第4話 おべんと

 古文、漢文、現代文。それに外国語。

 世の中には数多くの筆記方法があり、それぞれ得意不得意はあるだろうが、皆必要性に駆られて習得していくものだ。


 中には趣味と実益を兼ねて覚える人もいるだろう。だが少なくとも俺には言語を巧みに扱うようなセンスは生まれなかったらしい。

 憂鬱な時間の一つとしてカテゴライズされるのだが、小手指と出会ってから多少興味を持ち始めたのだから不思議なものである。


「…………!」

 カリカリカリ、と一生懸命に板書を書き写している小手指伊緒。よほど嬉しいのだろうか、現代文という難しい授業にも関らず、小手指は気分上々のようである。

 時折小さなお尻に、天の川のような黒髪が当たっては跳ねていた。

 子犬がおやつを求めて弾むような現象を『小手指ジャンプ』とでも名付けようか。


 周りの皆も当然気づいているのだろうが、うきうきモードの小手指に、あえて水を差すような真似をしたくはないのは、俺も同意である。


 終業のチャイムが鳴り、起立からの礼までの決められた動作を終える。

 さて、とだ。ランチタイムを迎えた俺の腹は、今猛り狂っている状態だ。

 何が何でも口の中に米を突っ込まないと気がすまない。


 リッキーは意外にも今日は母親がお弁当を作ってくれたらしい。

 なので彼は「恥ずかしいから、てきとーに隠れて食ってくるわ」と言い残し、鮮やかに身を隠してしまった。


「ソロでドカ盛りチャーハンも悪くはないんだけどな……微妙に虚しく思えるのは気のせいだろうか」

 そんな俺のたわごとを捕球したのは、意外にも小手指だった。


「…………ん」

 く、また喋った……だとぅ?

 俺の席の前に来た小手指は、アメリカンに親指を立て、廊下を指し示す。

 これが小手指じゃなかったら、いわゆる『ちょっとツラ貸せよ』なシチュエーションに見えるだろう。


「分かった、行くからちょいと待ってくれ」

 今度はピースサイン。今日の小手指は妙にフランクだ。立ちながらも、小手指は微妙に爪先を上げ下げして、うきうきとしているようだ。

 顔は全くの無表情なのだが、目が激しく瞬きを繰り返している。


「…………!」

「OK、じゃあ廊下行くか。何か今日あったっけかね」


 ちんまい警察官に連行され、俺はあれよあれよという間に購買まで。

 軽快な足音は、色々なアニメに出てくる可愛らしい擬音を彷彿させる。小手指ならば、パタパタとかピヨピヨだろうか。


 購買の前につくと、小手指はそのまま生徒の群れに突撃していこうとした。

「はいお待ち。小手指さん、前にそれで酷い目にあったよね。俺が買ってくるから食べたいもの教えてくれるかな」

「…………♪」


 一瞬だけだが、ぱぁっと顔が輝くように微笑んだ……気がした。

 本当に刹那の出来事だったので、即元のポーカーフェイスになっている。

 せめて記憶に焼き付けておきたかった。悔やまれることだが、小手指と一緒にいられれば、この先もチャンスは巡ってくることだろう。


「背中にどうぞ、小手指さん」

「…………」


 するすると指がワルツを踊りだす。

 俺の背中は小手指の自由帳として、今も元気に活動中だ。


「直線五本……ん、これカタカナかな。えーと……『デ』?」

 ぐーるぐる。

 大きな花丸をもらった。

 正解すると小手指は、最近よくお褒めの指捌きを披露してくれるので、ちょっぴり嬉しい。


「次は……『カ』……ん、そのあとは平仮名? 『も』『り』」

 待って。

 この学校の購買部で『デカもり』で始まる食品は、危険思想の具現化とも言える。

 どう間違っても、140センチぐらいの小手指が、箸をのばしていいものではない。


「やめとこうぜ。マジで。あれは俺みたいなデカブツか、ギャンブラーしか口にしないもんだ。本当に量が狂ってるんだって」

 しゅしゅしゅっ。

 小手指の指は止まらない。ブレーキ知らずの暴走機関車と化して、続きを……。

 そう、ろくでもないオチを書いてくれる。


『デカもりちゃーはん』


 よりによってソレか。

「俺は止める気でいるんだけど。本当にチャーハンはネジぶっ飛んでるグラム数だと思うんだ。悪いことは言わないから、この前みたいにサンドイッチにしとこうよ」


 ふるふる、と首を振る小手指。そして指は何度も『デカもり!』と連書きしていた。

「……そこまで言うなら、買ってくるけど。後悔するかもしれないよ」

 大きく丸印だ。つまりは是が非でもデカ盛りにチャレンジするらしい。その固い意志を感じさせる筆圧だった。


「ん? 何?」

 背中にかかる指は、新たな文字を描き出す。


 これは……数字かな。それとも英語……。

「数字の『1』で合ってるかな」

 コクコク、まるまる。

 

 流石に深読みが過ぎたか。よし、じゃあモンスターの群れに突っ込もう。幸いにして俺の高身長によるリーチの長さは、お目当ての商品を上から捕まえることに適している。


 大分もみくちゃにされたが、俺はどうにかデカ盛りチャーハンを確保することができた。やっぱ昼時は戦争なんだよなぁ、と回想する程度には辛かったのだが。

 

 戻ってくると、小手指がレトロな赤いがま口財布から、三百円渡してくる。


「…………!」

「ええと、うん? デカ盛りチャーハン、600円だよ?」

 つんつんと背中を突かれたので、俺は小手指が書きやすいように中腰になる。

 んーっと背伸びさせていては可哀想だから。


「これは『お』……『べ』……『ん』」

 おべんとう、だろうか。

 うんまあ、全くもってそれ以外のものを持ってないわけだが。小手指の真の意図が分からない。


 珍しく、小手指の指がたどたどしく、そしてどこか遠慮がちになった。

「大丈夫? やっぱりデカ盛りはやばいでしょ」

 気を使って声をかけたとたん、指先が意を決したように動いた。


『はんぶんこ』


 頬がかあっと熱くなる。

 小手指と……おべんとうはんぶんこ……ってことか。だから300円だったと。


「量が量だし、仕方ない……か。教室じゃない方がいいよね」


『かいだん』


 スマホをポチポチしてる、小手指の大好きエリアか。確かにあそこなら人気はすくないだろう。


『だめ?』


「だめじゃ……ない」


 俺は思わずサムズアップして答えていた。

 気分はアメリカン。ジェスチャーもアメリカン。でも食べるものはチャイニーズ。


 小手指は例の『小手指ジャンプ』をしながら、髪を撥ねさせて歩きだしていた。

 ちら、と後ろを見て、俺が付いてきてるか観察している仕草がとても印象的である。


 今日のデカ盛りチャーハンは、きっと一味も二味も違うだろう。

 

 ◇


 後日譚になるが、例のデカ盛りを三口食べた時点で、小手指の動きが完全停止した。

 だから言ったよね、これ危険物だって。

 米と油の量が尋常じゃないんだよ。確実に女子力落ちる爆弾なんだよって。


 口を押えて振動し始めた小手指とバトンタッチし、俺は一気にチャーハンをかきこんで胃におさめる。若干引き気味の彼女だったが、世の中の不条理を安全に知ることが出来たのは幸運だったのではなかろうか。


 しかしなぁ……。

 

 初めての間接キス、ニンニク風味マシマシだったのが、なんとも辛い。

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