第372話 黒の白紙の聖典

    ▽第三百七十二話 黒の白紙の聖典


 ジークハルト・ファンズムは理解した。

 目の前の幼女。今までも強い存在力を放っていた子どもが、確実に一回りも二回りも世界の真理に迫ったことを。


 一瞬だけ。

 最強最優秀たる騎士ジークハルトは思ってしまった。


(勝てるか?)


 その疑問を認識し、理解した時、ジークハルトの背筋には恐怖と歓喜とが迸った。今までそんなことを考えたことなどなかったからだ。

 思わず口元が緩む。

 ただ剣を握る手だけはいつもを超えて、全力そのものへと変わる。


「太古、人は火を見つけた。農業を見つけた。たったそれだけのことで人は一気に進化した。小さなひとつの発見は世界を変えうる」


 たったそれだけの発見により、弱かった人類種は最強の種族に王手を掛けた。

 期待。それから僅かな躊躇とともに問いかけた。


「……アトリくん、何を見つけたのかね!?」

「自由」

「そうかい!? 大発見だね!?」


 アトリの背後、大量の鎖が触手のように蠢く。

 見ていても意味がない。

 ジークハルトは試す意味も込め、百を超える斬撃を飛ばした。そのすべてがアトリを殺傷しうるし、そのすべてを命中させるつもりで放っている。


 最上の領域到達者でも、人によれば百は死ねる弾幕の中。


 アトリは子どものように笑っていた。

 直後、ジークハルトは吹き飛ばされていた、、、、、、、、、。何をされたのか、それを理解するよりも早く、アトリがジークハルトの頭部を鷲掴みにしている。


 狂ったような満面の笑み。

 表情の乏しかったはずの幼女が――楽しそうに笑っている。


「【奉納・戦打の舞】」


 腹を蹴り破られた。

 だが、そんなことよりもジークハルトが疑問したのは、今の攻撃が【神偽体術イデア・アクション】ではなく、【神楽】スキルによるアーツだったことだ。


 だが、ずっと疑問している暇はない。

 固有スキルを発動する。【雷身】――その効果は自らの肉体を雷に変えて回避、高速移動して雷としてのダメージを与えるというもの。


 アトリが感電する。

 その隙にジークハルトは距離を取り、またもや固有スキルを発動する。


「【月の良き盟友たち】!」


 この固有スキルは月に生息している魔物を友好生物として、一日一回だけランダムで呼び出せる。月の魔物は怪物揃いだ。どれが来ても強い。

 しかも、今回は大当たりだった。

 確率にして百分の一の大当たりである。

 空中に描かれる巨大な召喚陣。そこから神秘的なオーラと共に出現したのは、ドレスを身に纏った数メートルほどの美女。


 月女王・エルメリアシファー。


 他の召喚生物とは異なり、一撃を放てば帰ってしまうが……その実力はカラミティーにも匹敵するだろう。

 何より良いのは回復効果があるということだ。


 エルメリアシファーが光の流星群を発生させた。これによって与えたダメージの千倍、ジークハルトは回復することが可能なのだった。

 ぶち破られた腹の分、回復することが可能だろう。

 いや、これで殺しきることさえできるかもしれない。そう考えたジークハルトだったが、その期待は即座に打ち破られていた。


 アトリがいた。

 何故だか月女王・エルメリアシファーの頭頂部に。


「ちょうど良い舞台!」


 そこでアトリが美麗に舞う。

 エルメリアシファーが邪魔でジークハルトは行動を妨害することもできない。ただ無意味に殲滅魔法が大都会を破壊させていくのみだ。


 星の降り注ぐ街の天井で、幼女が妖精のように舞い踊る。


 魔法が終了してエルメリアシファーが消えた時、すでにアトリは万全だった。

 頭部から生えた狼の耳。

 纏うは光の業火――肉体からは【神偽体術イデア・アクション】のバフ効果が発生している証明として、特殊なオーラが発生している。


 ジークハルトもただ舞われるところを見ていたわけではない。

 回復ポーションも飲んでおいた。バフポーションさえも飲み干し、準備に時間の掛かる固有スキルの準備もしている。


 条件は互角と言えるだろう。


「ふ、互角、互角…………ね。それじゃあ足りねえんだべよ!」


 ジークハルトも神器を真解した。

 存在の余波で土埃や瓦礫たちが一掃される。向き合うのは共に世界の深奥に迫りつつある、人類種最強の二人。


 崩壊した夜の東京……冷たい空気が二人の間を通り抜けた。


       ▽

 ボクが触れたもの。

 それはすべて邪神器化する。それこそが邪神器【黒の白紙の聖典】の効果である。ジークハルトの攻撃に対し、ボクがやったのは簡単なことだった。


 百を超える鎖でそれぞれ小石を持ち、それを投擲しただけだ。


 小石、瓦礫のすべてが一時的に邪神器化していた。瓦礫が持っていた【投擲術】によって、ボクはジークハルトの斬撃をねじ伏せ、ジークハルト自身にもダメージを与えたのだ。

 体がとても軽い。

 ボクの肉体自身も邪神器化しているからだろう。


 すべての舞いも終了した。

 当然ながら【奉納・絶花の舞】も完成してしまっている。


 だがすぐには攻めない。

 ジークハルトとて貯め系の肉体操作ワールドスキル持ちだからだ。だから、ボクはまず様子見のために息を吸い込んだ。


 放つのは――ドラゴン・ブレス。


 ボクの衣服を邪神器化すると放てるようになる一撃である。莫大なエネルギー量の光線が、ボクの口から街を薙ぎ払う。

 ジークハルトが全力で回避行動を取ったのを確認する。


 ブレスにしては大したことのない火力だけれど、ブレスというのは命中するだけで人類種は死ぬのが通例だ。

 避けねばならない。

 避けた先に転移した。


 大鎌を振るう。

 ジークハルトは剣を重ね合わせてきた。さらに神器に莫大なエネルギーが発生し、ボクにダメージが通じる。


 転身の舞の効果によって転移が発動する。

 でも、消えるその前にボクは自らの腕を斬り飛ばしていった。大鎌を握った腕がくるくると宙を舞う。


 鎖で掴んで、そのまま腕ごと振るう。


 ジークハルトは意識外から大鎌が炸裂。彼の首が跳ね飛んで残機がひとつ減る。

 ボクは片腕を再生させる間も惜しかった。

 今のボクの全身は邪神器であると同時、すべてが武器判定されてもいる。【奉納・躰刃の舞】による効果である。


 奥義を発動する。


 大鎌奥義――【崩殺断首】!


 ギロチンが召喚された。その効果は「鎌によるダメージを10回当てると、敵に必中の大ダメージを与える」というものだ。なお、首に命中すれば一発で必中ダメージが発生する。

 その勢いで復帰したジークハルトの首を足で斬り裂こうとして、妨害される。

 彼が召喚していたライオンによる乱入だった。


 全身に雷を纏った猛獣が、けたたましい轟音とともに突撃してくる。


 ボクは鎖でマジック・ホルスターから小鎌を抜いた。それをカスタム・アーツたる【微塵刃】で使用した。

 小鎌が砕け、小さな刃が敵を目掛けて飛んでいく。


 この攻撃はとても威力が低い。

 敵がある程度の防具を纏っていたり、レイドボス級の魔物であればダメージが無効化されてしまうくらいには弱い攻撃だ。


【崩殺断首】の発動条件は【鎌によるダメージを10回当てる】こと。

 つまり0ダメージでは発動しない。

 ゆえにボクは【ライフストック】を投じていた。


「要は1でもダメージを与えれば良い」


 大量の【ライフストック】を使って一ダメージを大量に与えた。それによって奥義が発動する。ライオンの首に枷のようにしてギロチンがセットされ、それが即座に落とされた。


 音もなく、ライオンの首が宙を舞っている。


 その頃にはもうボクの脚刃が、ジークハルトの首に到達しようとしていた。

 さすがのジークハルトは脚を手で掴んで止めてきた。振り回されて地面に叩き付けられる。そこにトドメの刺突が向かってくる。


 ボクは笑った。


 掴まれている足の裏に、闇の道を生み出す。両足が地面に着いていれば、ボクには【奉納・閃耀の舞】が発動できるからだ。

 転移する。

 ジークハルトの刺突が大地を炸裂させる中、ボクは空中で両腕を広げていた。


「ロゥロ!」


 骨の巨人が現れ、ジークハルトに拳を振り下ろす。

 ジークハルトがロゥロを真っ二つにしている隙に、ボクは鎖で半ば倒壊しているビルを引っこ抜いていた。


 邪神器化したビルを投げつける。

 ジークハルトが応じる。


「【世界女神の勤勉ザ・ワールド・オブ・デリジェンス】」


 邪神器化しているビルさえも両断され、お返しとでも言うように斬撃がやって来る。これもすべてが勤勉効果があるらしい。

 ボクが強くて良かった。

 勤勉の効果があれば、一秒以内に命中するなら、すでにボクは殺されている。


 けれど、今のボクは一秒以内に被弾しないくらいに強いのだ。

 ジークハルトの神器は強い。けれど、勤勉の名の通り努力せねば強さが発揮できない、自分よりも弱い相手を殺すことに特化した神器なのだ。


 千の斬撃を、千の鎖で相殺していく。

 勤勉の効果によってすべての攻撃が上回られていく。鎖が砕けていく。だが、邪神器はHPを注ぎ込むことによって再生できるのだ。問題ない。


 鎖の破片が雨のように降り注ぐ。

 鉄の臭い。


「どうやら」

 ジークハルトが息も絶え絶えに言う。

「火力で戦っても、命中さえしないようだね……ならばステージを同じにしよう。いや、超越させてもらおうか」

「やれば良い。ボクのバフを超えるんでしょ?」

「ふふふ、そう! その通りさ!」


 ジークハルトの神器は「勝負に勝つ」能力である。

 バフ量の勝負を持ちかけることにより、ボクのバフ量を超えたバフを手に入れることができるのだろう。


 ジークハルトの速度がボクを超越する。

 たぶん【ヴァナルガンド】だけでなく【奉納・絶花の舞】さえも超越した速度バフ。ジークハルトの姿が掻き消える。


 今のジークハルトは魔王よりも速い。


 ボクの真正面、鼻と鼻とが触れ合うほどの距離。

 そこにジークハルトが居たので顔面をぶん殴った。顔面が潰れ、首の骨が折れ、やがて皮膚が引っ張られて首が地面に叩きおとされた。

 ぐちゃり、と頭部が果物のように潰れる。


 ジークハルトが即座に蘇生して、慌てたように転移で距離を取る。


「な、なにを……今のおいらは確実にあんたを超えてたべな!?」

「ボクには神様からいただいた目がある」


 神様の権能のお一つ。

 固有スキル【邪眼創造】の【遅視眼】を授けられている。


 今のボクのレベルは80。

 MPの総量も一割ほどを永続的に失っている。それによって手に入れたのは、世界をゆっくりと観測することのできる目玉だった。


 気づく者ならば気づいただろう。

 ボクの目が禍々しいオーラを放っていることに。


 これがあったからこそ、ボクは邪神器を真解するまで生き残ることができていた。肉体が回避可能でも、見えなければ意味がなかったからだ。

 さすがのボクでもこの目がなければ、弾幕の雨を視認しきれなかっただろう。


 この目は神様曰く「オーバースペック」のようだった。

 ボクはこの目がなくても大抵の攻撃は見切れる。だからこそ、レベルを20も失い、さらには永続的にMPを一割失うデメリットに吊り合わなかった。


 でも、今回の敵はジークハルトである。


 魔王とジークハルトを除くその他にはオーバースペック気味であれ、弱体化の側面が大きいとはいえ、その二人を想定するならば……必須。

 そう神様はお考えになられた。

 そしてその思考は当然ながら正しい。


 これを神様は「メタ」と呼んでいた。


 ジークハルトがボクを超える速度を持とうが、転移しないならば見切れてしまう。見切れるならば先手を取れる速度が、ボクにはあった。

 もっともカウンターが成功した要因は戦闘スタイルの違いによるものだ。

 ボクは大量のバフを纏い戦う。


 対してジークハルトは大量のバフを攻撃に付与して放つ。


 すなわち、ジークハルトは超ステータスを御する経験が少ないのである。通常クラスのバフであれば初見でも御し切れただろう。

 でも、ボクのバフは尋常ではない。

 ジークハルトはバフを持て余したのだ。


 会場がざわめき始める。

 今のボクであれば、会場中の声を正確に聞き取ることができる。何人か、知っている顔がボクを応援してくれている。


 ボクは笑った。


「うん、頑張る」

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