来年も春は来る ――それでも――

木村直輝

【再掲】来年も春は来る ――それでも――

 あなたはこの春を、どんな風に過ごしていますか?

 予防薬も特効薬もない新型の感染症が世界に広がって猛威を振るい、目に見えて人通りの減った街は閑散とし、目に見えないウイルスは増殖し街を闊歩する。外出自粛が叫ばれるこの国で、あなたは今、どんな春を生きていますか――。


 ピンポン、という聞きなれた通知音が耳を打つ。

 テレビを観ていた私は、テーブルの上のスマートフォンに手を伸ばし、画面を見る。ラインの通知が一件きている。毎年やっているお花見の中止を知らせる連絡だ。まあ、仕方ないだろう。

 ――了解――

 質素な言葉にスタンプで花を添えて、私はスマートフォンをテーブルに置いた。楽しみにしていたのだが、仕方がないだろう。

 再びテレビの画面に目を移し、意識が移り、画面の中の世界に熱中していく私の袖を引くように、現実世界の軽々しい通知音が何度も耳にちょっかいをかける。私は設定をマナーモードに戻そうと、スマートフォンに手を伸ばした。通知でいた画面は明るく、鏡の代わりにはならなかったが、自分が少し不機嫌な顔をしているのを自覚するのに、鏡を確認する必要はなかった。

 ラインを軽く確認した私の目が、意識が、不意にテレビから完全に奪われる。

 ――残念だけど、今は仕方がないですね。 来年も春は来ます。元気でいれば、お花見は来年できるし、なんなら全部落ち着いたらお花見以外で久しぶりに集まりましょう。 みんなの健康を祈ってます――

 先輩だった。

 卒業してから五年。毎年恒例となったお花見以外で一度も会っていないが、私はこの先輩のことが大好きだった。

 ちょっと真面目すぎるところがたまに傷だけど、優しくて、いつもみんなのことを考えている先輩が、私は大好きで、憧れだった。

 メッセージを見返して、思わず笑ってしまう。みんな、『了解』とか『残念』とか、短いメッセージやスタンプで答えているのに、先輩ときたらこの長文だ。文面もちょっと年より臭いというか、説教臭いというか、一言で言って真面目だ。

 でも、そんなところが私は好きなのだ。この真面目でちょっとかたい文章の中に見え隠れする先輩の優しくてやわらかな心情が、私は例えば、たまらなく好きなのだ。

 心がすさんだ時も、先輩の言動を思い出すと、たちまち心が温かくなる。近頃は、新しい生活に押し流されて、先輩を思い出すこともすっかり減ってしまったけれど、それでも卒業してからの五年間で、先輩のかげに救われたことは一度や二度じゃない。

「はぁ……」

 私はテレビを一瞥いちべつしてから立ち上がった。気づけば番組はもうだいぶ進んでいる。テレビを観るのは後にしよう。何せ外出自粛のお陰で、いつもよりは時間があるのだから。

 たまには昔のことを思い出すのも悪くはない。学年の違う先輩が載った卒業アルバムも卒業文集も、私の手元にはないけれど、先輩との思い出なら山ほどある。

 帰り道に他愛もない話をしたり、時には真剣な悩みを聞いて貰ったりした思い出。今から考えたら大したものじゃないけど、美味しいものを奢って貰ったこととか。疲れて居眠りしていた先輩に、みんながイタズラしても中々起きなかったこととか。卒業する時、私にくれた、短い手紙とか……。

 それに、私の学生生活は、何も先輩との思い出だけじゃないし……。

 少し拗ねた気持ちに胸をちくちくされながら、それもまた幸せで、それ以上の幸せな気持ちも胸いっぱいに、私は狭い家の中、大切な思い入れを訪ねに歩き出した。タンスの中や心の引き出しに、大事に入れられた思いの数々を、思い出して懐かしもう。

 私は家の中で、大切な思い出を眺めに出かけた……。


 その知らせを受けたのは、それから二日後のことだった。

 ――火事だったんだって――。

 友達は言った。

 パソコンに向かう仕事が大半だった先輩の職場では、在宅勤務の導入も早かったようで、先輩はその日も一日中、家にいたんだそうだ。隣家から火が出た時、どうやら先輩は仕事をしながらうたた寝をしていたようで、それで逃げるのが遅れてしまったらしい。真面目な性格の先輩のことだ。仕事や私事での疲れがたまって熟睡していたのかもしれない。

 他にも、火事の原因は急いで出かけた隣人の煙草の不始末によるものらしいとか、古いアパートだったけど全焼はしなかったとか、一酸化炭素中毒がどうだとか、運が悪いことになんとかかんとかと、電話で詳しい話を教えて貰ったけれど、ほとんどのことは頭に入ってこなかった。

 ――先輩が死んだ――。

 その衝撃だけが、私の中に強く響いた。

 お葬式はこのご時世だからと、ごく近しい身内だけを集めて行われたらしい。私は当然、出席しなかったし、まだお墓にも遺影にも手を合わせていない。

 先輩の訃報ふほうから数週間が経って、こんなんじゃいけないとは思うけれど、私の心はまだちゃんと先輩とお別れできずにいる。

 先輩が死んでしまったことは悲しいなんて言葉で言い表せるものではないけれど、まだそれを実感できていなくて、なんだか変な感覚だ。それが、正直な今の私の感覚だ。

 そんな状態でも、私の毎日は待ってくれない。私の時間は流れていくし、世の中の時間も流れていく。やらなくちゃいけないことはたくさんあって、片付けたそばから新しいのがやってきて、待つだなんて言葉を知らないみたいに、日々はせわしない。

 ニュースも日々更新されて、その中心に居座る感染症も、やっぱり待つことをしらないようで、その感染は日本でも徐々に広がっている。

 外出自粛がより強く叫ばれるようになって、私もできるだけ外に出ないようにしている。私はまだ若いから、正直、最悪かかってしまっても平気なんじゃないかなとは思うけど。先輩だって、若いのに死んだんだ。火災で死ぬ人だって、若い世代の割合は低いらしいけど、それでも〇人じゃない。例えばその数パーセントを占める人が、確かに世の中には存在していて、それに私や私の身近な人がならない保証なんてどこにもないんだ。

 それに、軽症どころか症状がなくても、他人にはうつるらしい。知らない人にうつして、世の中が崩れていく一助になってしまうかもしれないし、家族や先輩みたいな大事な人にうつして重症化させてしまうかもしれない。大事な人が死んでしまうのは、嫌だ。

 だからできるだけ外に出ないようにして、手を洗って……。

 手を、洗って……。

 涙がこぼれた。

 戻らない先輩を思って、不意に目から水滴が流れ出た。手を洗うには、とてもじゃないけど足りないくらいの水が、ぽろりぽろりと頬に軌跡を描いて落ちていった。

 先輩が死ぬまでは、こんな風に真面目に考えることもなかった。怖いなぁくらいの軽い気持ちでしかいなかった。なのに、これじゃあまるで先輩だ。馬鹿みたいに真面目な先輩だ。

 先輩が死んで、私は生きるということに少し関心を持ったんだ。自分が死ぬことが怖かったし、誰かが死んでしまうことが、もっと怖かった。怖くなった。

 先輩は死んでまで、私を助けてくれている。

 そう思ったら、涙が止まらなくなった。

 目の前の危険に無頓着だった私の前に、その存在感を強く示して、それから死んでしまった先輩。そのかげが、私の中で確かに、私を救ってくれている。

 涙が止まらなかった。

 戻らないでおちていく涙はまるで川のようだった――。


 世の中がどんな状況でも、私たちの日々は進んでいく。楽しいこと、悲しいこと、大きなこと、大したことないこと、色んな事が日々起きたり、起きなかったりする。

 『今』は待つことを知らない。

 先輩は死んでしまった。そして、私は生きている。

 明日私はどうなるのか、明日世界はどうなるのか、それは私にもわからない。

 それでも、来年も春は来る。

 ――それでも――。

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