第二話 僕に魔法をかけて
この世界のお約束
放課後、亮二に呼ばれてきた場所は、学校のグラウンド近くにある、誰も使わない体育館の裏だった。
「えっと、どうしたの? 亮二君……」
当たり前のことだけど、今ではもう、学校内で亜黒が死亡したという話題が広がっている。そんな中、僕はこれまでにないほどの罪悪感に苛まれていた。僕はずっと、教室の隅で息を潜めるように授業を受けていた。今日は誰とも話していなかった。
周囲の人たちからは、眞白君って亜黒と仲良かったんだよね、とか、眞白君、大丈夫かな? とか心配の声を浴びせられた。亜黒が死んでしまったのは僕のせいなのにと、僕はさらに背中を丸め、机に突っ伏した。
だから、亮二に話があると告げられた時、クラスが一瞬静まって、僕は全身を悪寒が包む思いがした。
「あのさ、そんなこと信じたくないんだけどさ……」
そう言って亮二は僕から目を逸らす。その目線の先の、金網の向こう側では、曇り空に包まれた住宅街がある。
「な、何?」
亮二のその表情からして、いい話が飛んでくるとは到底思えなかった。
亮二は僕に向きなおして言う。
「ちょっとおかしいと思ったんだよ。あの時の事……」
「あの時って……」
そう訊かなくても、亮二がどの時のことを言っているのか、僕は薄々気づいている。
「あっくんが、階段から転げ落ちた時……」
そう、亮二は言う。あっくんとは勿論、亜黒のことだ。
僕は、この場から逃げ出してしまいたい気持ちに駆られる。だけれど、そんなことをしてしまったら、自分から罪をさらけ出してしまうようなものだ。僕は、標本として張り付けられた昆虫みたいに動けなくなる。
「俺はあっくんが落ちたときにその場にはいなかったけどさ、俺、なんか眞白とあっくんが言い争ってる声が聞こえた気がしたんだ」
僕は、膝から崩れ落ちてしまいそうになるのを必死に抑える。動揺を悟られないように、必死に全身の震えを消そうとする。
「俺は、あれが事故死だって思いたいけど、でももしもそうじゃなかったとしたら、俺にちゃんと言って。俺は、眞白が悪い人間じゃないって、分かってるから」
そう言って亮二は、僕の横を通り過ぎ、この場を去っていった。
灰色の空は夜の色に包まれてゆき、灯り始めた街の明かりたちは夜の空気に手を伸ばし始める。僕は一人、スーパーの隣にある広場のベンチに座っている。忙しなく時間通りに走る電車や、隣の高校から聞こえてくる吹奏楽部の音、部活帰りの中学生。街の流れに、僕は一人取り残されている。
空を見上げていると、いつの間にか、亜黒の弾くピアノの曲が頭の中で流れている。水たまりに落ちてゆく水滴のような音色が、僕の頭の中を支配してゆく。それでいて、亜黒の奏でる音色には、どこか暗く深い何かがあって、僕はそこに手を伸ばしてみたいのに、ゆっくりと亜黒に拒まれている気分になるのだ。その音色には、きっと亜黒そのものが宿っている。亜黒の弾くピアノは、音楽の世界からしたらどうなのかはよくわからないけれど、僕はただただ、そんな音色を奏でる亜黒に惹かれていった。
いつの間にか、僕は涙を流している。どうして、と思う。悪いのはすべて僕なのに、死んでしまった亜黒のことを悲しむ権利すらないのに。
僕の頬を伝う涙を、僕はただ邪魔だと思った。
亜黒のよく弾く曲は、昔に世界中を席巻した四人組ロックバンドの、失恋を歌ったとされる曲だ。本当は無くなった母を想ったものらしいが、今の僕にとってはそんなことはどうでもよかった。そのバンドの事は音楽の時間で習ったぐらいでほとんど詳しくないし、そもそも、僕はそんな世界には興味がなかった。ただただ、亜黒の弾く曲に浸っていたかった。
すると、とある歌詞がふと浮かんでくる。
その歌詞の和訳は、僕は以前の半分の価値もない男になってしまった、というものだ。
その和訳を思い出したとき、僕はやめてくれと悲鳴を上げそうになった。頭の中で僕はその曲の再生を止めた。僕は半分よりももっと価値のない人間なんだ。そう思わずにはいられなかった。
僕は、ベンチから立ち上がった。夕飯の準備だってしなくちゃいけないし。心配されるかもしれないし。けれど僕の足は、歩くことを忘れかけてしまっているみたいにおぼつかなかった。
僕の今いる道は線路沿いにあり、もう片方の道には名前の知らない木が並んでいて、ここからはその道は良く見えず、人気が少ない。足取りの重いこんな僕を誰にも見られたくなくて、僕はその道を通ろうと思った。
踏切を渡り、僕は暗くて人のいない一直線の道を歩く。
これから僕は、どうやって生きていけばよいのだろうか。
僕にただ分かることは、このまま罪から逃げ続けてもいいことはない、ということだけだった。こんな状況は長くは続かない。それがこの世界のお約束だ。
だから早く、僕は罪を認めないといけない。このまま逃げ続けたら、僕の罪はもっと重くなっていくだろう。
明日、亮二と話して、僕のやったことすべてをはっきり伝えよう。
……そう、それが、一番いい。
空気が冷たいせいで、僕は冷静になれた。
そのまま、僕は道を歩く。木々の隙間から、コンビニや弁当屋さんの明かりがちらつく。
そして、この道の出口が見えてくる。
そのまま進もうとすると、目の前に立つ電柱に、一人誰かが寄りかかっていた。その人は、小学生のような身長の低い男の子で、僕はなぜこんな子供がこんなところにいるんだろうと疑問に思った。
でも、僕みたいなやつが考えても仕方がない。
僕はその人に気づいていない風を装い、電柱を通り過ぎた。
すると、背後から声を掛けられた。
「あの、すみませーん」
少し楽しそうな声が聞こえて、僕は恐怖で全身の鳥肌が立った気がした。
後ろから電車が通り過ぎ、僕の体は前に進むのをやめた。
無視するのが怖かった。
電車が通り過ぎたときの風が、僕の髪や制服を揺らす。木々が揺れる。轟音が、心を揺さぶる。
僕は、振り返った。
そこには、僕がさっき通り過ぎた人が立って、僕を見ていた。その人は、通行人に道を尋ねるような顔でも、今から襲いにかかってくる不審者のような顔でもなく、友達に偶然出会ったかのような、明るい顔をしていた。少なくとも、僕の知っている人ではなかった。
「え、な、何……」
「えーっとさ、キミの名前は、鳴坂眞白で合ってるよね?」
予想だにしなかった言葉が飛んできた。なるざか、ましろ。それは、間違いなく僕の本名だった。
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