第10話:契約続行


 本当に、狗々裡が自分を見つけ、助けに来てくれた。本当に、人間ではなかった──いろいろな思いが募り、静音は思わずその場にへたり込んでしまう。

 気づけば地から沸いた木の根も大地に戻り、空洞は塞がっていた。残ったのは盛り上がった地面と多くの妖から発せられていた腐臭くらいである。

 そんな中で、静音がぼうっと宙を見つめていると、ひと仕事を終えた狗々裡は何事も無かったかのように彼女に手を差し伸べた。

「もう妖は去った。立て」

 無愛想な一言に、静音は戸惑いつつもその手を取り立ち上がろうとする。が、腰が抜けたらしく上手く脚に力が入らず、手を掴んだまま思い切り尻餅をついてしまった。

「す、すみません」

 謝ると、狗々裡は案外穏やかな顔で「いや」と返す。

「無理もない、あんな姿の妖を目の当たりにして平気でいる事の方が難しい」

 そう言って、彼は静音から手を離してそのまま腕を組んでいた。

「しかし、お前が別方向へと走っていった時は何があったかと思ったが。あの程度で俺を撒けると思ったか」

 非難するような目に、静音は驚いて息を飲む。まさか、撒けていなかったのか。そんな視線を向けると、狗々裡は呆れたように眉間にしわを寄せた。

「俺はお前の契約者だ。お前ごときが疲れた脚で走った所で見失う訳がないだろう」

 その言葉に、静音は冷や汗をかく。先ほどの話といい、撒けてなかったという事は、実は狗々裡はずっとそばにいたのではないか、と。

丹芭との会話内容が聞かれているという事は、少なからずあの宿の食堂の騒がしさも考慮すると、かなり近くにいないと会話を聞く事は出来ない。

 その事を訊くと、狗々裡は当然といった風に息を吹き出した。

「姿を見せず傍にいることなど造作もない。もっとも、お前が何を考えているかはかるいい機会だった」

「では、ただ姿を見せていなかっただけ、ですか」

 狗々裡が頷くと、静音は恥ずかしさから顔を手で覆ってしまった。それもそうだ、本人が聞いているとも知らずに、味方かどうかわからないから離れました、などと堂々宣言してしまったのだから。

これから、どんな顔で接すればいいのか──悩む静音に、狗々裡は何食わぬ顔で言った。

「まだお前は幼い。この程度は想定していた事だ」

 顔を上げると、そこには彼の意地の悪い笑みがある。

「もっとも、馬に乗った程度では大人とは言えん」

「そこまで聞いていらしたのですか」

 静音は顔を赤くしつつ、正直狗々裡の言葉で大分気が楽になったのもまた事実であった。

ここから、また新たに旅をやり直せるのだ。この精霊は契約を果たし、確かに自分を助けてくれた。そう静音が希望を見出だしようやっと腰を上げると、狗々裡はまっすぐに静音の目を見つめて言った。

「俺はお前の精霊だ。ゆめゆめ逃げられると思うな」

 静音は深く頷くと、決意を新たにぐっと拳を握りしめた。

 この精霊が、本当に味方だという保証は無い。だが、彼の力がなければ、この先また妖に襲われたりする事があっても対処は不可能──静音は覚悟を決め、顔を上げた。

「あなたが私の精霊と言うならば、ひとつだけお願いしたい事があります。兄が無事と言うならば、その証拠をお見せいただきたいのです」

信用できるだけの材料が欲しい。そう告げると‪狗々裡‬は、懐から一枚の紙を取り出した。

「これは?」

「お前が介抱されていた漁村の看板にあった報せだ。王宮にて数日前、お前の兄が密葬されたと記されている」

その紙を受け取り記事に目を通すと、葬儀は王族のみで執り行われ、大掛かりな儀式は行われていない、とのことだった。

しかし。葬儀が行われたという事の、どこが「兄の無事の証拠」なのか──少し考え込んだ静音であったが、あ、と小さな声をあげて‪狗々裡‬を見上げる。

「儀式が行われていないということは、国民が兄の遺体を目にする事も無かった。そういう事なんですね」

その言葉に、‪狗々裡‬は満足気に口角を上げた。

「流石は王女。そうだ、王族の葬儀は通常どんな場合であろうと臣下や国賓を招いて行われる。それをこんな状況とはいえ不自然に密葬にしたということは、お前の“兄の死体はまだ見つかっていない”ということだ」

‪狗々裡‬の言葉に、静音は口を真一文字に結び、彼の目を見つめた。

彼の力を借りれば、兄を救い出す手立てが得られる。完全に信用していいとは思っていなくとも、こうして自分の目や耳となってくれることもあるだろう。

静音は大きく深呼吸をし、‪狗々裡‬の手を両手で強く握った。

「……兄上が生きていたとしても、死を偽装される程の状況ならばすぐに救い出すことは難しいはず。‪その為には、狗々裡‬さんのお力をお借りする必要があるでしょう」

その言葉に、‪狗々裡‬は小さく笑みをこぼす。

「幼い頭でもようやく理解出来たか」

「私は真剣です。‪狗々裡‬さん、今一度、お力を貸して下さいますか」

見上げた目は、彼女を品定めするように見つめ、そうして目元に深い影のような色を落とす。

「勘違いをするな。お前がいくら逃げ出そうとも、俺はお前と契約した以上敵にはならん」

そうして、不敵な笑みが向けられる。

「契約を続けるぞ、王女」

この契約が静音を生かし、生き長らえさせ、そして彼女を国の“反逆者”としたけれど。それでも兄を救い出す為ならば、例えこれが間違った道だとしても手段は選んでいられなかった。

「えぇ。必ず、兄を救い出します」

腐臭の残る土地に似つかわしくない、そんな透き通った決意が、静音が精霊の手を握る力を一層強くしたのであった。

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