もう二度と日記は書かない

尾八原ジュージ

一週間

 仕事用の資料を探して訪れた図書館の書架に、母の日記が置かれていた。

 大判の画集に混じっていやに小さなハードカバーがあるなと思ったら、何年か前に事故で亡くなった母の三年日記だった。表紙にアニメキャラクターのシールがべたべた貼られているのは、当時幼稚園児だったわたしの末娘の仕業だ。彼女としてはよかれと思ってやったもので、母も嬉しかったらしくそのまま使い続けていた。

 その懐かしい表紙が突然視界に飛び込んできて、わたしは息が止まりそうなほど驚いてしまう。

 本棚から取って裏表を検めた。貸出用のバーコードなどは貼られていない。やはり母の日記だ、と思う。一体誰がこんなところに置いたのだろう。

 そもそもこの日記は、母の葬儀のとき、棺に入れてあげたはずだ。母は生前、日記を読まれることを嫌った。「あたしが死んだら一緒に焼いてちょうだい」などと、日頃冗談交じりに言っていたものだ。

 悪いなとは思いながら、わたしは立ったままページを開いた。「読んではいけない」という良心が、これは運命だ、こうなるべきなのだと叫ぶ何かの声に容易く押し流されていく。

 懐かしい母の字が並んでいた。他愛もない内容ばかりだ。『婦人会の田辺さんからナスとトマトをたくさんもらった』とか『春菜ちゃんが日記帳にシールをいっぱい貼ってくれた』とか、秘密にするまでもないような日々の記録が続く。懐かしい気持ちが押し寄せてきて、わたしは次々にページをめくった。

 やがて亡くなった日の同月にたどり着いた。母の命日の一週間前に、

『図書館で母の日記を見つけた』

 という一文を見つけた。

 ぎょっとして日記を取り落としそうになった。母方の祖母はずっと前、わたしがまだ学生の頃に亡くなっている。

『ずっと前に処分したはずなのに。だが紛れもなく母の日記だ。内容も一致する。延々と私に対する呪詛が綴られている。実の娘をこれほど憎むことができるものだろうか。日記は図書館から持ち出して海に捨てたが、まだひっそりとその辺にある気がして怖ろしい』

 小さな字でぎっちりとそう記した翌日、日記の内容は『二月四日 暦の上では春だが寒い。夕方雪がちらついていた』と、何事もなかったかのように長閑な内容に戻った。死の前日まで何気ない日常は続き、そしてぱったりと途絶えた。

 わたしはとっさに日記をバッグに隠しそうになり、慌ててまた書架に戻した。母と同じ轍を踏んではいけない、と思った。

 本来借りるはずだった本も探さず、あらゆる予定を無視してまっすぐ家に帰ると、わたしは買って間もない自分の日記帳を庭で燃やした。


 今日、あれから一週間になる。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

もう二度と日記は書かない 尾八原ジュージ @zi-yon

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ