第3話:白水の里

 参


 兄がまだ生きているということ、そして父王の精霊──双白そうはくの目論みを知った静音。彼女は改めて狗々裡と契約を結び、精霊との繋がりが深いとされる白水の里の民に協力を仰ぎに行くこととなった。

狩猟小屋跡の廃墟で一通りの情報を伝えた狗々裡は、小屋にあった白蓮地図を懐にしまうと腰を上げた。

「行くと決まれば急ぐぞ。ここから白水の里へは十日ほど掛かる、今宵は北にある町で物資を調達する。お前の腹も満たさねばならん」

 そう言われ、静音はようやく自分が空腹である事に気づかされた。そういえば、漁村でもあら汁をごちそうになっただけである。そして彼女はふとあることを思い出し、立ち上がりつつ進言した。

「そういえば、漁村で私を助けて下さったご老人にお礼を言っておりませんでした。狗々裡さん、一旦お礼を済ませてからの出発ではいけませんか」

 妻が戻ったら、粥を作らせよう、と言った老人の言葉が脳裏をよぎる。

何日も寝込んでいた見ず知らずの自分を介抱した人々になんの礼もせずに立ち去るのは、あまりに失礼ではないか──そう続けるも、狗々裡から返ってきた答えは淡々としたものであった。

「村へは戻らん。粥はその老人の夕食とすればいい」

「そんな、命の恩人ですよ!奥方様も、ずっと付きっ切りでいてくれたとおっしゃいました」

 てっきりその程度の時間の猶予ならもらえるとばかり思っていた静音は、納得いかない様子で食い下がる。しかし、狗々裡の方も徹底して考えは曲げなかった。

「もう、それならば私一人でも行きます。この衣もご老人からお借りしたもの、返すついでに自分の衣を受け取って──」

 頑なな契約相手にしびれを切らした静音がそう強引に廃墟を出ようとすると、力強く腕を引かれその歩を止められてしまう。

 静音は苛立ち離すよう声を上げるも、狗々裡は眉間に深くしわを刻み彼女の腕を掴む力を強くした。

「お前が狙われているという事をもう忘れたか。王宮兵が村にたどり着いていたらどうする?わざわざ白蓮王室の紋章の入った衣を着てうろついてみろ、お前に掛けられた懸賞金のためならその老人とて味方でいる保証はないぞ」

 そうはっきり言われ、静音は反論の言葉も無くうなだれてしまった。

 本当に、追われる立場になってしまったのだ。自分に降りかかりえる危険を具体的な例として聞くと、何も言えなくなってしまう。静音はあら汁をよこしてにっかと笑った老人に心の中で謝罪しつつ、狗々裡にも頭を下げた。

「申し訳、ございません」

 数日前まで王宮は、当たり前に自分と家族がいた場所なのに。もはやその全てが自分に牙を向いているという事に息苦しさと憤りを感じつつ、静音は気持ちを切りかえるべく無理にでも笑顔を作った。

 その様子に、狗々裡もようやく腕を離し、浅いため息をつく。

「解れば話は早い。お前は、今日から自分を隠さねばならない。まずは服装もそうだが、その言葉づかいも改めろ」

 狗々裡の思わぬ言葉に、静音は目を丸くした。

「言葉づかい、ですか」

 生まれてこの方礼儀正しくと育てられた彼女は、改めるべき場所がわからなかった。その顔を見、狗々裡は呆れたように片眉を上げる。

「そんなに丁寧に話すなということだ。人は、自分と違うものほど印象に残るからな。そんな話し方の若い娘がいれば、誰だってお前の存在を印象的なものとして記憶してしまう」

 言われてようやく、確かに、と納得した。だが、突然言われても直せはしないもので、極めて普通に話そうとするもどうしても不自然さの残る語尾になってしまった。

「すいません、やってはみたのですが」

 申し訳なさそうに頭を下げる静音に、狗々裡は苦笑いで答える。

「まあ、固くなりすぎぬよう努めればいい。地方の令嬢とでも名乗れ」

 どうやら、諦めたようであるが、それはそれで静音は面白くなかった。

こうなれば、意地でも変わらねば。彼女は密かに、心の中でそう決意したのであった。

     *    *    *    *

 その頃、白蓮国の西端の山林に位置する、白水はくすいの里にも王宮陥落の報せが書状にて届けられていた。

 白水の里は白蓮国の一部にありながらほぼ独立した集落であり、白水の首長を中心として独自の文化を築く自治領である。

一応は王宮と同盟関係にあり、有事の際は白蓮国の一員として戦うよう協定を結んではいるものの、他国との貿易などは独自の人脈を通して行っている。そのため自治領を守るための軍は王宮兵とは別の、白水の民により組織された〈白水軍〉というものを抱えており、その力は他国からの攻撃を幾度となくはねのけてきたという。

 そしてその力を認めるのは王宮も例外ではなく、王宮陥落の報せを運んだ白蓮特使はもう一つの書状を手に白水首長に謁見していた。

「この度、白蓮王室は多大なる被害を被ったうえ、王宮とて今の状態ではいつ何時他国に落とされるかわからぬ。首長、貴公の私兵を何名か王宮の守りに回してはいただけないだろうか」

 初老の特使とは打って変わって、嘆願相手の白水首長はまだ年端のいかない青年である。歳の頃は二十といったところか、それでも相手を見定める瞳の鋭さはさすがに他国との取引で鍛えられているのか、と初対面の特使にも一目で見て取れた。

 首長は特使の書状を一目見、すぐに側近に渡す。そしてくっきりとした目元に影を落とし、大きくため息をついた。

「特使殿、何名か、という言葉の意味をお間違えではないか?この書状によれば、白水の里をまるごと王宮へ移すよう嘆願しに来たようだが」

 脇息に体重を預けつつ、首長は不機嫌そうに書状の一部を指差し抗議する。しかし特使も負けず劣らず握る拳に力を込めて身を乗り出した。

「国の一大事なのですぞ、首長殿。このまま崩れ果てた王宮で残された兵を配備しようとも、せっかくお守りいたした王を守りぬく事は困難。こういった時の為の同盟関係ではないのか」

 語気を荒げる特使とは裏腹に、首長は呆れた様子で苦笑する。そして自らの脇に立つ書状を手にした側近に目配せすると、彼より幾分か年上に見えるその男は、主に代わって特使へと返答した。

「恐れながら特使殿、我が里と王宮の同盟関係はあくまで有事の際のもの。国家を脅かす戦でも起きていない限りは、我らにこの里を離れる義務はありませぬ」

 側近がそう淡々と答えると、特使は拳で板床を叩いて目を見開いた。

「今がその時ではないと申すか!王宮の状態を知らぬが故の言葉ではないか。落ちてからでは遅いが故に、こうしてこんな山奥まで嘆願に来たのだ」

 特使はそう早口に言うと、はっと我にかえったと見え、目を細めている首長に深く頭を下げて続ける。

「頼む、国家存続の危機とあらば貴公らも無傷では済まなくなるはず。数はその書状の半分でもいい、貴公の兵をお貸しいただけませぬか」

 そうまで言われ、首長が救いを求めるように側近を見ると、彼もまた困惑顔で肩をすくめていた。

 こうなれば、仕方がない。首長はしばし考え込んだ後に、太い眉を吊り上げて姿勢を正した。

「そうまで言われては、意地でも貸さぬという訳にはいかぬな。了解した、明日にでも兵をそちらへ派遣しよう」

 そして、側近から先ほどの書状を受け取ると、特使の要求を受け入れる旨記載し、その隅に名前を書き入れた。その様子を固唾を飲んで見守っていた特使も、首長の名と白水の首長印の捺された書状を受け取ると、安堵の笑みを浮かべていた。

「恩に着る、首長殿。この礼は必ずや国王によって成されるであろう。貴公の里に繁栄のあらんことを」

 そういって、特使は白蓮の伝統的な礼をして、首長の元を後にした。

「全く、面倒なことになったものだな」

 その背中を見守っていた首長は、特使の姿が見えなくなると手元の酒を煽る。

側近に執務中に飲みすぎだとたしなめられるも、首長は楽しげな笑みを浮かべて言った。

「しかしあれの言うことが正しければ、これから嵐がくるな。王宮を襲ったのが妖ならば、精霊との繋がりが深いこの里は要となる。その時までに、我らが白水軍をしっかりと強化しておけ」

 その言葉に、側近の男は神経質そうな顔をさらに険しくして、首長の杯を取り上げて答えた。

「その為には、首長であるあなたがしっかりして下さい」

「違いない」

 そして、首長は声を上げて笑う。その笑い声は、風に乗って帰路についた白蓮特使まで届いていた。

「生意気な、辺境の国王気取りでいるつもりか」

そう毒づきながらも、特使は手元の書状を風に取り落とさぬよう、腰元の袋へと仕舞い込み白蓮王の元へと急ぐのであった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る