第18話

(一つ、聞いてもいいか)


「うん。なあに? 秀司くん」


 山本京子が帰った後の籠宮邸にて。

 夜更けに電子式暖炉の前で黒い鳥籠を膝にのせたまま、椅子に座る籠宮曜子は、鳥籠の中のいる金糸雀カナリアの心の声に耳を傾けていた。


(俺がこの鳥籠の外に出て人間に戻ったとしたら、君は俺と結婚してくれるだろうか)


 はじめから籠宮曜子の答えを知っているにも関わらず、佐々木はあえて意地の悪い質問を投げ掛ける。


「鳥籠から出ていく選択をした貴方は、もう私の愛した秀司くんじゃない。“永遠の自由”を渇望した貴方ではないもの。私が愛せるのは金糸雀カナリアだけなの。だから──」


(それ以上は言わなくていい。ありがとう。聞かせてくれて)


「いいえ。こちらこそ、ありがとう。いつも私の側にいてくれて──」


 籠宮曜子は鳥籠ごと佐々木を抱き締めてくる。佐々木もまた彼女への変わらぬ愛を表現する為に、金糸雀カナリアとして、囀ずり歌を歌う。


 ──佐々木秀司は結局のところ、現実の社会へと──青い鳥籠の世界へと、二度と戻らない選択をした。


 金糸雀カナリアとしての第二の生を受け入れた。自ら望んだ。満ち足りている。幸せだった。

 黒い鳥籠の中は狭かったが、決して窮屈でもない充分な広さだった。檻の中では自由に飛ぶことさえままならないし、金糸雀カナリアの体に慣れた訳ではない。

 けれど、鳥籠での生活は意外にも不自由を感じなかった。


 籠宮曜子のいう通り、この鳥籠が佐々木自身が生み出した物体だからかもしれない。

 落ち着くのだ。安心する。不自由を感じない。

 餌は籠宮家の執事を名乗る召使か、籠宮曜子が定期的に直接与えてくれる。金糸雀カナリアの同志たちとの井戸端会議も悪くない。それに、つい先日は籠宮曜子と一緒に映画鑑賞をした。


 チャップリンの『まち』というコメディ映画で、ラストシーンがとても印象的だった。

 チャップリンの最後の怪演に圧倒されたが、同時に籠宮曜子の素顔と少し似ているとも思った。


 佐々木が籠宮曜子の素顔を垣間見たのは、金糸雀カナリアになる少し前。誓いの言葉を口にした時に、月明かりに照らされた彼女の顔を見た時だけだった。その時の彼女の表情と、チャップリンの独特な表情が──酷似しているように感じたのだ。


 籠宮曜子は多くを語らない。己の心の在り方について。魔女として、人間を金糸雀カナリアに変えることに人生の意義を見出だしている彼女の心の奥底までは、佐々木にも読み取りきれない。


 魔女の心の全ては見透かせない。けれど、佐々木はそれでも良かった。むしろ籠宮曜子の心が見えないこの状況を心の底から楽しんでいた。


(君は魔女というよりやはり悪魔だな)

「なあに、突然」

(いや、何となくね)

「奥さんに気紛れでそんな酷いことを言うなんて、ひどいね」

(君は俺以外にもに旦那がいるだろ)

「秀司くんは私が貴方以外の金糸雀カナリアに構うのは嫌?」

(複雑ではある。でも、もう慣れたよ。だから、それでいい)

「そう、それは残念。ふふ」

(やっぱり曜子は悪魔だよ)

「変な秀司くん」


 佐々木は籠宮曜子と共に笑いあった。

 互いに気兼ねなく話し合える。人間として生きていた頃と違い、片意地を張らなくていいので、佐々木はすっかり傲慢さが無くなり、自然体でいられた。


 現代社会から落伍して金糸雀カナリアになった佐々木には最早、社会からの恩恵は存在していない。社会が補償する自由を手放した彼には本来自由は与えられることはあり得ない。


 けれど、籠宮曜子の側にいる限りにおいて、不自由なはずの鳥籠の中に自由が存在している。充実している。心は自由でいられる。二十年以上も片意地を張って走り続けてきた生き方が馬鹿らしいものに思えてならない。


 金糸雀カナリアになった佐々木の人生があとどれくらい続くのかは分からない。それでも、佐々木は満足していた。余命が少なくとも構わなかった。黒い鳥籠と籠宮曜子が与えてくれる不自由のない自由に、この上なく感謝をしていた。


 彼はようやく“永遠の自由”を手にいれたのだから──。


「ねえ、秀司くん。君はこの生き方で本当に良かったの。今日、京子さんが来てたよ。彼女と生きる未来も貴方にはある。これで本当に良かったと思っているの?」

(あれだけ俺に揺さぶりをかけておいて、よくそんなことが言えるよな)

「それで。君の答えは?」


(変わらないよ。俺はこの鳥籠の中で生きていく。君に見放されない限りはね)

「そう……」

(曜子……)

「なあに?」

(愛してる)

「うん。私も貴方を愛してる」


 籠宮曜子は愛おしそうに金糸雀カナリアになった佐々木秀司を、黒い鳥籠ごと膝の上で優しく抱き締めた。最愛の存在を、決して手放さない為に──。


 佐々木秀司は籠宮曜子を悪魔と呼んで、からかったが、彼はもう彼女のことを本心から魔女とは思ってはいなかった。


 不自由な現代社会の中に自由を見い出せなかった、人生の落伍者たちに、手を差し伸べてくれる聖女。

 不自由な生き方しか許されなかった我々に安息の場所を与えてくれる天使。


 佐々木は、籠宮曜子に金糸雀カナリアとして飼われる方が、現代社会を生きる人間たちよりも、より幸福な生き方なのだと考えるようになっていた。


 それが、魔女である彼女と“黒い鳥籠”に魅了された結果なのだとしても彼は構わなかった。人間として生きていた頃には味わえなかった本当の自由が、いま確かにここには存在しているのだから──。


 病めるときも、健やかなるときも、

 佐々木秀司と籠宮曜子は、変わらずこの屋敷の中で生きていくだろう。他の金糸雀カナリアたちと共に。不自由な鳥籠に支配されながら、街ののように、いつ消えて無くなるかもしれない、密やかな自由を分かち合いながら生きていく。


「──ああ、なんて美しい金糸雀カナリアなのかしら」


 ──死が二人を分かつまで。

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鳥籠とカナリア 空柿 零 @aracuan_bird

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