思い違い・・・?

ninjin

思い違い・・・ ?

 ニコニコニコ。


 彼に合わせて、私もニコニコと笑顔を返す。


 ニコニコニコ。


 嗚呼、彼が私にこんなにも微笑みかけてくれている。嬉しさと恥ずかしさで、もう地に足が付かないって、いえ、もう本当にふわふわと浮き上がってるんじゃないかしら、私。


 ニコニコニコ。


 そ、そんな笑顔で見つめられたら、私・・・。

 胸の高鳴りを抑えつけようと、敢てギュッと口を結び口角を上げる。


 ニコニコニコ。


 彼は今にも次の言葉のために口を開きそうなのだけれど、だけど・・・、こんなところで・・・、人目もあるのに・・・


 ニコニコニコ。


 ダメ、でもダメじゃない。

 いえ、やっぱりダメ。だって、私は恐らく貴方よりずっと年上で・・・、しかも1年前に妻子持ちにこっ酷くフラれた不倫女。

 一生独りで生きていく・・・。

 貴方の気持ちには応えられないわ・・・。

 でも、だって・・・、だって、でも・・・


 ニコニコニコ。


 そう、貴方は私がまだ寝んネな高校生だった頃に、憧れだったテニス部の先輩に瓜二つなの。

 先輩を遠くから見ているだけだった私には、その先輩の声も性格も本当は分からない。

 それでも貴方に初めて会った半年前のその瞬間、私の中のあの頃の想いが色鮮やかに蘇った。

 そしてその先輩に容姿がそっくりな貴方が、毎日会う度に微笑みかけてくれて、別れの時には優しく『お気を付けて』と声を掛けられると、あの頃の切なくも甘酸っぱい思い出が、一日の疲れを癒してくれていたの・・・。

 嗚呼――

 その優しい瞳で見つめられると、ひょっとして彼も私のことを・・・


 ニコニコニコ。


 待って!

 本当に、今にも口を開きそうな彼に、声にもならない声で、私の心は叫ぶ。

 私は目で訴えかける。『ダメよ、言わないで、少なくともここでは、私、答えられない』と。


 ――あ、あのぉ


 嗚呼、とうとうその時が来てしまった!

 そ、そんな・・・、こんな公衆の面前で告白だなんて・・・

 私は緊張のあまり、手に持ったお財布をギュッと握り締める。


 ――お客様、ええっと・・・、1236円でございます・・・。


 ・・・・・・


 彼の視線が、私から前方斜め下へと流れていく。


 ん?

 私も彼の視線の先を追い・・・


 ‼


 レジカウンター上の吟味台には、100円玉2枚、10円玉3枚、5円玉、1円玉・・・236円・・・のみ・・・


「あっ、す、すみませんっ、やだぁ、あたしったら・・・」


 慌てた私は手を滑らせ、握り締めていたお財布を床に落としてしまった。

 落としたお財布を拾おうと急いでしゃがみ込んだ私は、勢い余ってバランスを崩し、そのまま尻餅をつく格好になってしまって・・・


 もうっ、やだぁっ

 一気に顔が紅潮してきて、涙まで零れそうになる。

 恥ずかしさ、情けなさ、バカさ加減・・・。

 妄想癖のある頭のオカシイ女な私・・・、自分を呪ってやりたい。

 あの甘酸っぱくも幸せだった思い出が、私の中でガラガラと音を立てて崩れていく。


 ――だ、大丈夫ですかっ?


 レジから飛び出して来た彼が、ビックリした顔で私を覗き込む。


 大丈夫な訳がないのだけれど、「大丈夫です」って応答するしかないじゃない。

 もう、やだ、やだ、やだぁ。

 私のバカ、バカ、アホウ、マヌケ、オタンコナスっ

 もう、知らないっ


 彼の手がそっと差し出されたのだけれど、私は勢いよく自らの足で起ち上がった。


 もう笑って誤魔化すしかない。


 よーく考えるまでもなく、私の心の内側なんて誰も知るはずがない訳で、私の甘酸っぱい思い出や妄想だってバレることは無いのだよ。


 私は右の頬を引き攣らせながら、精一杯の作り笑いでお財布から1000円札を取り出して、吟味台の上に乗せた。


 ――では、1236円、丁度頂きます。レシートお渡ししますので、少々お待ちくださいませ。


「あ、いえ、レシートは結構です」


 ――かしこまりました。ありがとうございます。


 彼が深々と頭を下げてお辞儀をするのを横目に、私は一刻も早くこの場を去らねばとばかりにレジ台を離れた。

      ◇


 半年間、仕事帰りに毎日寄ったドラッグストア。

 貴方の笑顔に元気を貰う為だけに通った半年間。

 もう2度と来られない、2度と会えない。


 私は通りの歩道に出るべく急ぎ足でお店の駐車場を横切ろうとしていると、誰かが大きな声で叫んでいるのが背中に聞こえた。


 私には関係ない。

 兎に角早くこの場から立ち去りたい。


「お客様ぁ、お客さまぁ」


 何となく声が近付いて来ているような・・・

 私じゃないでしょう・・・。

 前を向いたまま、私はズンズンと歩道に向かう。


「お客さまぁ、長瀬さーん」


 え? 私?


 名前を呼ばれて思わず振り返ると、少し息を切らした笑顔の彼が、もう一度「長瀬さん」と言って、それから「良かった、間に合って」と付け足した。


「わたし、ですか?」

「はい。すみません、お札、新札だったみたいで、2枚重なってました」

「あら、いやだ」


 もう、本当にいやだ。

 お金を払わなかったり、払い過ぎたり、マヌケ加減と恥ずかしさで本当に顔から火を噴きそうだ。

「では、これ」

 そう言って丁寧に両手で差し出された1000円札を受け取りながら、ふと冷静な思考が頭を過ぎる。


 どうして? 私の名前を・・・


 私が「あの・・・」と言い掛けるより先に、彼が口を開いた。

「すみません、勝手にお名前、お呼びしちゃって・・・。あの、以前、お仕事帰りにいらっしゃったときに、ネームプレート付けたままだったことがありまして、その時に勝手に覚えてしまって・・・。あ、いえ、他意はないんです。あ、いや、その、何て言うか」


 どうしたんだろう?

 彼、何かアタフタしてない?


「あ、僕、レジ抜けてきちゃったんで、もう戻らなくちゃ。あの、長瀬さん、来てくださいね。それじゃあ、ありがとうございました。お気を付けて。おやすみなさい」


 そう言うと彼はぺこりと頭を下げ、踵を返して小走りに駆けて行き、店の入り口で振り返ると、もう一度ちょこんとお辞儀をしてから店に入って行ったのだった。


 『おやすみなさい』・・・か・・・。

 『また明日も』って・・・。


 店に戻っていく彼の姿をボンヤリと眺めていると、不意に冷たい風が頬を掠め、私は我に返る。


 雨が、降るのかしら・・・

     ◇


 結局、翌日も、私は仕事帰りにドラッグストアに寄り道をした。

 彼はその日は休みだった。

 だけどいつもと雰囲気の違う、でもやっぱり優しい笑顔で、ジーンズ姿の彼がそこに居て・・・。

 お店の外でLINE交換・・・。

     ◇


 明日、土曜の午後、彼との初デート・・・。


 今夜は早く寝よう・・・。

 でも、眠れなさそうだよ・・・。


 あ、彼からのLINEだっ。


 私は枕元の携帯電話を手に取った。



            おしまい

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

思い違い・・・? ninjin @airumika

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ