第13話:王と精霊

 白蓮王宮の跡地は、妖の襲来から暫く日も経つというのに、つい昨日崩壊したばかりのように生々しい傷跡が数多く見える。

建物はほぼ全壊し、美しかった庭園は戦火に焼かれ焦げた臭いを漂わせ、正門から本殿へ続く玉砂利の道は誰がしかの血を吸い転々と赤黒い染みがついていた。

静音の父──白蓮国王はかつて自分の権力の証であったその残骸をゆっくりと歩きつつ灯篭で照らして眺め、痛々しいため息をついた。


「本当に、何も無くなってしまったのだな」


 独り言のように呟くと、その数歩後ろに付き従う彼の精霊が、静かにその頭を垂れる。


〈お主のお主であるが証は、この残骸には無い。今こそ民の心に光を与え、他国に攻められぬという確固たる自信を見せるときではないか〉


 王の精霊は、白く美しい姿をした龍であった。白龍は王を囲いこむように身をくねらせて、長い尾でその頬を撫でつつ、念を用い語りかける。


〈今こそ、お前の器が試されるのだ。実子とはいえ、静音が王家に、国家に反逆したのは事実。あれはこの王宮を襲わせた妖の主──なんとしても、娘を始末するのだ〉


 それは龍の姿をした精霊であると同時に、静音がかたきとする存在、双白そうはく。彼は王に囁くように、鋭い歯の並んだ長い口をその耳元へ寄せる。


〈前にも話したな?娘は、あろうことか妖と契約している。王宮を襲いお前を始末するつもりだったのは明白だ。事実、娘は自身の最も愛した兄をもためらいなく手に掛けた。娘にもう心は無い。あやつは今や、“│穢れけがれびと”──せめてお前が、その魂を救ってやるのだよ〉


 双白の言葉に、王はただ拳を握りしめ、うつむいていた。


「双白。お前には解らぬだろうが、いくらそう聞かされても、親は簡単に子を信じる心を捨てられぬのだ」


 震える声を絞り出す王に、双白は長いひげをたなびかせ答えた。


〈私とて、静音は我が子のように思っているさ。私の契約者の子だ、私もあの子が穢れた事は大変辛く思っているよ〉


 そういうと、白龍は頭を下げ、王に自身の首元に乗るようにと促した。王はしばらくかつて子供たちと語り合った庭園の無残な跡地を眺めていたが、やがて気持ちを切り替えたように凛とした表情で龍の背にまたがり、やがて龍と共に夜空の彼方に飛び去って行ったのだった。


  *    *    *    *


 静音が境遇を語る間、丹芭は狐につままれたようにぽかんとしていた。

 それもそうだ、生まれがいいとは思っていたが、まさか目の前の娘が王室の子とは。淡々と王宮の事、妖の事、双白のこと、そしてどのように狗々裡と出会ったのかを語る静音に、丹芭は相槌すら打てずにいた。


 静音は自らに掛けられた懸賞金のことを頭の片隅で思い出していたが、丹芭になら身の上を語ってもいいと判断した。きっと、この人なら懸賞金の為に自分を売ったりはしない。そんな根拠のない自信のもと、静音は語る。

そうして一通りの説明を終えたところで、丹芭は我に返ったように息を飲んで床にひれ伏していた。


「嬢ちゃ──いや、静音王女。そうとは存じ上げず、失礼なことばかり」


 その様子に、静音も慌てて丹芭に顔を上げるよう言い駆け寄る。


「いいのです、今は王族としての地位など無いのですから。それに私は側室の子、今までと同じように接して下さいませ」


 そう言われてようやく、丹芭は顔を上げたが、足はしっかりと正座をして身をこわばらせている。やはり、王室の子、という地位は大きなものなのだ。静音は再認識しつつも、苦笑して丹芭に緊張を解くように言った。


「話し方も普段通りでよろしいですよ。意識されるとかえって目立ってしまいますから」

「まあ、静音殿がそうおっしゃるなら」


 納得のいかない様子ではあったが、丹芭は仕方なしにと足を崩してため息をつく。


「しかし、王宮がそんな状況とは知らなかったな。王様は無事なのか?話を聞く限りじゃかなり被害も大きかったんだろ」


 無精ひげの生えた顎をさすりつつ、彼は目を細めた。一国の主も危険にさらされたとあっては、心配するのも無理はない。静音はあの日を思い出して胸が詰まるような思いになりながらも、丹芭に王が無事である事、そして自分に賞金が懸っていることを告げた。

 その話を聞くと、丹芭は苦虫を噛み潰したような顔になる。元より精霊をよく思わない分、双白の目論みは気に食わなかったようである。


「あんたが俺の娘なら、その双白とかいう精霊をばらばらにして応舟港の魚に食わせてるところだ。王宮兵も王宮兵だ、何で言われた通りにあんたを捕まえようってんだよ」


 そういえば、彼にも娘がいると言っていたか。彼の言葉にそう思い出しつつ、静音は初めて自分の境遇を理解してくれる人ができた事を心の奥で嬉しく思っていた。


「王宮兵も、王の命令の前では情を掛けてはくれません。ましてや妖を放ったのが私だと思っている以上、捜索の手は緩めないでしょう」

「だったら、すぐにでも逃げた方がいいんじゃねえか?ここも妖が来たってこたぁ、それが王宮の奴らの差し金って可能性もあるわけだろう」


 もしかすると呪術師を雇ったのかもしれない──丹芭はあらゆる可能性を挙げ、思い出したように深くため息をついた。


「そういや昔、俺が応舟に来たばかりの時、近くへ逃げ込んだっていう大罪人をとっ捕まえる為に呪術師がわらわら村に入ってきたことがあったな。呪術師は大罪人を見つけるために〈黄泉渡り〉をして妖を村に入れ、手下としてそいつを探させた。しかし妖は呪術師の術をまんまとくぐり抜けやがってな、人間の命を食い荒らすべく村中の人を襲った。妖ってのは、そんな連中なんだよ。ここへ来た奴らも、もしかしたら元はそういう目的を与えられていたのかもしれん」


 〈黄泉渡り〉とは、上級の呪術師にのみ伝えられる、現世から黄泉へと繋がる入口を開く術の事である。静音も書で読んだ程度であるが、過去には妖の力を得ようと黄泉へ潜り、そのまま黄泉の妖に食われた人間も多くいたらしい。

 静音は先ほど見た穢れた動物の妖を思い出し、思わず身震いする。あの妖が、とても誰かの意思に従い動いていたとは思えない──

元は呪術師が呼び出したにしても、あの妖たちもまた、丹芭が過去に遭遇した妖のようにその支配を逃れたのだろうと思った。

 そんな事を考えていると、丹芭はふと決まり悪そうな顔をして静音を見る。


「にしても、さっきは申し訳なかった。王家の精霊に唾を吐きかけるなんて、白蓮の民としてあまりに礼を欠く事だ。処罰はあんたが決めていい」


 そういえば、と静音も彼の言葉に先ほどの事を思い出す。確かに彼は狗々裡に唾を吐いたが、処罰とまではやりすぎではないか──言いかけたところで、いつの間にか室内の隅に姿を見せていた狗々裡が口角を上げてにじり寄ってきた。


「そうだな。静音が正式に白蓮王女と名乗っていたら斬首くらいはされているだろう」


 唐突に低い声が部屋に響き、丹芭は反射的に懐の小刀に手を掛ける。

が、その声が今まさに話していた「王家の精霊」のものとわかると、慌てて彼の方へ深く頭を垂れた。


「すまなかった、王女の精霊。軽率だったと思っている」


 丹芭の様子の変わりように、狗々裡は納得したように目を伏せ、彼の前に膝を折る。


「なるほど、応舟の頭領らしい潔さだ。お前の気概に免じて許そう」


 そしてそう言うと、狗々裡は丹芭に顔を上げさせ、自らは静音の横に腰を下ろす。丹芭は彼の恩赦に改めて「すまなかった」と頭を下げると、今度は不思議そうな顔で狗々裡の目を見据えた。


「しかし、何故あんなわざを使える?王家に力を貸す精霊とはいえ、黄泉の力を操る精霊なんて聞いたことが無い」


 普通の精霊の力とは思えない──丹芭の先ほどの言葉が、静音の中で反響する。静音もまた、この謎の多い仲間の素性を知るべく息を飲んで彼の言葉を待っていると、彼は短く息をついて丹芭を見つめた。


「お前たちが知っている精霊の知識など、全体のごく一部に過ぎん。どこからが精霊でどこからが妖の領分などという基準は存在しない」


 多くの意味を含ませるようにそう言うと、狗々裡はちらと静音の顔を見た。


「静音には前に言ったが、精霊と妖は紙一重。黄泉にも精霊は住まうし、黄泉に繋がる秘術も存在している。俺はあくまで黄泉の精霊として、黄泉の力を引き出しているに過ぎん」


 その言葉に、丹芭は低く唸っていた。腕を組み眉間にしわを寄せつつ、しばらく考え込んだ後に通常よりしゃがれた声で言った。


「要するに、天上だけが精霊の行動範囲じゃねぇってことか」

「まあ、そういう事だ」


 そうして狗々裡がさっぱりとそう答えると、丹芭はこの話題は考えるのをやめたといった風に大きくため息をついた。

 静音の方も、どうも上手く考えがまとまらず悶々としていたが、その考えは突然部屋に飛び込んできた声にかき消される事となる。


「おい親父、こんなところで油売ってたのかよ!みんな待ってるぞ」


 そう勢いよく広間の戸を開いたのは、快活そうな短髪の少女であった。


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