第8話 ひっぱりっこ

 翌日、また再び小手指と一緒に昼食をとる。

 流石にデカ盛りシリーズには懲りたのか、俺が持っている巨大弁当を見てカタカタと怯える一場面もあった。


「さて……だよ」

 俺は小手指と一緒に食う。その予定だったのは間違いない。

 じゃあ何が問題かというと、社会科準備室に向かう階段に、今までになかった人物が存在していたことだ。


「はっろー。ねえここ寒くねぇ? 私ブランケット持ってこようかな」

「いや……なんでここにいるんだ。そんなに寒いなら、教室で食えばいいんじゃないかな」

「ぶーぶー、冷たいなぁ。いーじゃん、たまには。私だって階段飯したーい」


 中城がパステルピンクのお弁当箱を取り出して、かちゃかちゃと振っている。

 蓋にはデコレーションがされており、やたらと星やハートが乱れ咲いていた。


「まあ、学校のどこで食べるのも中城の権利……か。小手指さん、大丈夫?」

「…………」

 ブレザーの裾がぎゅっと引っ張られる。

 これは背中を貸して、のサインだ。


 俺は中腰になり、月読黒板を小手指に広げる。

 さて、何を書いて来るのだろうか。ちょっと恐怖を感じている自分がいる。


『や』


 うん、これは『や』だね。

 続きはなんだろうか。


 だが小手指の指は動かない。いつもは書いたり跳ねたり、丸付けたりで大忙しなのだが、この場に限っては、たった一言のみ。


「なにしてん? はやくたべよーぜー」

『や』


 えぇ……。

 薄くて細い、小柄の小手指は、頑なに拒否を示している。

 真逆に、健康的で色々大きい中城。

 これはいわゆる、『どっちを取るの?』っていう試練だろうか。


「ほら、ここ開けたし。座れ座れー」

『や』


 ポンポンと階段を叩く中城は、次第に声がデカくなっていく。

 これ以上放置しておくと、あちこちから人が集まってきそうだ。


「わかった、じゃあ俺が真ん中に座るから。小手指さん、今日だけ、ね」

『×』

「このままだと大勢来そうだし……」

『べ』『ー』


 べーって……。

 あっかんべーのべーかな。

 ぷんすこ怒っているであろう小手指だったが、不意にびくんと体を跳ねさせ、俺の横に隠れた。


「なーにしてん? あ、それ私もやったよ、指遊び。おもろいよね」

『…………!!!』

 ぺちぺちと横腹にチョップが入る。

 小手指の長い黒髪が舞い、ついには頭突きまでしてくるようになった。


「イオたん可愛すぎ。何その動き。もうイオたんしか勝たんね」

「いや、まて、誰のせいだと……」


 ごちんごちん。

 小手指は憤懣やるかたないのだろう。とにかく優柔不断な俺に向かって、フィジカルな抗議を続けている。


「うける、私もやろー」


 ドゴンっ!


 中城の水泳で鍛えられた筋肉から繰り出された額は、ある意味凶器に等しい。

「んがごっ!?」

 あばら、あばらがいく!

 一撃がどっしりと重いんよ。マジでこれはきつい。


 右サイドから小手指が。左サイドから中城が。

 延々と俺の脇腹に頭突きをする会場になった、社会科準備室への階段。

 恐らくこんな現象が起きてるのは、地球上を探してもここだけだろう。


「おわっと……ととと」

 不意に体が右に流れる。いつの間にかささやかな攻撃を止めた小手指が、俺の腕をがっしりとホールドしていた。

 

 ぐいっ、ぐいいいっ。

「ちょ、小手指さん。倒れる倒れる」

「…………ッ」


 どうにか俺を引っ張って、中城から離そうとしてるのだろうか。

 小さな体をすべて使い、必死に足を踏ん張りながら、鼻息荒く。

 ふんすー、と聞こえそうなほどに、小手指は一生懸命になっているようだ。


「はぁぁぁああああ、イオたんマジ天使のきゃわたん。私もやるやる!」

「…………ッ! ッ!」


 中城の引き込み力がえぐい。

 160近く身長があるが、俺とはそれでも20センチほど差がある。

 しかし伊達に体育会系ではなかった。ちみちみと兎がニンジンを食むような、反動の少ない小手指とはまるで違う。

 まるで一本背負いでもするかのように、思いっきり吸引されつつあった。


 両手に華と人は言うかもしれない。

 確かに二人とも学年ランキングで上位に入るほどの美少女だよ。

 なんなら、つつましいものと、遠近感のないものが腕にぷにぷに当たってもいる。


 まさか二人を直面させると、これほどの反発力が生まれるとは思わなかった。

 俺は飯を食いに来ただけだ。静かに過ごして、買ってきたお茶をすする。

 そのはずだったんだ。寧ろそうであってほしかった。


「痛い痛いって、腕が割と極められてるから、折れる!」

「大丈夫だよー。イオたんと一緒に、私の方へカモンっ!」

 ぱちりとウインク。ビューラーで丁寧に仕上げられた長い睫毛が、羽毛のように踊る。中城はこれ、天然でやってんのかね。


 しゅしゅしゅっ、しゅぱっ。

 小手指の指が、俺の背中で激しく乱舞する。

 体全体で俺の腕にしがみつき、否、ぶら下がるレベルでくっついている。それでもコミュニケーションはやはり指だったか。


『う』

『わ』

『き』


 うわき……。

 ええええ……。

 思わず小手指の顔を見ると、人形のように端正な顔をしかめっ面にし、うっすらと涙ぐんですらいるのが分かった。

 

『うわき!』

『だめ!』

『や!』


 小手指の中では、中城……グス子は敵として認識されたようだ。

 そしてあえて言おう。俺はまだ小手指とつき合ってない。

 でもこれは、どんな意思表示なんだろうか。

 

 そんな風に頭に迷いが生じた瞬間だった。

「うおおっ!?」

「きゃっ」


 中城が強く引いた瞬間と、脳のエアポケットが重なった。結果として、俺は小手指を抱き留めたまま、中城の方に倒れ込んでしまう。

 そのまま身体の上に落ちるのは不味かろうと、必死に廊下のリノリウムに身を投げ出した。


 ゴキン、と違和感ありありの効果音が鳴る。

「いってぇ……おい、中城、だから危ないって言ったじゃないか」

「えへー、ごめんごめん」


「小手指さん、大丈夫? ケガはない?」

「…………ぅぅ」

 

 一気に小手指を持ち上げ、抱えたままあちこち確認する。

 頭でも打っていたら大変だし、出血でもしてたら大問題だ。


「お、いいねー。ノート、ちょいこっち向いてみ」

「今それどころじゃないだろ。小手指さん、痛いところはない?」


 小手指は指で、弱々しく俺の胸に文字を書く。

『むね』

 ……! 

 

 抱えたままだったから、倒れた際に圧迫してしまったのだろうか。であれば、一刻も早く保健室へ行かなくては。

 慌てる俺を中城が制して、一言。


「ノート、よく見てみって」

「何を?」

「イオたんの顔と、姿勢」


 言われて気づいた。

 俺は小手指をお姫様抱っこし、持ち抱えていたことに。

 小手指は自分の胸に手を当て、すーはーと息を整えようとしている。顔もリンゴのように赤くなっていた。


「小手指さん、ケガ……無いの?」

『むね』

 

 やっぱり胸部が……。問答してる場合じゃ――


『こ』『の』『ま』『ま』


 頭が真っ白になる。

 おずおずとした掴まり方だった小手指の手は、いつの間にかガッシリと俺の制服を握っていた。

 

「はーい、動画撮ってるよー。ノート、イオたん、はいチェキ!」

「ふざけんな! 消せ、今すぐ消せ! カメラ回すな!」


「あっはははは、さいっこう。これ絶対バズるよねー」


 気がつけば昼食の時間、女子トイレに籠城を決め込んだ中城に降伏勧告をし続けた。無論、小手指をお姫様抱っこしたままで。


『あ』『ん』『し』『ん』


 小手指はずっと文字を書き続けていた気がするのだが、記憶が朧気で曖昧だ。

 後日になるが、俺はノートとイオレットなどと呼ばれ、大いに冷やかされることになる。

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