第20話:白水に迫る影
白蓮王宮の跡地には何も残らなかったが、その南に番人のように佇む建物──犯罪者を捕縛する為の牢獄、
石造りの壁に覆われた牢は天災に見舞われても壊れないように、と設計されただけあって、外壁に軽く引っかかれたような傷がある以外は妖の襲撃前と全く変わりない。
しかし、その牢の一室に犯罪者と並び牢に閉じ込められている少年は、薄暗い石壁にはひどく似つかわしくない恰好をしていた。
少年は色鮮やかな衣に身をまとい、やつれてこそいるが、目元には凛とした輝きが宿っていた。壁に背を向けて堂々と胡坐をかく様は、向かいに入れられている囚人も感嘆の息をつく凛々しさである。
彼は、王宮の襲撃から逃げ延びたものの、落ち合うと約束した妹は約束の場所にいなかった。
間に合わず妖にでも食われてしまったのか、それとも別の場所へ逃げたのか。いずれにしても、彼女と落ち合うのはもはや絶望的であると悟った。
そんな彼がどこへ行くべきか、と考えあぐねていると、突然後頭部を何者かに殴られ、意識を失い、気がついた時には何故か牢獄に繋がれていた──といった具合である。
そんな中、少年の牢を訪ねる影が一つあった。暗がりを照らす蝋の明かりが近付くにつれ、影に隠れていたネズミたちが騒ぎ出す。それを横目にして、影の人物は少年の牢の前でぴたりと立ち止まった。
ぼろ布を頭から被り顔も見えないその人物は、ただ浅く呼吸する音だけを響かせて少年の目の前で腰元を探る。すると、がらん、と鈍い音とともにその人物は牢の鍵らしきものを手にしていた。
少年は息を飲んでその光景を見守り、思わず声を発していた。
「開けて、いただけるのか」
何日も声を出していなかったためか、かなりかすれた声。だが、確かに彼には希望が見えていた。
そんな彼の言葉には答えず、布を被った者はただ手早く牢の鍵に手を伸ばし、少年が望んだとおりに牢の鍵を外した。
少年は、感動のあまり情けなく声を上げて喜んだが、何故助けたのかと尋ねるより先に、布を被った人物が低い声で告げる。
「久時、我が主がお待ちだ。ついてこい」
感情の無い、淡々とした声。少年──静音の兄、久時は警戒心を抱きつつも、すっかり弱った足でよろけながらも牢を出たのだった。
* * * *
首長の部屋からつまみ出された狗々裡は、忠海に背を押されて離れの部屋に押し込められた。
部屋は狭く牢屋でこそないが、窓には目の細かい格子が嵌め込まれ、簡単にここから出すつもりはないのであろうということは明らかである。
狗々裡は忠海に促されてその部屋の中心の椅子に座ると、机を挟み向かいに座った忠海に思い切り睨まれた。
「貴様、何故首長の前であんな下らぬ話をした」
忠海は疲労感のどっぷりと染み込んだ表情を浮かべ、烏の羽のように黒く硬質な髪をくしゃくしゃと掻いて言った。
「首長は最近ただでさえ体が重く、体調が思わしくないと仰る。そんな折に反逆者である王女を連れて来たかと思えば、あんな根も葉もない話──」
眉間に深く皺を刻み込む忠海に、狗々裡は不敵な笑みを浮かべて答えた。
「将軍、お前は気が付いていないのか?あの男の命は長くない。あの首飾りはもう穢れている、そしてそれは首長が一番よく感じているはずだ」
狗々裡の言葉に、忠海は目の前の机を叩いて声を荒げた。
「まだそんな事を言っているのか!貴様、王族の精霊とて度が過ぎる。首長の身を脅かすような真似をすれば王女ごと里から叩き出すことも出来るのだぞ」
感情的になる忠海とは裏腹に、狗々裡はいたって冷静に笑みをたたえる。
「叩き出すのは良いが、将軍よ、お前の主の近くにはしかとついていろ。王宮が落とされた今、次に双白の障害になるのは誰なのかを良く考えることだ」
そう言うと、狗々裡はいともたやすく手に掛けられた縄を秘術で炭に変え、呆気に取られる忠海を見下ろし忠告した。
「人間用の縄は精霊には通用しないと首長に言っておけ。縛ることはできても力まで抑えることはできん」
そして、狗々裡はそのまま周囲に溶け込むようにその姿を消してしまう。
残された忠海は、焦りながらも狗々裡の一連の言葉を何度も頭の中で反芻していた。
* * * *
白水宮の一室に案内された静音と彩瀬は、星影の計らいで大風呂で旅の汗を流し、丁寧に衣をも洗ってくれるとの事で着替えまで用意された。
白水の特産である絹の衣は着心地も抜群なのだが、二人は狗々裡の行方が気になって素直に喜ぶことはできなかった。
「なあ、この後一体どうするんだよ?白水の首長があんなんじゃ、協力を頼むどころか美味い飯食ってはいさよなら、ってとこだよ」
彩瀬の言葉に、静音は部屋の隅で膝を抱えつつ小さく頷いた。
「何としても、もう一度お話をしていただかなければなりません。真剣に言い続ければ、きっと信じてくれるはずです」
広い部屋に、漂う香の香り。落ち着ける環境のはずが、今の状況を思うと鼓動は早まるばかりである。
「けど、どうやって話す?あの人、あれでいて相当短気だし頑固だよ」
あの会話の切り上げ方にしろ、退参の早さにしろ、なかなかのもの──静音もそれは思っていたが、それでも何とか話をしたい。その気持ちだけが静音の中にあった。
そして、二人がそんな考えを巡らせていると、戸を叩く音と共に侍女が部屋に入ってきた。
「お二人様、首長が今宵の
これは、千載一遇の機会──二人は顔を見合わせて頷いた。ここで上手くやれば、話を聞いてくれるかもしれない。静音は決意を新たにすると、彩瀬と共に侍女につき従って食事の場へと向かうのであった。
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