」と昭久さんが言う。

「ただ?」

「その方が、本当に浩一郎さんの娘さんであればの話です」やばい、と私は思った。

バレたか、いや初めからバレていた?

だからあんなにフレンドリーだったと言うことか。

私はばかだ、自分のおバカ演技がうまくいっていると思っていた。

でも裏でいろいろ調べられていたということか。

それはそうか。本来なら自分の狙っている地位に就こうとする者がいれば、いい気はしない。なのにあのフレンドリーの対応。

つまりこれは初めから分かっていて、この局面でひっくりかえすために、みんな私を油断させるためにフレンドリーだったというわけか、私は父の顔を見つめた。

「会長、浩一郎さんには圭子さんという娘さんの出生届を出したという記録はあります。でもその後抹消されている。そしてその圭子という娘さんの痕跡がいっさいない。これは何らかの意図かミスで出されたもので、実は存在しない。そもそもそちらのお嬢さんは、芳三システム開発の社長令嬢で同社経営企画部に在籍していました。

少なくとも圭子さんではない」

「そうですよね」と昭久さんは父をにらみつけた。

父は黙ったまま何も言わない。

「まあだからこそ、優秀だったんだとは思いますが。残念です。もし本物なら、さぞ芳三を盛り上げてくれたことでしょう」優秀だと、褒めてくれるのは嬉しいが、私のおバカ演技は全く効果がなかったということか。

「昭久。ではこの圭子の能力は認めるんだな」と芳三会長は静かに言った。

「はい」

「他の役員の皆さんは?」と今度は全員に尋ねた。

「認めます」父を含めて、全員が声を揃える。

「そうか、では」と言って会長は父を見た。

あたしはやっぱり無理だよ。

嘘はバレるんだと思った。

父は会長の横に立つと一枚の紙を出した。

「こちらをご覧ください。浩一郎さんと圭子さんのDNA鑑定の結果です」

「そんなもの、信じられるか。そもそもその娘はあんたの娘だろう。あろうことか自分の娘を浩一郎さんの娘に仕立てるなんて、乱暴も良いところだ」と昭久さんが叫ぶ。

そのとおりだ、お父様、もうだめだ、二人で謝ろう、と私は思った。

「皆さん浩一郎さんの顔お忘れですか」と言うと、どこに隠していたのか分からないくらい大きなパネルを出してきた。

そこには私そっくりの顔が出ていた。

「さあ。圭子さんこちらへ」言われるままに私は前にでる。

「そもそもDNA鑑定なんてしなくても。そっくりですよね」えっ。えっどういうこと。あたしはあなたの娘でしょうと言う目で父を見る。

でもみんな私とパネルを見比べる。どう見てももそっくり、親子だ。

「どういうことだ」

「浩一郎さんは、圭子さんが生まれたはいいが、芳三からの干渉を恐れて、せっかく出した出生届なのに、圭子さんを幼女に出した。ちなみに私の所にね。まあ養子縁組の痕跡をどう消したのは、私にも分からないですがね」

「私から話そう」と会長。

「お義父さんはご存じだったと言うことですか」昭久さんは会長と言うのを忘れて、お義父さんと言ってしまった。

「私が圭子の存在を知ったのは、一昨年のことだ。私も健康不安があったから、そろそろ世代交代を考えていた。でも若返りも必要だからお前たち社長たちでは世代交代にはならない。でも、いきなり言ってもみんな納得しないだろう。それに跡継ぎにさせるには、いろいろと教えなければならない。でもみんなだって良くは思っていないだろうから、きちんと教えてくれるかどうかも不安だった。そこで作戦を思いついた。

偽りの後継者と言えばみんな安心するだろうとね、いざとなれば化けの皮を剥げば良い」

「ちょっと待ってください」と私は叫んだ。

「どういうことですか」

「すまない圭子。君は僕の本当の娘ではない。浩一郎さんの娘さんなんだ。だから今回の偽りは、真実だったんだ」

「あっ、いや、えっ」私は混乱していた。

衝撃的なことを幾つもいっぺんに言われて、いったいどう反応して良いか分らない。

「それでは、芳三ホールディングス、社員であり役員の皆さん。芳三ホールディングス次期会長、芳三圭子さんをご紹介します。どうぞこちらへ」と私は父に促され、現会長の横に立った。

会長の孫という偽りは、真実だったと言うことか。

だったら、初めから教えておいてよと私は思った。

「では次期会長、芳三圭子さんより、一言ご挨拶をお願いします」と父が、いや父と思っていた人が言う。

仕方なく私はもう一度居住まいを正し三十四人のおじさんたちを見渡した。

「えー、ただいまご紹介いただきました芳三圭子でございます」この挨拶は、これから始まる重く険しい道のりのはじまりだった。

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