31 ー その後の話
――創立記念パーティーから数日経った、とある休日。ツェツィーリアは自分の勘違いに巻き込んでしまったソニア、エリオット、そしてキアランを屋敷に招き、改めて謝罪した。
「ま、雨降って地固まるってことで、良かったんじゃねーの」
謝罪に対し、スコーンを齧りながらさらっと言ってのけたのはキアラン。
「はい。私も父のことを知れてよかったです。ツェツィのおかげ」
愛らしく微笑み、「気にしないで」と肩にそっと手を置いてくれたのはソニア。
彼らの優しさがかえって今のツェツィーリアには辛かった。
「いっそひどくわたしを罵って下さい……そちらの方が気が楽です……」
がっくりと項垂れて素直な心情を吐露すると、大きな口を開けてスコーンを頬張ったキアランが胡乱な瞳を向けてくる。そしてしっかりと咀嚼した後、紅茶を飲んで喉を潤してから口を開いた。
「ツェツィがエリオットのわかりやすーい恋心に一向に気づかなかったのはどうかと思ったけどな」
若干刺々しい口調にツェツィーリアは肩を竦めつつキアランを見やる。
「そんな分かりやすかったですか……?」
分かりやすーい恋心、とキアランが称したエリオットの心をツェツィーリアは見抜けなかったのだ。様々な要因から目が濁っていたせいもあるだろうが、どうにも腑に落ちない。
キアランは二つ目のスコーンに手を伸ばしながらツェツィーリア――ではなく、その隣に気配を殺して座っていたエリオットに目をやる。
「こいつがどれだけグレーシェルの婿になるために努力してきたか、知ってるだろ」
エリオットの実父・ベルトラン辺境伯はグレーシェルの婿になる息子を厳しく躾けた。勉学や剣の鍛錬はもちろんのこと、立ち振る舞いからワルツの踊り方、果てはバイオリンの弾き方まで。最近ではその教育も落ち着きを見せていたが、ひどい時期は朝から晩まで入れ代わり立ち代わり家庭教師の先生がベルトラン伯爵家を訪ねていたものだ。
自由のない日々の中で、エリオットは確かに弱音を吐かなかった。ツェツィーリアが心配になってしまうぐらい真摯に取り組んでいて――しかしそれらの努力はすべて、ツェツィーリアのためではなく実家ベルトラン伯爵家のためだと思っていたのだ。実家にきせられた汚名をそそぐためだ、と。
ちらり、と隣のエリオットを見やる。彼は話題の中心になっているにもかかわらず瞼を伏せ、一言も発さず無表情で紅茶を口にしていた。
――相変わらず不愛想な婚約者を見ていると、先日の出来事は夢だったのではないかとツェツィーリアはにわかに不安になってきた。今は左手薬指に心地の良い冷たさを伝えてくれる指輪も、泡のように溶けてなくなってしまいそうだ。
そんなありえないことを考えてしまうぐらい、ツェツィーリアにとって先日のできごとは“ありえないこと”だった。
「好きな相手のためじゃなきゃあんなことできないって」
ツェツィーリアの不安を見越してか、キアランは念押しとばかりに言う。するとティーカップを持つエリオットの指先が震えた。
否定しない、ということはキアランの言葉は事実だと思っていいのだろうか。
じっとエリオットを見上げる。しかし彼は顔を隠すように緩慢な動きで紅茶を飲んでいて、深紅の瞳を覗き込むことはかなわなかった。
その様子を見守っていたソニアが、焦れたように口を開く。
「エリオット様は本当にツェツィのことを大切に思っていて、父のお墓を見つけたときも――」
「なぜ俺が辱めを受けている!」
とうとう耐えきれなくなったのかエリオットは勢いよく咆えた。その耳は赤く染まっており、“辱め”という単語を選んだことからも、彼が今まで羞恥に耐えていたのだということが窺える。
キアランは激高したエリオットに怯むことなくケラケラと笑った。
「えー? 事実を話してるだけだろ、な、ソニア嬢?」
はい、と可憐な笑顔で頷くソニアにエリオットは言葉に詰まったようだった。キアランの揶揄いを含んだ言葉より、ソニアの邪気を一切含まない心からの言葉の方が羞恥心を煽られるらしい。
抗議するように声を荒げたものの否定の言葉は口にしないあたり、キアランとソニアの言葉は事実なのだろう。そう考えるとツェツィーリアは途端に申し訳なく思えてきて、「エリオットも気づいてもらえなくて可哀そうになぁ」などという、普段であれば流せたはずのキアランの言葉を真正面から受け取ってしまった。
「あの、エリオット、本当にごめんなさい」
「謝るな! 謝られると余計惨めになるだろう!」
そう叫んだエリオットは耳どころか首まで真っ赤に染め上げている。
ツェツィーリアは自分の鈍感さを申し訳なく思うのと同時に、エリオットが諦めないでいてくれたことが何よりも嬉しかった。
しかしツェツィーリアの喜びをよそに、とうとう耐えきれなくなったのかエリオットは乱暴に椅子から立ち上がる。そして大股で窓――その先にあるバルコニーに向かって歩き出した。
「風にあたってくる!」
「あ、エリオット!」
ツェツィーリアは思わず婚約者の背を追ってバルコニーへ一緒に出る。
ついてきたツェツィーリアをちらりと一瞥すると、エリオットは距離を空けるように端へ身を寄せた。
「ついてくるな、またキアランに揶揄われる」
「もう、意地悪言わないで。ただ……ううん、なんでもないわ」
言いかけて、ツェツィーリアは口を噤んだ。今胸の内にあふれている喜びを素直に言えば、エリオットの機嫌を損ねてしまいかねないと思ってのことだった。
「なんだ。言いかけたなら最後まで言え」
「違うの、すごく自惚れたことを言ってしまいそうだったから……」
エリオットは何も言わずじっと見つめてくる。直接的な言葉にはしないものの、全身から発せられるプレッシャーに根負けしてツェツィーリアはおずおずと口を開いた。
「ありがとう。わたしを、諦めないでくれて」
見開かれた深紅の瞳と見つめ合うこと数秒、先に目を逸らしたのはエリオットの方だった。
赤い横顔を眺めながら、ツェツィーリアは自然と微笑んだ。
頬を撫でる風が気持ちいい。もしかすると自覚がないだけで、自分の頬も真っ赤になっているのかもしれない、とツェツィーリアは思った。
心地よい沈黙に浸ること十秒。
「……指輪をよくいじっているが、サイズが合わなかったか」
指摘されて、左手薬指の指輪を確かめるように触っていることに気が付いた。
隣のエリオットを見やれば、先ほどより若干赤みが落ち着いた顔でツェツィーリアの左手を見下ろしている。
指輪のサイズはピッタリだった。まるで最初から体の一部だったと錯覚してしまうぐらいに。ただ――
「ううん、ぴったりよ。ただ……未だに夢を見ているような気分なの」
プロポーズしてくれた本人を前に失礼な物言いだ。そう理解しつつも、ツェツィーリアは誤魔化すことなく本心を打ち明けた。
不意にふ、と顔に当たっていた日の光が遮られ、どうしたのかと顔を上げる。――瞬間、額に一瞬だけ触れた柔らかなぬくもり。
「――……これでもか」
ぬくもりの正体がエリオットの唇だと気が付くまで、十秒以上要した。
ツェツィーリアは離れていったぬくもりを確かめるように額に手をやる。するとエリオットは羞恥心に耐えきれなかったのか素早く背を向けた。
大きな背中を見つめながら、ツェツィーリアは呟く。
「……今ので余計に夢を見ているような気分になったわ」
「はぁ!?」
エリオットが勢いよく振り返った。
「だってあなた、こんなことするようなタイプじゃないじゃない! 急にキスなんて……!」
「俺だって反省したんだ! 貴様に勘違いさせたのは俺の態度のせいでもあるって、キアランが――」
そこではっと口を噤み、
「あぁ、クソッ」
悪態をつくと、エリオットは再びツェツィーリアに背中を向けた。
先ほどのキスは確かに“らしく”なかった。しかしだからこそ、エリオットが迷いやら羞恥心やら諸々を押し殺して、ツェツィーリアの不安を解消するために精一杯考えてくれた結果だと分かった。
それを“らしくない”などと一蹴してしまった自分に反省しつつ、エリオットにそっと近づいて、驚かせないようにゆっくりと身を寄せる。鍛えられた背中にそっと頬擦りすれば、一瞬彼の体は強張ったがすぐに力が抜けていった。
「きっとこれから色々大変だと思うわ。グレーシェルの悪評をあなたにも背負わせてしまうことになる」
創立記念パーティーでの公開プロポーズで一時の噂は身を潜めたが、グレーシェル伯爵家は依然嫌われ貴族のまま、そしてツェツィーリアも加護無し令嬢のままだ。いくらエリオットが望んでグレーシェルに婿入りしたと言っても、一部の人々から“尻拭い結婚”だと後ろ指を指され続けるだろうし、やがてはエリオットの評判まで影響してしまうかもしれない。
そうならないようツェツィーリアは努力するつもりだった。しかしいくら力を尽くしたところで、どうしようもできないことはこの世界に数多く存在する。
ふ、とエリオットの背中が離れていく。かと思うとエリオットはくるりと体を回転させて、真正面からツェツィーリアを見下ろした。
「言わせたい奴には言わせておけ。十年以上抱いてきたこの想いが、今更揺らぐことはない」
ふん、と自信満々に言い切るエリオットがおかしくて、それ以上にくすぐったかった。
ツェツィーリアは胸板に突進するように勢いよく抱き着く。
「どうかこれからもよろしくね、エリオット」
「もちろんだ、ツェツィ」
抱き返されたぬくもり。自分の名を呼ぶ柔らかな声。
これから先、何があろうとエリオットのことだけは信じていようとツェツィーリアは硬く心に誓った。
――それから数年後、とあるロマンス小説が世界中の少女たちの間で評判になる。伯爵令嬢である主人公と幼い頃からの婚約者であるヒーローが繰り広げる、もどかしくも甘酸っぱい恋物語だ。少女たちはすれ違う二人をもどかしく思い、当て馬であるとある少女にやきもきし、偉大な恋のキューピットである友人に拍手を送り、最後は二人の幸せを見届けて満たされた気持ちで本を閉じる。
閉じた本の表紙、美しいタイトルの下にはこう記されていた。――著者、ソニア・マルティン、と。
当て馬令嬢(自称)は婚約者の恋を応援中! 日峰 @s-harumine
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます