第17話:穢れ人
しばらく森を歩き、その日の晩、一行は小さな村にたどり着いた。
地図によると、応舟から白水までの道のりの半分以上は進んでいる。狗々裡の見積もりだと、あと二日もすれば白水の里にたどり着けるだろうとのことであった。
舗装の甘く暗い道を進みやってきた宿は、なんとも寂れていて今にも倒壊しそうな佇まいではあったが、ずっと野営をしてきた静音と彩瀬にとっては屋根があるというだけでもありがたかった。
食事はついてこない、との事であったので、部屋をとった後で三人は村の市場まで食べる物を買いに出かけた。
村の市場は夜だというのに赤提灯が煌々と光り、乾物屋や草履屋、魚屋などが軒を連ねている。中にはなにやら怪しげな呪い道具などを売る店もあり静音と彩瀬は目を引かれたが、狗々裡に袖をつままれ、しぶしぶ店の前を後にした。
一行は市場で干し肉や握り飯等を買い、宿へ戻った。屋根の下で食べる久々の夕食だと少女二人が胸を躍らせていると、宿の入口で奇妙な男とすれ違った。
男は、背中に子供の背丈ほどの四角い木箱を背負い、ぼろ布を頭からかぶるように身にまとっている。体格から辛うじて男と判るくらいで、目深にかぶった布のせいで顔は全く見えなかった。
この人もまた、旅の途中なのだろうか──静音がふと振り返ると、男もまたちらと一行の方へ顔を向け、そしてしばらく立ち止まった後に、そのまま宿を後にした。
「なんだよあいつ、気味悪いな」
彩瀬が頭の後ろで手を組んでそう呟くと、狗々裡が視線でその言葉を制す。
「あれは
「穢れ人?なんだそりゃ」
彩瀬が口を尖らせる傍らで、静音は男の背中を見守っていたが、狗々裡はため息をつきたしなめるように彼女の名を呼んだ。
「何らかの理由で肉体に穢れを受けた人間のなれの果てだ。多くは黄泉に落ち戻れなくなった呪術師がああなるが、場合によっては土地の邪気や妖の
穢れ人は、心を失う──狗々裡のそんな言葉が、静音の耳に残った。
あの男は、心を失ってどこへ向かうというのだろう。あの背中の荷物には、何が入っているのだろうか。小さくなる背中にそんな考えを巡らせつつ、もう一度名を呼ばれた静音は後ろ髪を引かれるようにその男から視線を外したのだった。
* * * *
部屋で食事を済ませた静音の一行は、狭い部屋で身を寄せ合って眠ることとなった。最初こそ彩瀬が部屋の狭さに不満をこぼしていたが、一人部屋を取れるだけの部屋数も無いこの宿では、人数を分散させれば誰と相部屋にされるか分からない、という狗々裡の言葉に大人しくなっていた。
歩き疲れた為か布団に入ると彩瀬はすぐにいびきをかいて眠ってしまったのだが、静音はどうにも寝付く事が出来ず、入口の戸にもたれかかる狗々裡の名を呼んだ。
「眠ってしまわれましたか」
小声で言うと、狗々裡はいや、と小さく答える。
「お前たちが旅の辛さから逃げ出しては敵わんからな。俺は眠らない」
暗がりの中ではあるが、静音は狗々裡が口角を上げるのが見えた気がした。
こういう時、眠る必要の無い精霊が仲間だというのはありがたい。静音は彩瀬を起こさないようにゆっくりと布団から這い出ると、のそのそと四つん這いで狗々裡の横に近づき、腰かけた。
「……狗々裡さんは、どういった精霊なのですか」
なんとなく、話がしたい気分だった。王宮を出てからというもの、目を覚ました漁村で話をして以来、まともに狗々裡自身の話を聞く機会がなかったのだ。
王の精霊だ、白水の里だとめまぐるしく訳の分からない単語に囲まれ、落ち着いて彼の事を訊こうという心のゆとりも無かったし、彩瀬が旅に加わってからは、年も近い彩瀬が話し相手となる事がほとんどである。
こうして改めて自らの精霊たる彼と話そうという気になれたのは、これが初めての事だ。
狗々裡は、彼女のそんなざっくりとした質問に、肩をすくめてみせる。
「見てのとおりだ。気の利いた話をする性格ではない」
「そうではなく、その、私と出会う前は何をされていたのかと思って」
気恥ずかしげに聞き直すと狗々裡は、ああ、と納得したように息をつき、そして苦笑した。
「別に、何もしてはいない。取り立てて与えられた使命も無く、ただそこに“在った”だけだ」
面白くは無いだろう──そう言おうと口を開くも、それより先に静音が畳み掛けるように質問を飛ばしてきた。
「しかし、永遠の生を生きるあなたも〈神没〉は経験されたのでしょう?その際には、やはり──あなたも人間の敵となったのですか」
寓話の中のものと思っていた、神の如く崇められる存在との戦。恐ろしい話だが、寓話が再び現実のものとなろうとしている今、静音は同行者の立ち位置を知りたかった。
しかし、狗々裡はそれには答えようとせず、言葉を濁したままで静音に視線を落とした。
「過去は過去だ。あの頃の俺は、今の俺ではない。ただ、今の俺はお前の敵に回ることは無い、とだけは言っておこう」
そしてそういうと、狗々裡は話を切り上げるように深く息を吹き出した。
きっと、あまりいい思い出ではないのだ──そう悟った静音もそれ以上の詮索はしないことに決め、話題を切り替えるべく明るい声で言った。
「そうだ、狗々裡さんの故郷はどこなのですか?黄泉のお力を使えるなら黄泉のお生まれなのですか?それとも、やはり天上界のお生まれなのでしょうか。天上には、雲の上に宮殿があると聞きますがそれは本当なのですか」
矢継ぎ早に繰り出される子供らしく純粋な質問に、狗々裡は思わず眉尻を下げて笑みをこぼす。
「雲の上の屋敷に住まい、霞を食べて生きてきた、などと言えればいいのだがな。精霊は天上の世で、地上の生命に反応し生まれる存在。雲の上より遥か遠く、人間には知覚できん天上の世で生まれてからはずっとお前たち人間を眺めてきた。流石に雲の上の宮殿は無かったが」
そう言うと、彼は残念がる静音の肩をぽんと叩いた。
「いいか、俺たちは根本的にお前たちとは相容れぬ存在。天上と地上の双方に干渉しているとはいえ、地上の人間の生き方は永遠に俺たちには理解しきれぬもの。そしてそれはお前たちにとっても同じことだ、あまり精霊をお前たち人間の理屈で理解しようとするな」
その言葉に、静音は不満そうに膝を抱え込んだ。
「でも、やはり共に旅をする方の事は知っておきたいものです」
「ならば見て学べ。お前が見た全てが俺の本質だ」
狗々裡は、あくまで淡々としていたが、静音にはそれが面白くなかった。
どうせなら、もう少し仲良く出来たら──そう口を尖らせ、静音は狗々裡の肩にもたれかかった。
「どうした」
狗々裡が尋ねると、静音は肩にもたれたまま、ぽつりと呟くよう答える。
「兄様は、私が眠れぬ時、よくこうしてお話をして下さったのです。兄の声が心地よく、私はすぐに眠れました」
そうしてそのまま無言となり、やがて静音は静かな寝息を立てはじめた。
やはり、人恋しいのだろう。狗々裡は静音をそのままにしてやると、自らの上着をその腹の辺りに掛けてやった。そんな彼の瞳が深い慈しみのような色をたたえていた事は、この場の誰も知る由が無かった。
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