第2話 階段での戦い

 クラスが変わってまず最初にやることは二つある。

 自分がどんな人間か知ってもらうことと、相手がどんな人間かを知ることだ。

 そうやって気が合う生徒を、クラスメイトから友達として変化させていく。逆に素行が悪かったり、壊滅的に自分と合わない人とは距離を開けていくものだ。

 やがてSNS上では別グループを作って、そちらで話し始めるものである。


「なあノート、もうクラスのグループライン入ってるよな。たまにはなんか言えって」

「いや、何を書いていいのかわからなくてだな……」


 流石にやりすごすのは限界だろうか。実はこういう顔の見えないやり取りはすごく苦手だ。SNSが当たり前の今では珍しい人種なのかもしれないが、俺は面と向かって話す方が好きだった。


「いいんだよ何でも。ラーメンうめー! とか、暇人集合! とかでも」

 リッキーは俺と話しながらも器用にスマホを操作している。

 これだ。この集中力の無さが俺には不誠実だと感じてしまう。こいつに悪い感情は抱いていないが、誰も彼もマルチタスクの一つとして他者と話そうとするのは、少しいただけない。


 本当に相手を尊重しているのであれば、きちんと向かい合うべきではないか。けれどその考え方は古いと言われたことがある。気軽なSNSの波にうまく乗れていない俺は、一見仲がいいこのクラスで疎外感を感じていた。


「まあそんな固く考えなくてもいんじゃね。こういうのはノリよ、ノリ」

「……そいつが難しいから困ってんじゃないか」


 理樹は気軽に言ってくれるが、俺にとっては至難のわざだ。

 人付き合いは距離感が大事だという。だが、器用さのポイントが足りない身としては、どうやっても相手との関係を上手く構築できないでいるままだ。

 ガキんちょのころは、もうちょっと積極的に交流してたよなと、心のどこかで寂しさを持ってしまうのも無理はない。


「そーいやさー、小手指もラインに入ってこないんだよなー。子猫みたいで可愛いから俺喋ってみたいんだよね」

「確かにクラスでも一人で静かにしてることが多いな。積極的に関わるタイプじゃないんじゃないかな」


 小手指伊緒。いつも一人でポチポチとスマホをいじっている姿が目に入る。

 授業などで指名されると、おろおろしながらも、背伸びして黒板に文字を書く姿が微笑ましい。

 言葉少なく静かな小動物。恐らくはみんな似たような印象を持っていることだろう。


 ふと、小手指と目が合った。

 これだけ眺めていれば嫌でも分かるというものだが、実際に見つめられてしまうと気恥ずかしい。


 小手指は顔を手元のスマホに戻すと、また指で何かを描き始めた。

 気になる。

 どんなアプリか。それともゲームか。

 小手指のような無口系の心をつかむほどのモノに、俺は興味津々だった。

 微かに昨日香ってきた、桃のような匂いが鼻孔をくすぐった気がする。


 背がデカい分、俺は嫌でも目立つ。

 顔はいたって平凡だし、特に気を使ってファッションに気を使っているわけではない。平均値を具現化したような人間が自分だと思っている。


 社会科教師に放課後、教材を片付けるように指示された。

 部活に入っていない俺としては、特に断る理由も見当たらなかったので、唯々諾々と大きな地図表を運んでいた。


 で、だ。

 三階にある社会科準備室目指していた時だった。


「何してる……んだ?」

「…………」

 

 小手指さんが階段にちょこんと座っている。

 春だとはいえ、四月中旬はまだ寒いと思う。事実彼女は小刻みに振動していたので、きっと暖を欲しているのだろう。


「小手指さん、そこ寒くない?」

 たずねてはみるものの、小手指は何も言ってはくれない。

 それ以前に、小手指の声ってどんなんだっただろうか。こうなってくると意地でも会話をしたくなってくる。


「小手指さん、ゲームしてるの?」


「ラインとかって入りづらいよね。俺も中々参加できなくて」


「動画とか見てるのかな。俺もよくサバイバル系のやつ見るんだよね」


 無言にすぎる。

 フルシカトというわけではない。

 俺が喋るたびに一応顔を見て、小首を傾げてはまたスマホに目を落とす。


 しゅっしゅっとスマホ画面をなぞっている音だけが木霊していた。


 しょうがない、さっきから気になってたことを言うか。


「小手指さん、パンツ見えてるよ」

「……!!」


 ガバっと立ち上がり、小手指は階段を駆け上ると踊り場で丸まった。

 こう、猫のようにまるっと。

 膝を抱え、スカートも押さえながら壁に向かってしゃがみこんでしまった。

 

 普段の小手指がするゆっくりとした動作からは想像もの出来ないほどの、電光石火な防御姿勢であった。


「すまん、流石にデリカシーがなかった。じゃあ俺は行くから」

「…………」

 ふすーふすーと、猫の鼻息のような声が響いている。

 正直横を通過するのが怖い。俺はつい余計なことを口にしてしまう、難儀な性格を悔いるしかなかった。


 くいっ。

 横を歩いていた時、不意に袖を引っ張られた。


「おわわっ!?」

 俺はついバランスを崩して床に地図表を落としてしまう。そして引かれるままに彼女の横にぺたんと座る形になってしまった。


「怒ってる……のか? だとしたらごめん、俺が悪かった」


 両手の人さし指を立て、小手指は頭に角を作る。

 鬼の比喩でいいんだろうか。なんともほんわかとした妖怪だと思う。

 

 ぺしぺし、と背中を軽くノックされた。

 つまりは――


「こうやって会話する……んだよな?」

 コクコク、とうなずく。ジト目の小手指は案外レアなのかもしれない。


 しゅっしゅっ。

 俺の背中に、小手指の細い指が走る。

 薄明かりが差し込む踊り場で、俺と小手指は筆談のダンスをすることになった。


「丸まったような曲線……あとは直線か。これは、ひらがなかな」

 ぐるり。

 大きく背中に丸の字を書かれる。どうやら正解のようだ。


「『や』じゃないな……『み』かな」

 またしても大きな丸だ。しかも微妙に縁を小さな曲線でなぞりなおしている。

 これは……花丸だろうか。


「次は……直線四つ。昨日と同じ『た』か」

 花丸に星マークがついた。小手指が怒っているのか楽しんでいるのか、いまいちつかめないでいる。


「みた……見たか。まあ、うん。ごめんよ」

 しゅっしゅっ。

 大きなバツ印の後に、直線三つ。

 

「『H』……って、しょうがないじゃないか。階段に座ってたらどうしても目が行っちゃうんだよ」


 むふーと鼻息が荒くなった気がする。

 しゅしゅしゅしゅ、と背中に二つ文字を書かれた。


「水色……?」

 大きく丸。なんという大胆な告白だろうか。

 けど、確か……。


「ピンクだった気がするけど」


 ぽふんぽふんと、背中をパンチされた。

 本当に見てたのか試してたのか。クソ、また余計なことを言ってしまった。

 

 小手指の優しい雨だれのような攻撃を受け、俺は停戦交渉を提案した。


「何かおごるから。それで勘弁してくれ」

 ピタっと手が止まる。

 しゅしゅしゅ、と指が弾む。心なしかうきうきしてるようにも感じられた。


 書かれた文字は――。


「おしるこ」


 うーん、渋いチョイスだ。

 帰りにでも甘味屋に寄ろう。俺は小手指と一緒に立ち上がり、先生の用事を済ませて学校を後にするのであった。

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