第6話:海の男たち

 移民の村である応舟おうしゅうへ向けて歩き始めた静音は、独りきりで途方もない道のりを進んでいた。

高かった日はすっかり木々の根元に沈み、宿でもらった握り飯もついに食べきってしまっていた。喉が渇いても、狗々裡くぐりが用意してくれた徳利に手を付けるのはなんだか忍びなく、道中で小川を見つけたら水を飲みつつ渇きをごまかしながら進む。狗々裡と離れてしまったことを今更ながら少し後悔していたが、引き返すわけにもいかず彼女はただただ歩き続けていた。

 行商人に聞いたところによると、応舟へは丸一日ほどかかるらしく、道中にある宿に泊まることを勧められた。手持ちは狗々裡が用意した硬貨があるが、静音はなんとかそれを使わず進めないかと王宮から持ってきていた唯一の名残である宝石のついた髪飾りを行商人に売って路銀としていた。

 しかし、ほどほどの貯えになったとはいえ、その資金もどこまで持つものか。静音は即刻応舟へと辿りつくべく、夜道を急ぐのであった。


 そんな彼女が森の奥で舗道ほどう沿いの宿を見つけたのは、すっかり夜も更けて月が大分高い位置に上った頃であった。相変わらず狗々裡が追いかけて来る気配が無いことを寂しく思いつつ、古いながらも立派な小屋の戸を開く。

応舟と商業の町をつなぐ宿だからなのか、小屋の中は昨夜の町の宿と比べると随分賑わっているようであった。

「いらっしゃい、受付はこっちだよ」

 そして、そんな声に呼び掛けられ、店の右側へ視線を移すと若い女将がひらひらと手を振っている。そのすぐ脇の戸の向こうでは、なにやら大勢の男衆が盛り上がっているようであった。

「ああ、こっちは気にしないで、ちょっと食堂に団体が来ててね。お嬢さんは応舟にいく子かい?」

 問いかけられて頷くと、女将は感心するようにうんうんとほほ笑んで見せた。

「若い力が増えるのはいいことだ。お代は食事代込みで銭三枚だ、食事は好きな時に取れるようになっているから、食堂へ行くといい。ちょっと騒がしいけど、悪い連中じゃないから気を悪くしないでくれ」

 そして静音が持ち物から銭を三枚払うと、その手には部屋番号の書かれた木札が渡された。

どうやら、女将に聞くと入口から近くの部屋らしい。静音はひとまず彼女に一礼すると、荷物を揺らしつつ部屋へと足を運ぶのだった。


 部屋は狭いものの、布団や衣装かごなどの必要最低限のものは綺麗に並べられて居心地は良さそうである。

静音はひとまず布団を準備し荷物をかごにしまい込むと、空腹の限界を感じていち早く食堂へと向かっていた。


 受付の脇を通り食堂に入ると、そこには多くのがたいのいい男たちがひしめき合っていた。

 その手元に見えるのは、おおかた酒の注がれた器。顔を赤くする男たちは、おのおの遊戯札のような物を手に一喜一憂していた。

 民間の食堂、というより酒場に近い感じだろうか。こういう場に初めて足を踏み入れた静音が席に着けずにいると、その中の一人が彼女に気づき仲間に声を掛ける。すると数人が遊戯札を机の上に置き、静音に向けて大きく手招きをした。

 これは、呼ばれるままに進んだ方がいいのだろうか。警戒しつつ彼らのいる席に行くと、席の中でひときわ大柄な男が中央の椅子に座るよう促した。

「こりゃあいい、今夜は野郎だけの宴会になるかと思ってたのに、こんな可愛い嬢ちゃんが来るなんてな。おい料理長、嬢ちゃんに美味いもん持って来い!あと酒もたりねえぞ」

 静音が席についたところで、男はしゃがれ声で店の奥に呼び掛ける。するとそちらの方から、不機嫌そうな小柄な男がつかつかと歩いて来た。

「旦那、この娘さんは普通のお客さんなんだから怖がらせちゃ駄目ですよ。それに酒ならさっき大瓶を持ってきたばかりじゃねえですか」

 普通のお客さん、とは一体──不安に思いつつ静音が小さくなっていると、大柄な男は机の中央の大瓶を大げさにひっくり返して抗議した。

「もうすっからかんだって言ってんだよ、俺たちがどんな思いで酒を飲むかわかってんだろ?せっかく海から上がって来たんだ、生きてるって実感するにゃあこれが一番なんだよ」

 男が言うと、周りの取り巻きもそうだそうだと笑いながら彼をはやした。

どうやら、船乗りの集団か。納得した静音は、呆れ顔の料理長に玄米と焼き魚を注文すると、豪快な男たちをぼんやりと眺めていた。

 大柄な男は顔に多くの傷があり、顎全体に不揃いな無精ひげをたくわえている。服装はよれた緑の衣であり、背中に大きな白い鳥の柄をした刺繍が入ったものを着ていた。

 よくよく見ると、その衣はこの場の全員が同じものを着ており、どうやら食堂の十数名は同じく船乗りのようである。各席で男たちは札を使った賭け事をしているようであり、時折歓喜の声や、悲痛な叫び声が響き渡っていた。

 そんな光景を前に静音は、自分がどこか違う国へ来てしまったような気分になっていた。王宮育ちの静音にとって、酒は大きな祝賀会や儀式の際に高貴な人々が小さな杯で飲むものであり、相手の本音を引き出すための飲み物だと思っていた。

 それが、こんな茶碗のような大きな器に注がれて、一気に減っていくとは。王宮の外の世界がこんな姿をしているのかと改めて目の当たりにし、静音はすっかり上の空であった。

 そんな彼女の様子を見て、大柄な男は髪の短い頭をがりがりと掻いて彼女の方を見た。

「嬢ちゃん、しっかしそんな小奇麗なかっこして、一人で応舟に行くってか?孤児にゃあ見えんが、事情がありそうだな」

 探るような視線に、静音はなんとか正体を勘ぐられないようにとなるべく口調を変えて話すよう心がけつつ答える。

「そうなんです。親と死に別れまして、家を追われたので働き口を探しに参り──来たんです」

 しかし頑張ってみても、未だ丁寧さは抜け切れない。その口ぶりに家元の身分が高いのを察したのか、男はそれ以上の事は聞かなかった。

「そうかそうか、まあ、俺も似たようなもんだ。俺はもっとガキの頃から応舟にいたクチだがよ、あそこに住めば昔のことなんざみんな忘れちまうよ」

 含みを持たせた顔でそう言ったところで、相変わらず不機嫌そうな料理長が両手に静音の焼き魚と玄米、そして脇に酒の大瓶を抱えてやってきた。

 その香りに、静音の腹が我慢できないとでもいうように音を立てる。恥ずかしくて彼女が思わずうつむくと、大柄な男は豪快に笑って「とっとと食っちまえ」とさっそく大瓶に手を付けたのだった。


 食事のさなか話を聞いていると、どうやら大柄な男は丹芭たんばといい、年は三十九、この集団の頭らしかった。丹芭たんばは長い航海を経て久しぶりに地上へ上がったらしく、今夜は仲間が揃って生きて帰った事を祝した宴会を開いていた、との事である。

 すでに酔いつぶれて多くの仲間が机に突っ伏す中、丹芭は眠そうな目を擦り静音に語っていた。

「あんたにとっちゃ災難な日だな、いつもはこの宿も静かなもんなんだ。違う日に来てりゃあ、もう少しゆっくり飯も食えただろうに」

 食事を終えて女中が持ってきてくれた茶をすすりつつ、静音は首を横に振った。

「いえ、おかげで楽しい食事になりました。最近は、独りきりで食べる事が多かったので」

 食事を摂ろうとしない狗々裡を思い浮かべ、しみじみと語った静音に丹芭は不思議そうな顔をした。

「ずっと一人で旅してんのか?そんなかっこしてるくらいだ、旅に慣れてるとも思えねえが」

 丹芭を始め数人が興味ありげに耳を傾けるさなか、静音は苦笑いした。

 狗々裡の事なら、まあ簡単に言えば支障は無いだろう。精霊ということさえ伏せればいいと静音は言葉を選んで語り始めた。

「今朝までは、もう一人一緒に旅する人はいたんですが、その方のことが少し信じられなくなってしまったのです。本当に味方なのか分からなくなって、たまらず隙を見て離れてしまいました」

 その言葉に、丹芭はふうん、と手元の酒をあおって答える。

「人望のない奴だったんだな。だがよ、相手も心配してんじゃねえかと思うぜ。例え本当に信用できねぇ相手でも、嬢ちゃんみてえな子供が自分のせいでどっかで野垂れ死んでんじゃねえかって思ったら気分のいいもんじゃねえよな」

 非難の色を含んだ言い方に、静音は少し胸が締め付けられるような心地がした。だが、子供扱いされた悔しさからか、静音はむきになって言い返す。

「子供ではありませぬ、もう十三です。馬にだって乗れるようになりました」

 その言葉を受け、丹芭は大声で豪快に笑ってみせた。それが余計にしゃくに障り、静音はむっとして眉間にしわを寄せた。

「なぜ笑うのです」

 怒った静音にすまんすまん、と軽く謝り、丹芭は一息ついてから答える。

「だがよ、十三はまだまだガキのうちだ。うちの娘も十五になったとこだが、まだ大人になったとは認めてねえよ」

 そして、彼は器に酒を注ぎつつ続けた。

「大人になったつもりでいるのはいいが、自分を過信するのはやめときな。あんたの仲間も、あんたがガキだって思ってたのは間違いねえ」

 一体、どこにそんな自信があって言うのか──反論しようとしたところで、不意に丹芭の目が真剣なものになる。

「そいつ、あんたの肩にちゃあんと“迷子札”を付けてったみたいだぜ。あんたとはぐれる事はしっかり考えてたみてえだな」

「迷子札?それは一体」

 丹芭の言葉に眉をひそめて指差された左肩に手を置くと、そこには薄い一枚の札があった。驚いた静音がそれをめくって手に取ると、札には見たことのない文字で何やら書かれていた。

 その札をじっと見つめ、丹芭は太い腕をぎゅっと組んで口角を上げる。

「そりゃあ、昔から白蓮で使われている秘術の道具だろう。今になってお目にかかれるたぁ思わなかったが、珍しいな、こういったのを扱える人間は呪術師くらいのもんだと聞いていたが」

 そう言った彼の目は、もはや笑ってはおらず、探るように札を見つめる。恐ろしくなって静音は札を机に置き、身を震わせていた。

 一体、いつこんなものを?記憶を辿るうち、彼女は今朝の事を思い出していた。

 そういえば、森に入る少し前、王宮兵が来ると知らされた時。狗々裡が不意に、自分の肩を叩いた。あの時なら、きっと札を付けられる。確信を持った静音は、救いを求める目で丹芭を見た。

「この札、一体どのようなものなのでしょうか」

「まあ、別に呪いだとかそんな類のものじゃあねえよ。ただ、自分の気を札に宿らせ、札を貼った相手の居場所を探すときにその気を辿っていくんだ。相手の気は読めなくても、自分の気は共鳴するらしいからな」

 そう説明した丹芭に、仲間からの驚きの視線が集まっていた。

「すげえ、お頭、いつの間にそんな勉強してたんです?呪術師になるなんて聞いてませんぜ」

 そして仲間の一人がそういうと、彼はうるせえ、と一喝した。

「ガキの頃に長老が教えてくれたんだよ。丁度、そういう訳のわかんねえ集団が応舟に来たことがあったからな、気を付けるべき事は学んだつもりだ」

 すっかり赤らんだ顔でそう言い、丹芭は札を手に取った。そしてしみじみと眺めると、穏やかな顔を作りそれを静音の方へ押し出した。

「随分変わった仲間がいるらしいが、悪い奴じゃねえだろう。悪もんなら、もう少し見つかんねえ場所に札を隠すだろうからな」

 そう言って、彼は器の酒を美味そうに飲み、おもむろに静音の背中をばんばんと叩いた。

「ま、もしなんかあったら食堂に来い。ここで会ったのも何かの縁だ、起きてるうちなら助太刀するぜ」

 そう彼が言うと、周りの男たちも一様に声を上げて静音の方を見ていた。

「ありがとうございます、丹芭さん。その時は、ぜひお願いします」

「おう、背中の白鴉しろからすにかけて」

 そう言って丹芭と静音は笑みを交わし、静音はこの奇妙な宴会をあとにしたのであった。

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