第19話:謁見
白水の里は、高地に座す、いわば要塞のような里である。精霊の神殿の脇道を抜けて少し林を進むと、高い木組塀に囲まれた堅苦しいその姿を現す。
敵兵の侵入を防ぐ塀に加え、里の入口となる大門には門番の兵が槍を携え目を光らせる。まるで第二の王宮だ、と静音が驚愕していると、一行に気付いた門番がかちゃりと鎧の音を立てつつ振り返った。
「白水の里になんの用か」
警戒するようにこちらを見据える兵に、静音と彩瀬は緊張した面持ちで拳を握りしめている。そんな中、狗々裡は淡々と答えた。
「白水首長と謁見願いたい。“静音王女が一緒だ”と言えば分るはずだ」
その言葉に、兵は門の裏に控える別の兵に伝言を届けるように言い、一行にはしばらく待つようにと伝え門の番をすべく持ち場へと戻っていく。
「私の名前で通れるのですか」
心配そうに狗々裡を見上げる静音であったが、その答えはその後すぐに聞こえてきた開門の号令によって明らかとなった。
それぞれ少女たちが不安げに顔を見合わせる中、狗々裡はいたって冷静な面もちで門の方を顎で示し進むよう促す。
「行くぞ。首長が待っているはずだ」
そう呼び掛けられ、静音、彩瀬の両名は恐る恐る目の前の“要塞”に足を踏み入れたのだった。
しかし要塞のような見た目に反し、門の中は草木の青々としてのどかな光景が広がっていた。
高地ならではの段差を利用した農場や、広い水田、耕地の数々。その奥に見られる質素な家々の軒先には干物や洗濯物などが掛けられ、ここに住む人々の生活を感じられた。
「すごい、塀の中にこんな里があるなんて」
思わず感嘆の息を漏らす静音に、脇を走り抜ける少年たちが元気よく挨拶をした。その様子に少し困惑しながらも静音が手を振りかえすと、彩瀬は複雑な顔で彼らの背を見送った。
「あの子供たち、高地で海を見ないで育つのか。なんか寂しい話だな」
海と共にある応舟の育ちらしい言葉に、静音はくすりと笑みをこぼす。王宮育ちの自分もつい先日初めての海を見たばかりである。少年たちに自分を重ねていると、里の奥から馬の足音と共に一人の男が現れた。
「静音王女と連れの一行だな。首長は白水宮でお待ちだ。ついてこい」
無愛想なその男は、袖に金の刺繍が入った上等な衣を着ており、白水でそれなりの地位がある人間だと推測された。男はそのまま馬を下り、代わりに静音に乗るよう促すと、自身は手綱を引き歩いた。
「本当に、静音って王女なのな」
驚くようにその様子を見ていた彩瀬であったが、白水宮が近付くにつれてその表情は明るくなっていった。
白水宮は、その名にふさわしくまさに王宮のような出で立ちである。
古代神殿のように装飾された柱の立ち並ぶ正門をくぐると、さながら他国に来たような気分である。馬上で不安げに仲間を見つめる静音に、首長の使いは不機嫌そうにしっかり前を見るようたしなめるのであった。
白水宮の
白水宮の廊下は風通しが良いように考えられており壁は無く、暗色に塗られた柱が並ぶ道の脇には時期が終わりかけた桜が見えた。
そうしてたどり着いた先は、木彫りの装飾の施された大きい戸の前。
「首長、静音王女と一行をお連れいたしました」
使いが高らかに告げると、戸の中からは「入れ」と一言だけ返答があった。
そうして、使いの男が戸を引くと、一行の目の前には広い板の間と、人数分の座椅子、そして正面に立つ若い男の姿があった。
「ようこそ白水の里へ、王女よ」
そう微笑みとともに礼をしたこの男が白水首長であるという事は、彼の冠とまとめあげられた髪、華美な衣が示していた。静音、彩瀬は彼に倣い手を腹にあて白蓮の伝統的な礼をすると、緊張のなかその男を見据えた。
首長と思しき男はまだ若く、見たところ二十かそこらと思われた。しかしその眼には国王にも引けをとらぬ輝きがあり、目が合えば考えを全て見透かされるような錯覚に陥った。
「そう固くなるな。まずはそこに掛けてくれ」
「失礼致します」
開け放たれた窓から、涼やかな風が流れ込んでくる。その風に衣の袖を揺らしつつ、一行が座椅子に掛けるのを確認すると首長は自らも脇息付の椅子に掛けた。
「自己紹介が遅れたな。私はこの白水の里を治める首長、
そうして、首長の星影は自らの一歩後ろに控えた、先ほど静音たちを案内した男を手で示す。
「この男は、里を守る白水軍将軍、
紹介され、
そして一行が自己紹介を済ませたところで、首長──星影は表情を硬くした。
「王女ともあろうものが、王宮陥落の緊急時に何故このような田舎まで足を運ばれたのだ?まして、私の記憶が正しければそなたは確か手配中のはずだが」
探るような目に、静音は恐怖しつつも視線をそらさずに答えた。
「首長、わたくし──静音は、確かにいまや王宮からも妖からも追われる身。ですが、わたくしと兄は罠に掛けられたのです。王宮の危機が迫る今、貴方様がた白水にお力添えを賜りたいと存じここへ参りました」
その発言に忠海は首長の後ろで発言しようと一歩を踏み出し掛けるが、主の手がそれを制す。
「ほう、賞金首の王女へ協力せよ、と。そなたは私までも賞金首にしたいと申すか」
からかうように脇息にひじを掛け笑う星影に、今度は狗々裡が淡々と答えた。
「静音王女は無実。王宮陥落の影で妖を操っていたとされ罪に問われているが、真に罪に問うべきはお前もよく知っている精霊だ」
その言葉に、星影の眼から笑みが消えた。しかし口元には柔らかく三日月をかたどったままで、彼は肩をすくめた。
「精霊よ、謎かけをするためにここへ来たのではないだろう。言いたいことだけを言え」
固唾を飲んで様子を見守る彩瀬と静音の視線を受けつつ、狗々裡は苛立つ星影に答える。
「王の精霊である双白は知っているな?お前も白蓮王よりこの里の統治を任された際、祝福を受けたはずだ。あやつが、地上に精霊の世を作ろうとしている」
双白──その名を聞いた瞬間、星影の眉が一瞬動いたのを静音は見逃さなかった。
それにしても、だ。王族以外が精霊の祝福を受けるというのは初耳である。状況を上手くつかめない中で二人の会話を聞いていた静音であったが、星影が首元から宝石のついた首飾りを取出したのが何よりの答えであった。
「これをよこした白龍か。あやつは、確かに私の即位の時にこの祝福を授けた。だが、なぜその双白が自らの主の王宮を落とす」
星影が手に取って眺める首飾りの先には、白く球体の宝石が鼓動するように光っていた。形は違えど、静音はそれが確かに久時や父が持っていたものと同じく「精霊の祝福」を示す宝石だと理解した。
王族以外にも、精霊の祝福を授かった人間がいるとは──静音はようやく狗々裡が「白水は精霊との繋がりが深い里だ」といった意味を理解しつつ、食い入るように首長の手の中の輝きを眺めていた。
そして首長の言葉に狗々裡は、ちらと静音の方を見、答えた。
「王の血を継ぐ者がいなくなれば、白蓮国は希望を失い、いともたやすく分裂する。まとまりを失いただの村や里の集まりとなった国を滅ぼすのはたやすい──その為には、王宮を襲わせるのが最も早い」
狗々裡の言葉に、星影は眉間にしわを寄せて噛みついた。
「方法としては分かるが、それならばなぜ王宮を襲ったのは妖なのだ?王の精霊ともあろう者が妖を従える、というのは少し無理があると思うのだが」
星影の言葉に、静音、彩瀬の両者が頷いた。すると、狗々裡は一瞬ためらうように目を伏せたが、ややあって意を決したように星影をまっすぐに見据えて言った。
「確かに王の“精霊”が、というと違和感があるやもしれん。だが、事実がそうではないとしたらどうだ」
「また謎かけか、回りくどい。早よ話を進めぬか」
そう溜息をつき、苛立たしげに肘をつく星影に、狗々裡は静かな声で続けた。
「もし、双白──王の精霊であるあやつ自身が、すでに妖であるとしたら」
一瞬、空気が凍りついたように静まり返った。
何を、この精霊は言っているのか。王の精霊が、妖?彩瀬が理解できないといった風に静音に救いを求める視線を送るも、静音自身も首を横に振っていた。
そんな静寂を破ったのは、突然響いた、星影の高らかな笑い声であった。豪快に笑った星影は、ややあってから笑い疲れたのかため息をつき、呆れたような笑みを浮かべていた。
「笑わせてくれる、“王の精霊が妖となっている”、とは!実に傑作だとも精霊よ。王女が本物なのは、何度か王宮で見かけているからわかる。だが、その王女を使ってわざわざお前の夢物語を語りに来たのか?ご苦労な事だ。物語を紡ぐ精霊とは初めて会うが、あいにく語り部は我が里には必要ない」
そして、不意に真顔になると、星影は片手を挙げてなにやら後ろへ控える忠海へと合図を出した。
「忠海、その精霊には少し“灸を据えて”やれ。王女と応舟頭領の娘は白水宮に部屋をご用意して差し上げろ」
「お、お待ち下さい、まだ話は終わってはおりませぬ」
慌てて静音が腰を上げた星影に声を上げるも、彼は窮屈そうに肩を回してため息をついた。
「王女よ、ここはそなたの王宮とは勝手が違う。そなたの精霊の空想話に耳を貸してやれるほど、私は夢物語が好きではないのだ」
そうして星影が部屋を出ていく代わりに、出番を待っていたと言わんばかりに忠海将軍は腰元の刀を引き抜いて狗々裡に突き付けた。
「そういう事だ。精霊よ、大人しくついてこい」
忠海は神経質そうな顔をさらひきつらせ、狗々裡の両手を後ろ手で結びどこかへ連れて行ってしまった。
「狗々裡さん!」
不安になり呆然と立ち尽くす静音と、彼女を励ますようにその背中をさする彩瀬は、部屋の準備が整いました、と笑顔で告げに来た侍女たちの言葉すらその耳には入っていなかった。
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