生まれてくるはずだった存在

「なんで、僕の名前知って……」

 僕のその言葉を遮るように、フードを剝がしながら謎の男の子は言った。

「あんたさあ、亜黒のこと殺したでしょ?」

 全身に虫が這い上がっていく思いがした。この人は、どうして僕だけでなく、亜黒のことを知っているんだ? どうして、僕のやったことまで……。

 もしかして、亜黒の弟? いや、弟がいるって話は聞いたことがない。

「どうして……知って……」

 そう訊くと謎の男の子はニヤッと口角を上げた。

「亜黒が死んじゃったから、あんたのこと、ちょっとだけ調べてたんだー。あ、別に警察に連れ出そうとか思ってないよ。ボクはちゃんとした目的があって君に話しかけたんだから」

 信じていいのか、いけないのか、判断ができなくなる。もしこの話を誰かに聞かれていたら、と僕は恐ろしくなる。

「ん、どうした? 震えてんじゃん。あ、そうか、ボクのこと、あんたに伝えとかないとね。……安心していいよ、ボクはあんた以外誰も見ることはできないし、ボクの声は誰にも聞こえないから」

 何が何だか分からない。この人は、一体何なんだ? 本当に人間なのか?

「じゃあ、試してみる?」

 そう言って謎の男の子は僕の横を通り過ぎ、この道を抜け、そこで踏切を渡ろうとするサラリーマンに声をかけた。

「おーい、そこの人~、会社帰り~?」

 謎の男の子の気軽な問いかけにサラリーマンは何も反応せず、そのまま踏切を渡っていった。

 僕は目を見張る。本当に人間ではないものと、僕は向き合っているのだとはっきりわかった。謎の男の子は僕の所に戻ると、言った。

「ボクのことは気軽にハイイロさんとでも呼んでよ。ボクのことは……生まれてくるはずだった存在とでも思ってくれたらいいかな」

「なんで僕に、そんなこと……。目的って……」

 僕はやっとのことで声を出す。この人が僕を調べたり、僕に話しかけたりしている理由が分からない。

「眞白、あんたに質問していい?」

「え……」

「人が罪を犯した場合、一体どうなる?」

 考えるまでもなかった。

「罰を、受ける……」

「そうだよね! 無期懲役とか、死刑になったりするかもね! まあ、あんたはどっちかって言うと少年院だろうけど」

 楽しくもない言葉を、楽しそうにハイイロさんは言う。そして、ハイイロさんは続ける。

「そこで提案したいんだけどさ、キミがこれから受ける罰を、自分で受けてみたいと思わない?」

 罰を、自分で受ける? そんなことが出来るのか?

「具体的に言うと、ボクはあんたにかける魔法のような力を持ってるんだ。冗談じゃないよ? ほんとほんと。その魔法って言うのが、ちょっと説明するのがめんどいんだけど、言うね」

 ハイイロさんはわざとらしくコホン、と咳ばらいをして、言う。

「魔法の名前は罰欲センサー。その魔法にかかった状態で、自分の体が傷つくと、一定期間内で自分の罪をなかったことにできるんだよ」

 罪を、なかったことにする。大しておかしくもなさそうに、ハイイロさんは言った。

「つまり、僕が魔法にかかれば、僕のやってしまったことが、なかったことになるって、こと?」

「そうそうその通り! 勿論亜黒の死もなかったことになるから、会うことだってできるよ! さっき言ったように、自分の体を傷つけないといけないけどね」

 僕は鞄を持つ手を強く握りしめた。

 踏切の鳴る音と赤い光が、僕の心を急かす。

 亜黒ともう一度会える。そう分かると、僕は声に出していた。

 

 自分を傷つけることが、罰になるのなら。


「言っていることが本当なら、お願い! 魔法をかけて!」


 ハイイロさんは口角を一瞬上げ、言った。

「それは物理的な痛みを伴うよ? たくさんの血を見るかもしれないよ? それでもいいの?」

 罪を消して、亜黒にまた会えるなら、どんな痛みでも受けられる気がした。僕はゆっくりと頷く。

「そう、じゃあ、今からあんたに魔法をかけるよ。目を閉じててね」

 僕は言われるがままに目を閉じた。

 数秒後、僕の手に、ハイイロさんの小さい手が触れ、僕の腕が上がる。ちくっと腕に小さい痛みが走り、やがてハイイロさんは僕の腕を下げた。

「じゃ、開けても大丈夫だよ」

 そう言われて目を開ける。

 僕は痛みの走った腕を見る。何か穴が開いたような形跡はなく、いつも通り、血液の走る腕だった。

 僕はハイイロさんを見る。

「これであんたに魔法がかかったよ。あんま時間がないだろうし、詳しい話は明日にしよっか。じゃあね」

 そう言って、ハイイロさんは消えていった。


 僕は道を抜けて左に曲がり、交差点までの坂道を下る。

 さっきの謎の人との会話を思い出す。

 家から聞こえる家族の会話。通り過ぎる車から聞こえる音楽のテンポ。踏切の音。

 なんだかあの会話が嘘みたいに住宅街はいつもの音を上げていて、僕は、さっきまでの出来事がすべて幻覚だったのではないかと疑い始める。

 目の前にある信号機の赤色と緑色が、夜の住宅街に光を灯している。

 魔法を発動させるには、自分が傷つかないといけないとあの人は言った。

 僕は小学生の時、自分に自己嫌悪の感情が宿ってしまったときのことを思い出す。

 ……眞白の言うこと、私には理解できない!

 お母さんの、悲鳴のようなあの叫び声が、頭の中で再生される。

 もともと、自分は自分を傷つけることを厭わない人間だったのかもしれない。


 そう思ったその時、後ろから耳をつんざくようなクラクションが鳴った。


「え?」

 僕はクラクションが鳴った方向を振り返る。

 自動車が僕のいる歩道に、斜めに突っ込もうとしていた。二つのライトが直に目に入り、目の奥がつんと痛くなる。運転席には、焦る男性の姿があった。

 僕は目の痛みを振りほどいて、何とか逃げようとする。

 けれど、僕の体は車体にぶつかり、一軒家の石垣に打ち付けられる。

「うあっ⁉」

 ガラスやヘッドライトが粉々に割れる音。車体のボンネットが醜くへこむ音。それらが僕の聴覚を奪う。後頭部とコンクリートが擦れ、僕は坂の一番下、交差点の角まで転げ落ち、うつ伏せの状態になる。コンクリートのごつごつとした感覚を、全身が感じている。

 何とか痛みの中顔を上げ、坂の上を見る。

 そこにあったのは、まるで地獄だった。

 僕が放り出した鞄。車道に散乱する教科書やノート。目も当てられない形に変形し、石垣に突っ込む車。転がっているときに僕がつけた血痕。それらを、信号機の明かりや家の車庫の白い光が照らしている。

 やがて、僕の視界の端が赤くなる。頭から血が出ているんだと、僕は分かる。

「うっ……。え……」

 あれ、と、僕はこの状況の違和感に気づく。

 車の中にいる人の動きが、止まっているのだ。息をしていないとか、そんな話じゃない。まるで、時間が止まってしまっているみたいに……。

 どうして……。

 すると、おかしなことが、また起こった。

 坂や石垣に付いた僕の血痕が、わずかに光り、そこから赤いオーラを纏った裁縫糸のようなものが何本も生えてきた。

 なんだ、これ……。

 僕はあの人の言葉を思い出す。

 罪をなくすには、自分が傷つく必要がある。

 魔法が発動したのだと、僕は気づいた。

 僕の目の前に溜まっていく血だまりにも光が生まれ、赤い糸が生えてくる。

 赤い糸は、ニュルニュルと体を伸ばしてゆく。坂道のコンクリートを這い、変形した車を飲み込み、電柱に巻き付き、石垣によじ登る。まるで肺胞にまとわりつく毛細血管のように、そいつはさまざまなものに絡み、面積を増やしていく。

 僕は何とか手を伸ばす。それでも、逃がさないという風に糸がついてくる。やがて糸は僕の視界を包み、世界が真っ赤になってゆく。

 これが、罰欲センサーの効果……。

 僕は微かにそう思い、目を閉ざし、意識を失ってしまった。


 


 気づけば、僕は自室のベッドで、目を覚ましていた。


 

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