第21話:穢れた祝福

 二人が案内された「星の間」は、首長の私室でありながらも個人的な会食や会合にのみ使われている、こじんまりとした部屋であった。

入ると首長の星影は横長の机を挟んだ正面に掛けており、二人にそれぞれ向かいに掛けるようにと促した。


「首長、お心遣い感謝いたします。身に余るおもてなしをしていただいたうえに、会食など」


 静音がそう言うのに続き、彩瀬も彼に頭を下げた。すると星影は苦笑気味に、いいから座れ、と席を示す。


「職務の時間は終わったのだから、そういう堅苦しいのは無しだ。それよりここまでは長旅であったろう、ぜひとも私に白水の外の話を聞かせてくれぬか」


 先ほどまでとは打って変わって柔らかな笑みに、二人はすっかり拍子抜けして顔を見合わせた。指示に従いかけた席にはすでに多くの料理が並び、そのどれもが柔らかな湯気に包まれていた。

 星影は職務が終わったとの言葉通り、飾り気の無い部屋着に着替え、まとめ上げていた髪も解いて首元でゆったりと束ねているだけである。

こうして見るとごく普通の青年のようだとぼんやりとした二人に、彼は早く料理を食べるようにと促した。


「そなたらの口に合うか解らぬが、たんと食え。腹が減っているだろう」


 そう言われて料理に目を向けると、湯気に乗り香辛料の匂いが鼻をつく。華美な装飾の施された絵皿に並ぶ蒸し野菜に、炊き立ての米、鶏肉の香味焼きに見慣れない果物──王宮にいた頃を思い出すような食事に、静音は笑顔で礼を言い、箸をつけた。

 故郷の味とは違えど、久しぶりの料理。たちまち笑顔になる少女たちに笑みを向け、星影も料理を口にしていた。

 そしてやや時間が経った頃、先ほどまでの話題を口にしたのは、星影の方からであった。


「先ほど連絡があり、そなたの精霊は縄を燃やし忠海の手を逃れたらしい。恐らくは今頃そなたの背後にでも控えているのだろう」


 思わぬ報せに、静音は箸を置いて首長の目を見つめた。


「本当ですか?」

「私は下らぬ嘘はつかぬ。お前の精霊とは違ってな」


 皮肉っぽい言い方に彩瀬は眉間にしわを寄せたが、ぐっと我慢して肉にかぶりつく。それを横目に静音は、凛とした眼差しで星影に言い放った。


「私の精霊は嘘をつきませぬ。王宮を妖に襲わせたのはわたくしにございません。信じてはいただけないかもしれませぬが、いま一度弁明の機会をお与え下さいませぬか」


 少女の強い視線に、星影は感心したように身を乗り出す。


「ほう、なるほど。先ほどの嘆願の続きをするか」


 星影は手元の酒を口に含み、頬を緩める。静音は唇をそっとなめ、深く息をついてから頷いた。


「何度言っても同じだぞ、王女よ。そなたの精霊のいう事が事実だという証拠の無いままで、白水の里がそなたらの味方につく事はない」

「しかし、こうしているうちにも双白はあなた様を狙うやもしれませぬ。あなた様も双白に祝福されたのなら、白蓮国をひとつにまとめうる可能性のある御方。彼の者が白蓮を支配するにあたって邪魔になることは間違いありませぬ」


 視線で星影の首元を示すと、彼はその意味を理解し、祝福の証である首飾りを衣の内側から取り出した。呼吸するように収縮するその輝きは、心なしか先ほどより弱弱しく見えた。

 その宝珠を手に、星影は不意に二人に問いかけた。


「そなたらには、この私は何歳に見える」


 唐突な質問に、彩瀬は思わず「へ」と声を上げた。そして相手が白水の首長であることを思い出すと同時に、慌てて咳払いをし、ごまかすように質問に答えた。


「首長とはいえ、まだお若いかと──二十歳前後とお見受けします」

「わたくしも同意見です」


 静音も続いて答えると、星影は満足げに笑みを浮かべ杯を煽った。


「私は、静音殿、そなたの父上と同い年だ」


 彩瀬が、思わず口に含んでいた米を吹き出しかけてむせた。静音も硬直したままで何も言えずにいると、星影は声を上げて笑った。


「冗談だと言いたいところだが、私は数えで五十になる。この姿を保っていられるのは、お前たちのかたきであるらしい、双白の祝福の賜物だ」


 そう言うと星影は、祝福の首飾りを手のひらに載せて微笑んだ。


「二十歳の時に里の首長となり、その際に彼の者の“祝福”の恩恵として私が望んだのは、肉体の時を止める不老の力。この祝福のおかげで、ここまで肉体の全盛を衰えさせる事無く、世継ぎのない私でも治世を続けてこられたのだ」


 思わぬ事実であったが、静音は気を取り直し、威勢よく彼に食ってかかる。


「止めることができるのなら、進めることも出来るはず。永遠の生を与えられたあなた様がその宝珠を手放さないと分かっているうちは、双白の好きな時に、あなたの時間を何十年も進めてしまう事が出来るとはお考えになりませぬか」


 一瞬、星影の顔色が曇る。しかしそこは里の長、切り返そうと口を開く。

が、言葉が彼の口をつくより先に、彼の首元の石が突如禍々しい赤い光を放ち部屋全体を赤く染め上げてしまった。


「一体何が起こっている、精霊の怒りに触れたのではないか」


 星影が慌てて立ち上がりそう静音たちを睨むと、石は赤い光を放ちつつ、首飾りから離れて宙へ浮かぶ。


〈そうとも、ああ、そう、お前の食事友達は私の怒りに触れた。小賢しい、だがたまらなく愛らしい娘〉


 どこからともなく、念として声が聞こえてきた。そしてその場の誰もが、その声が双白のものであると直感的に認識していた。


「双白、そなたなのか?」


 星影が呼びかけると、石の光はやがて石を取り巻くようにまとまり、ぼんやりと人間のような形となった。


〈自らの永遠の若さの為、王女の言葉に耳を貸さず、私の力を手放さずに大事に、大事に抱える愚かな首長。その礼だ、お前の命があとどれだけのものか、教えてやろう〉


 不穏な言葉に違和感を覚え、星影はどういう意味かと光に問いかける。

すると光の声は、くつくつと笑って両手を広げた。


〈愚かな男よ、近頃の体の変化にはお前も気付いているはずだ。命を徐々に食われ続けた気持ちはいかがかな、首長──私が今ここでお前の命を喰えば、数日でお前は寿命を迎える。若く美しい肉体のままで命だけが尽きるとは、魂の器の見かけばかりが変わらぬよう私に願ったお前らしい最期だとは思わんか〉


 その口ぶりは、王の精霊、というにはほど遠く。星影は今更ながら狗々裡の言った言葉を思い返し、ごくりと生唾を飲んだ。


「まさか──本当に穢れてしまわれたのか」


 王の精霊自身が、妖だとしたら。そうだとすれば、精霊の恩恵を受けた自分だけではなく、自分が治める里の危機だ。星影が絶望の表情を浮かべる中で、双白の意思を宿す光は静音と彩瀬の方へ顔を向けた。


〈愛らしい静音、愚かな静音、お前はまだ私の相手とはなれない。お前は力を付けねばならぬ、それまで、この国は壊さぬよう大切にしよう。そしてお前の愛する、愛する兄も〉


 双白の言葉に、静音は一気に体中に熱が巡るのを感じた。

 兄が、生きている!双白の口から直接聞き、改めてその事実を確かめると、静音の鼓動は一気に高鳴った。


「兄は、生きているのですね?本当に、生きて」


 安堵と共に、強い憎しみが生まれ育つ。

この精霊“だった”存在が、自分たちの、そしてこの国の運命を狂わせたのだ。静音はもやのような光を強く睨み付けると、唇を噛みしめた。


「何故なのですか!何故、王の精霊たるあなたがこのような真似を」


〈おお、その幼い怒りのなんと愛らしい事か!お前はそれでこそお前だ。お前の中の怒りを育てよ、さすれば私と渡り合えるだろうよ〉


 静音の震える声とは反対に、双白はそう言うと楽しそうな笑い声をあげていた。


「こいつ、本当に狂ってやがる」


 その笑い声に、彩瀬は恐怖すら感じ身震いしていた。するとその正面で、星影はとっさに腰元の刀を抜いて双白の影に突き付けた。


「妖となられたなら、あなたはもう白水の、我が国の守護者ではない。退参願おうか」


 先ほどまでの力強い表情は無く、虚勢を張ってはいるがその手は震えていた。

そんな星影の姿を見、双白は気味の悪い笑い方をした。


〈星影よ、お前は本質を何も解っていない。精霊と妖、その境界は曖昧にして無意味。穢れを負ってなお意思を持った妖も、こうして存在するのだ〉


 静音の脳裏に、狗々裡の言葉が蘇った。精霊も穢れれば、妖となろう──妖は、白い紙に墨を垂らしたような存在であると言っていた。


〈愚かだが、お前は本当に欲深いばかりで、愛らしくもなんともない男よ。今ここで、お前の命を残さず食らってやってもよいやもしれんな〉


 双白は、突き付けられた刀をものともせず、ずいと星影に歩み寄る。

このままでは、星影、いや、白水の危機だ。静音が息を飲み、狗々裡の名を叫ぼうとした、その時だった。


「首長、伏せて下さい!」


 戸の方から聞こえた声に、星影がとっさに頭を下げると、声のした方から真っ直ぐに矢が飛んできた。

 矢は、迷うことなく双白の影の中心となっている石を直撃し、間もなく石は音を立てて砕け落ちた。

 石が砕けてしまえば、赤い光も、双白の影も消えて、ただ呼吸することも無くなった白い破片だけがその場に散らばった。一瞬の出来事に静音と彩瀬が驚いた顔で振り返ると、そこには弓を携え、青ざめた顔で額に汗を滲ませる忠海将軍の姿があった。


「ご無事でなによりです、首長。お怪我は」

「いや、大丈夫だ。だい──」


 そう答えるも、星影は刀を納めると一気に力が抜けたように、その場に倒れ込んでしまった。


「星影殿!」


 静音も慌てて駆け寄るが、その呼吸は浅く。意識のない首長の傍らでは、ただ息絶えた祝福の宝珠の欠片が、何かの亡骸のように散乱していた。

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