第5話 すぱい

 四月下旬になり、陽気はますます元気に俺たちを照らすようになった。

 麗らかというにはやや強すぎる光に、眩しすぎると抗議の視線を合わせることさえ出来ない。


 そんな登校途中の一コマも、ちんまい闖入者の登場によってやや活気を得ることになった。


「小手指……だよな。なんで電柱の影にいるんだ?」

 そう、まるで昔を懐かしの探偵映画のように、電柱の後ろから俺を見つめる双眸が輝いていた。

 密やかに、そして意志強く。

 多分だが、そんなナレーションでもつきそうなほどにこちらをガン見しているのだった。


「おはよう、小手指さん。えーと……何してるの」

「…………ッ!?」


 小手指はダッシュと言うにはあまりにもスローモーな動きで、別の電柱の影へと移動する。

 いや、めっちゃバレてるから。


「いや、小手指さん、どうして逃げるの?」

「ッ!」


 そしてチマチマと走り、別の電柱へ。

 なんだろう……子猫を追い回してる気分になる。もしかして気づかない振りをすればいいんだろうか。

 いやいや、流石にそれはないか。

 現に今も、電柱の影からは黒くて長い髪が、ふわりと風に揺れて舞っているのだ。

 スルーする方が無理というものなんだが……うーむ。


「あー、気のせいだったなぁー。よし、それじゃあ学校に行くか!」

 百人聞いたらほぼ全員が嘘臭いと思うだろうセリフを吐く。

 小手指の姿を追っていくと、学校方面からどんどん遠ざかってしまうし、どうやら尾行していることには突っ込まれたくないご様子だ。


「よし、じゃあ俺は歩くぞ」

 多分俺は、陽気のせいで知能指数が少し下がっていたのかもしれない。

 朝からこんな間抜けな一人芝居をするのはどうなんだろうか。

 ご近所さんに見られたら、まあ月読さんの息子さん、少々おイカレになられてますわ、とでも噂されるかも。


 てくてくと歩き始めると、小手指はしゅたたたた、と影から影へと移動してついてくる。

 時折振り返ると、ワンテンポもツーテンポも遅れて隠れるのが、なんだか可愛らしかった。


「マジで何がしたいんだ……小手指マスターへの道は遠い」

 悟りの境地に達するのが先か、それとも学校につくのが先か。

 仙境と現実の狭間で揺蕩う俺の思考は、小手指の行動如何によって変化するだろう。


 とてててて。

 べちん。


 なんだか嫌な音が聞こえた。

 急いで後ろを見ると、小手指が頭を押さえてうずくまっている。

 かなり痛そうに見えるが、まったく声を出さないという。多分常人だったら悲鳴の一つでも上げているに違いない。


「小手指さん、大丈夫? ちょっと診せて」

「! ! !」

 おでこには赤いタンコブが出来ていた。ぷくーっと腫れていて、なんだか今の小手指のやるせない気持ちを表しているかのようにも思える。


 涙目になりながら、小手指は俺の背中にまわり、ぺしぺしと叩いて合図する。

 いつものコミュニケーションが始まるらしい。


 しゅしゅしゅっ、しゅっ。

「いや……書かなくても分かるよ、うん」

 小手指が書いたのは『い』『た』『い』だ。

 まあね……電柱にゴチンとぶつかれば、人は大抵悶絶する。

 問題はなんでそんな遊びをしていたかってとこなんだけど。


 しゃっ、しゃしゃしゃっ。

 小手指は痛みに耐えているのか、いつもより強い筆圧で背中に文字を書く。


「ええと……『い』『つ』」

 いつ? 

 なんだ。俺知らない間に小手指の気に障るようなことでもしてたのだろうか。

 

 すると小手指は、手のひらで俺の背中を左右にこする。

 なんだ、この動きは。今までにないパターンだぞ。


『つ』……を書いて、それをゴシゴシとする。

「あ、そういうことか!」

 頭に電球が灯った。つまりこれは黒板消しだ。前に書いた文字を消しているというジェスチャーだろう。


「OK、『つ』は取り消しなんだな」

 大きな花丸を一つ。心なしか指が嬉しそうだ。


『い』『つ』


 ……さっきと変わらないように思える。

 なんだ。小手指は何を伝えようとしているんだ。

 俺は中腰になりながらも、必死に脳みそからアイディアを絞り出した。

 

 黒板消しを使っては『つ』を繰り返して書く。

 ん……待て、待てよ。

 さっきから文字が小さくなってきてるような。


「分かった、つまりは小さい『っ』だな。すると……『いっ』まで解読できるね」

 ぐるぐるぐるのぐるりんこ。

 ものすごい勢いで丸を付けられる。小手指赤ペン先生は機嫌が直ったらしい。


『し』『よ』

 しよ!?

 な、何を? あ、いや……取り乱した。

 まさか小手指が白昼堂々、えぐいことを書きこんで来るはずもないな。

 いや、落ち着け俺。先のワードと組み合わせて……だ。


『いっしょ』


 あー……その、これは。

 つまり小手指は、一緒に学校に行きたいってことを伝えたかったのか。

 かあっと顔に血が昇ってくるのが分かる。


 通り過ぎる人々は、ノッポの俺と小さい少女の、二人だけの秘密のやり取りを見て、不思議に思っているかも。

 それとも、俺たちの関係性はどう映っているのだろうか。

 いや、これは小手指の好感度が、以前よりも上昇したイベントの一つかもしれない。でなければ、こんな朝早くに俺を待ってる理由がないから。


「学校、一緒に行こうか」

『い』『え』

 え、違うのか。

 待って、俺今すげえ恥ずかしいこと言っちまったぞ。

 そうだよな、きっと何か用事があっただけかもしれないしな。くそ……早とちりしてしまった。


「ごめん小手指さん、なんか一人であたふたして。ちょっと寝ぼけてるのかも」

「…………」


『す』


 ん?

 い・え・す。

 問い『一緒に学校に行こう』

 答え『いえす』


 わかるか!!

 思わずカバンを放り投げそうになったが、かろうじてこらえることができた。

「…………ッ」


 小手指は既に、俺のブレザーの裾を掴んでいる。

 つまりはこのまま……服を握った状態で登校せよと。

 それはミッションインポッシブルではなかろうか。

 目立つ。超目立つ。

 俺はいいんだが、小手指が変な噂に巻き込まれるのは避けたい。


「その……いいの、小手指さん?」

「…………」

 裾が強く、そして熱く握られる。


『お』『ひ』『さ』『ま』

 背中に文字が綴られる。それは本日の晴天を表しているのか。それとも小手指の心の晴れ渡り具合を示しているのだろうか。


 分からない。でもそれでもいいか。

 四月の陽気に紛れ、俺たちは猫のようにするっと歩いていこう。


 今日も小手指の姫カットされた長い黒髪は、尻尾のようにゆぅらりと空中をお散歩しているのだった。

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