第7話:応舟の村へ
部屋に戻った静音は、例の札に不安を募らせながらも、疲れきった体で布団に倒れ込んでいた。
なにせ、今日も一日歩き通しである。宮中にあり日頃大した運動はしていなかったため、体力がない事はある程度自覚してはいたが、さすがに二日間も歩き続けた疲労は想像以上のものであった。
眠りに就くまでに、彼女の頭に浮かぶのは精霊・
そもそも、狗々裡と離れたのは、全てを諦め新しい生活に逃げたいという気持ちより彼を試したいという気持ちの方が強かったように思う。
自分を探しに来て、旅を再開しようと説得してくれれば、本当に自分と契約した精霊だという確信に繋がるだろう──そんな風に軽く考えていたものだから、正直静音は今となっては心細かった。
こんな時、兄ならどうするのだろう。彼女はふと兄の顔を思い浮かべて目を閉じた。
〈静音なら大丈夫だ、私よりずっと大人びているからな〉
いつか聞いたそんな言葉を思い出して、静音はぼろぼろと涙をこぼしていた。
「兄様、私、全然大人などではありませぬ。兄様がいなくては辛くてなりませぬ」
兄に、もう一度会いたい。本当に生きているという確信が欲しい。枕に顔をうずめ、静音はひたすらに声を殺して泣いた。そうしてその涙が落ち着いた頃、いつしか彼女は泣き疲れて眠りに就いたのだった。
* * * *
翌朝、静音が目を覚まして食堂へ朝食を食べに向かうと、既に席には昨日の船乗り一団が掛けていた。多少人数が少ないように見えるのは、一団の中の何人かはまだ寝ているからなのだろうか。静音が挨拶をしつつそんな事を考えていると、昨日と同じ場所に無精ひげの男の姿があった。
「おはようございます、
「おう、嬢ちゃんか」
何気なくその横に座ると、大きな欠伸が聞こえてきた。どうやらあれからまだ宴会は続いたらしく、よくよく見ると丹芭の目の下には隈がある。その様子に思わず笑みをこぼすと、彼は思い出したように声を上げた。
「そういやあんたも
その誘いは、土地勘もなく戦力も無い静音にとって、恥ずかしながらも願ったり叶ったりである。彼らの人柄を見ても信用できない人達では無さそうだと、静音は是非にと頷いた。
そうして、一団が朝食の粥を食べ終えた所で、各々身支度をし、静音も彼らに混じって宿を後にしたのだった。
一晩眠ったり起きたりを繰り返し落ち着かない夜を過ごしたためか、静音は応舟への道を途中うとうとしながら進んだ。
一緒に行くことになった丹芭の一団は、六頭の馬を引き連れており、その一頭一頭には大きな荷物が預けられていた。
その中でも頭である丹芭の引く馬は特に大きい袋を下げており、その中からはがちゃがちゃと金属の擦れるような音が聞こえている。中身は、武具か何かだろうか──気にしつつ歩いていると、丹芭は腰元の
「応舟に着いたら、どんな仕事がしたいんだ?」
不意に訊かれて目を丸くした静音が見上げると、彼はそのまま視線を彼女へ向けて続ける。
「仕事がしてぇと言ったって、色んな職があるからな。決まってねえなら、俺の所に来たらどうかと思ってな」
「丹芭殿の所、ですか」
思わぬ提案に、静音はふと昨晩の会話を思い出していた。確か、彼らは船乗りの集団だったか。久々に陸に上がったと言っていたし、彼らについて行けば王宮からの追手から逃れるにも丁度いいかもしれない。
そうは思ったが、問題は彼らが船でどんな仕事をしているかである。もし、海賊なんかだったら目も当てられない。静音は、返答に恐怖しつつ、恐る恐る丹芭に職業を尋ねた。
すると、彼は意地悪く目を細め、あえて凄むような声で答えた。
「この顔の傷を見てわかるだろ?俺たちは、泣く子も黙る〈
やはり、海賊なのか。ごくりと生唾を飲んで次の言葉を待っていると、不意に彼は吹き出した。
「そんなに怖い顔するなよ嬢ちゃん。ただの船乗りじゃねえが、たいしたもんでもねえよ。俺たちは、応舟近海を外来船から守る海兵隊だ」
その言葉に、静音はようやく緊張をといてほっと息をついた。もし海賊なんかだったら、本当に応舟に連れて行ってもらえるかさえ危うい所である。
だが、海兵隊というとそれはそれで問題がある。せっかく勧誘してくれたのはいいが、静音はなにより戦う術がないのだ。
その旨を伝えると、丹芭は目じりにしわを刻み笑って見せる。
「入隊するといっても、何も戦うだけが海兵隊員じゃあねえよ。依頼された仕事を管理したり、詰所を掃除する隊員ってのも必要だからな」
いわゆる、補助役というやつか。納得した静音は、それならばと大きく頷いた。
「考えておきますね」
ひとまず、村で色々な仕事を見てからでも遅くは無いだろう。静音は無難にそう答えると、再び黙って歩き始めるのだった。
* * * *
それから応舟の村へは半日もかからずに到着するとの事で、村が近付くにつれて潮の香りが漂ってくるのがわかる。その香りを懐かしむように一行は賑わい、それからの道中はにわかに盛り上がった。
海兵隊の面々は馬を撫でつつ故郷の歌を口ずさみ、帰ったら腹いっぱいに応舟の美味いものを食ってやるんだ、などと語るものもいた。久々の故郷、いろいろな思いで帰宅を心待ちにしていたのだろう。静音は昨夜の夕食の盛り上がりを思い出しつつ、彼らの楽しそうな様子をうらやましく思っていた。
もし王宮を襲った悪夢が全て夢なら、どんなにいい事か。父王に心配したんだぞ、などと叱られ、継母には金切り声で怒鳴られ。けれどきっとそこには呆れて笑う兄の姿があって、後ろで母も静かに頷いてくれるはずだ。静音は想像して、ふと口元を緩めた。
自分が精霊と会って、その精霊を信用できないから別れたと知ったら、兄はやはり怒るのだろうか。短くも心細いこの旅の事を話したら、大人になったな、といつものように褒めてくれるだろうか。今なら、まだ裏山の桜も咲いているはずだから、あの滝のふもとに場所を移し、日が暮れるまで喋って。そんな毎日が、ずっと、ずっと続いて──考えれば考える程に、胸が苦しくなっていく。
そんな事、あるはずがないのだ。現実に意識を戻すと、父や兄の顔は夢が覚めた後のように一気に目の前から消えていってしまった。
すると一行が盛り上がる中、不意に丹芭が馬を止め、後続の一行に声を出すなと右手を上げた。
「どうしたんです、お頭」
「わからねえか、応舟で何かあったらしい。妙にざわついていやがる」
丹芭に言われて他の海兵も目をつぶって耳を澄ませ、しばらくすると次第に先ほどまで盛り上がっていた彼らの顔色が青ざめていく。
どうやら、ただごとではないらしい。緊張した空気を察知した静音が不安げに様子を窺っていると、丹芭は深くため息をついて静音に「悪い」と謝った。
「どうやら急がにゃあならん事態のようだな。嬢ちゃん、応舟に行けば俺たちの詰所があるから、そこでかくまってもらえ。一人で宿に戻るよりは安全だろう」
そう言いつつ、彼は自分の連れていた馬の荷物を後続の馬に乗せ、こんどは自身が馬にまたがって静音に手を差し伸べる。
「そこまでは連れて行ってやるから、あとは事態が落ち着くまで待つんだ」
「は、はい」
もう何が何だか訳が分からない中であったが、静音は海兵に手伝ってもらい丹芭の馬の背に乗せてもらう。
一体、向かう先に何があるのだろう。もしや、自分の行先をどこかで知った王宮兵が応舟に先回りでもしていたら──静音は狗々裡と離れた時に攻めてきていた王宮兵の事を思い出しつつ、不安の中で馬の背に揺られていくのだった。
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