小手指さんは俺の背中に文字を書く

おいげん

文字もじの少女と月読君

第1話 小手指さんは文字を書く

「なんだ、この尻は」


 スカートをはいた少女のお尻が、にょきっとつき出ている。 


 昼の購買は激戦区。小説などでもよくあるシチュエーションだ。人気の総菜パンに重くないほどのスイーツ、そして出来あいの弁当までも売っているのがうちの学校のいいところだ。


 俺、月読納人つくよみのうとは今日も戦果を求めて戦場にたったのだが、思わぬ状況に混乱していた。


 群がるゾンビのように、カウンターに押し寄せる人の間からお尻が突き出ていた。

 壁尻ならぬ人尻になっている。お昼時には似合わない情緒だ。

 スカートがめくりあがりそうになっているのを自覚しているのか、その子のお尻は人垣の間でぷるぷると振動を続けていた。


「どうしたもんかね、これ」

 既に結末を見届けようとしているギャラリーもいる。不謹慎だが俺も気にならないといえばウソになるだろう。だが好奇の目に晒されている状況は気分のいいものではない。


「大丈夫か、引っ張るぞ」

「あ……」


 季節外れの風鈴のように物悲しく澄んだ声が聞こえた。女子の腰に手を当てるのは非常に気まずい。購買で何をやっているんだと誤解を受けても仕方がないだろう。

「よっ……っと」

 スポンと音がしそうな抜け具合だった。少し勢いがつきすぎたのか、俺は背中から床に倒れてしまう。助けた子と言えば、俺の足の上でちょこんと座りこんでいた。


「あいたた、ごめん。ちょっと無理をしすぎたかな」

「ん」

 俺はその子を知っている。むしろうちのクラスでは知らないものがいないほどだ。

 小手指伊緒こてさしいお。それが彼女の名だ。


 小柄で華奢。黒く艶のある長い髪がさらりと揺れ、無機質な瞳は俺を透視でもするようにじっと眺めている。まるで和製のビスクドールを抱いているように錯覚させられるほどだ。

 整った顔立ちは間違いなく美少女としてゾーニングされるのだが、彼女は二年生で同じクラスになってから、授業で指名されたとき以外声を出すのを聞いたことがない。


「こて……さし。すまんがちょっと降りてもらってもいいか」

 このままでもいいか、と思っていたのは数秒前まで。人間膝の上に重しをかけられるのは古来より拷問の一種として使用されている。

 いくら小手指が軽くとも、人一人の体重を受けられるほど俺の関節部は強靭ではない。


 彼女はコクン、と顔を縦に振る。そしてまるで兎か子猫のように柔らかく、しなやかに立ち上がった。俺も立ち上がり、しりもちをついたズボンをはたいていると、小手指が背中に回ってきた。


「ん、何かついてる?」

 もしかしたら掃除が行き届いていなくて、埃の塊でも付着したのかもしれない。親切にとってくれるのだろうか。


 ぴと、と体重がかかる。今までの人生で感じたことのない感触に、俺は驚きで声をあげてしまう。

「何を……してるんだ?」

 

 背中に小手指がくっついている。微かに震えていることから、きっと昼の戦場による後遺症で怯えているのだろう。


 ふいに一点。圧力がかかる。


 真っすぐ、曲がる、止める、はねる。

 人さし指で何かを書いている。小手指は何度も何度も、おなじ動きを繰り返している。何かを伝えようとしているのか。


 しゅっしゅ。

「あ」

 コクコクとうなずく。どうやらひらがなで正解のようだ。


 続けて日本の線がなぞられる。これはわかりやすい。

「り」

 小手指はもう片方の手で、俺の灰色いブレザーの裾をぎゅっと握って、くいくいと引っ張る。これも正解なんだろうか。


 二度短く書かれる点のような線。これは濁点……だろう。

「が」

 もうここまでくればどんな鈍感でもわかる。小手指は背中に感謝をつづっているのだ。もう俺たちを気にしているギャラリーはいない。玄関口近くの、春の風が吹き込むなかで、俺はそっと交換日記の続きに集中した


「次は『と』だろ」

 ぐいっと裾を引っ張られる。心なしかちょっと怒っているようにも感じられた。先を読まれるのは嫌だったのだろうか。違うよという風に頭を横に振る。


 直線が四本。本当に違った。

「た?」

 コクコク。たまに背中に髪の毛がふわっと当たる。まるで昔のお姫様のように切りそろえられており、動くたびに桃のように瑞々しい匂いが鼻孔をくすぐってくる。


 次の文字は三画。伸ばしては丸め、直線が二つだ。

「……や」

 正解、とばかりにぐるぐると指で背中に丸を書く。


「ありがたや」

 途中で軌道修正したのか、えらく古めかしいお礼の言葉をもらってしまった。

 身長百八十近い俺の背中に、百四十ちょいの小手指。背中に書くには結構大変だったに違いない。


「どういたしまして」

 返礼の言葉を出すと、小手指はゆっくりと俺から離れていく。そしてくるっとターンをすると再び購買並ぼうとしていた。


「何を食べたいんだ? 俺が買ってくるから」

 またもみくちゃにされる未来が透けて見える。同じことをループさせるのもかわいそうだ。

 小手指はかなり驚いたように目をきょとんとさせていたが、若干長めの袖をそのままに、俺に財布を差し出してきた。

 なんかお金を奪っているようでバツが悪い。


 背中に記号が書かれる。これは……三角形? そしてそのあとに文字。

「ち」「き」「ん」

 チキンの三角。ああ、サンドイッチか。

「あとで清算するから、そこにいてくれ」


 俺は未だに人だかりができている購買部のカウンターに向かい、どうにか目的の食料を確保することに成功した。

「ほら、これでいいのか」

 ちょっとゆがんでしまったが、ご所望のチキンサンドイッチを小手指に渡す。彼女は俺とサンドイッチを見比べ、そしてぺこんとお辞儀をして去っていった。


 途中で一回止まり、こちらをじっと見てはまたぺこり。

 そこまでお礼を言われるほどのことでもないが、気持ちはありがたく受け取っておこうと思った。


 教室に戻ると、小手指は一人窓際でチキンサンドをほおばっていた。膝の上に白いハンカチを引き、小さな口をせわしなく動かしている。 

 あまり食事風景を見るのは失礼だから、俺も買ってきたチャーハン弁当を開けて、午後のエネルギーに変換するべくスプーンを取る。


「相変わらずドカ盛りチャーハンなんだな。お前の体、ほとんどコメで出来てるだろ」

「これくらいじゃないと食べた気がしないんだよ。ほっとけ」

 俺の前に座る友人の、伊藤理樹いとうりきが、少し金色を入れたツーブロックの頭をかきながらにっこりと笑う。

 こいつは小学校からの腐れ縁で、お互いモテないのも同じだ。


 俺は高い背と人相の悪さが致命的とよく言われる。あまり口数の多いほうでもないし、面白いことも思いつかない。だからいつも腕を組んで音楽を聴いていることが多い。

 理樹—―リッキーはその逆だ。男の俺から見ても、こいつはイケメンの部類に入ると思う。話題も豊富で、芸人気質。しかしかなりの確率でスベるし、割と情けない性格をしているので、喋ると残念な男扱いをされていた。


「なあなあ、さっき購買で小手指と何してたん?」


 好奇心でキラキラと目が輝いている。

 リッキーの青いカラコンを入れた瞳が楽し気に俺を見ていた。


「いや、あれはちょっとした手伝いというか。説明するのが難しいんだ」

「そこんとこヨロ!」


 本人が教室にいるのに、余計なことは言えない。

 俺はどうにかごまかすための方便を、必死に考えていた。

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