第370話 彼我の差

    ▽第370話 彼我の差


 ボクはジークハルトのことを甘く見ていたのだろう。


 実力で言うのならば、ボクは今だって十分にジークハルトを殺すことが可能だ。現に何度かすでに殺している。

 勝つことだって難しいだけで不可能とは言えない。

 かなりの窮地であることは本当だが、巻き返すことも逆転も可能な次元である。


 それは冷静で客観的な――事実。

 でも。


 でも、ジークハルトという存在の強さは理論や事実を超越していた。

 何をしても「叩き潰される」感覚が抜けてくれない。おそらく、この戦いの間、ボクはボクの技を信じることができなくなっている。


 何をしても上回られるのではないか。

 その懸念はボクからあらゆる行動の意志を奪い、挫く。


 勝てない敵ではない。

 追いつけぬ背中ではない。

 しかし、目の前を悠々と駆けている存在の背中は、本当にジークハルトのモノなのだろうか。そう思わされてしまっている。


 掴んだ瞬間、それは偽物で……本物はもっと先にいるのではないか。

 得体の知れない感覚。


 ジークハルトには強さを誤認させる精神状態異常付与の固有スキルがある。大した能力ではないそれが、本当に人類最強であるジークハルトが有することによって嫌な強さを持つ。

 大した精神異常でないことから、むしろ対策が少ない。

 わざわざ序盤でリスクを犯してまで【狂化】で払拭するか迷うレベルだ。


「……」


 もしかすれば、これが恐怖というものなのかもしれなかった。いつもならば、ボクは常に神様と共に在る。


 でも、今はボクは一人で戦っている。

 勝てるはず……勝てると思っている。自信はある。戦えるはず。そう言い聞かせている時点で、ボクは…………


「……」

「もう終わりなのかい?」


 ボクは夜の街を駆け抜けていた。

 神様が見せてくれた映画の中の街に近い。その近未来的な街中を駆け抜け、必死にジークハルトの攻撃から逃げていく。


 放たれる光線。

 ビルを貫通してボクを追いかけてくる。それを魔法で迎撃しながら、飛ぶ斬撃を連打してくるジークハルトを警戒し続ける。


「……隙が、ない」

「当然さ。キミの舞いは厄介だからねっ!!」


 ボクの【神偽体術イデア・アクション】はとても強い。しかし、その唯一の弱点として舞わねば発動しないことが挙げられる。

 普通の敵ならば問題ない。

 でも、ジークハルトを前に悠長に舞うことなんて許されない。そのようなことをしている間に二回は殺されるだろう。


 また、純粋な体術としても卓越しているボクだけど、それはジークハルトも同様なのだろうと思う。

 ジークハルトにも体術系の固有スキルがあるようだ。


「想像以上だ!!」


 ジークハルトがビルの屋上で手を広げた。

 月光が反射して眩しい。


「私の神器を迂闊に適応できないとは!! 一秒以内に斬撃を命中させる……確証がないな! 発動を失敗すると反動があるのでね、あははは!」

「っ! ふざけてる」


 ジークハルトの閃光魔法が飛んでくる。

 それを鎖で防ぎ、ボクは小鎌を投擲した。だが、それが命中することはあり得ない。剣であっさりと叩き落とされた。


 すでに街並みは崩壊している。

 ジークハルトが軽く剣を振るうだけで斬撃が飛ぶ。その斬撃の余波がビルに触れる度、街がするりと壊れていくのだ。

 粉塵と熱。

 粉々になった街でボクは必死に逃げ続けていた。


 逃げることに専念せねば、一瞬間後には命を刈り取られているからだ。

 ジークハルトが転移してきた。

 神器を使わぬ、純粋な体術による転移だと思う。ノータイムで剣が振るわれていた。ボクよりもスキルレベルの合計は低いはずだが、ボクを上回る剣術である。


 ジークハルトは体術以外にも、剣術についても統合進化を固有スキル化している。


「【避けるべからずの太刀スラッシュ】」


 避けようと後ろに跳んだボク。

 が、ジークハルトの剣が重力を発生させて、ボクを吸い込むようにして逃がさない。剣がボクの腹を切り裂く寸前、ボクは【遮凡牢錠】を作って防御した。


 鎖が軋む。

 邪神器であるのでどうにか壊れずに済んだ。

 今の剣は敵を吸い込むだけの通常攻撃だろう。それが邪神器を壊しかけている、その火力に戦く。


 ボクはすかさず【ヴァナルガンド】を起動した。

 その瞬間、ボクの死角外から閃光魔法が迸り、ボクの臓腑を貫き去って行った。血を吐く。バランスが崩れた時、すでにジークハルトは背後で剣を振るっている。


「ロゥロ!」


 ロゥロを呼んで肉盾とする。稼げる時間は一秒にも満たないけれど、ボクならば回避することができる時間を作れる。

 ロゥロが砕ける。

 その隙に回転して大鎌を叩き付けた。


 神器と邪神器とが高速で切り結ぶ。

 一秒にも満たない斬撃合戦。この距離、この感覚。このままでは敵の神器の効果が適用されかねないと確信する。


 だから、ボクは右手を犠牲にして斬り合いから脱する。

 右腕を切り落とさせることによって、ジークハルトの強制命中を他の部位に命中させない。


 足が地面に着いているならば、どうにか【奉納・閃耀の舞】は発動できる。一気に転移した先、真後ろで気配。

 ジークハルトが神器を使って、ピタリと貼り付くようについてきた。

 ボクのアーツに硬直はなく、ジークハルトのほうにはある。振り向こうとしてジークハルトの剣がボクの背中を切りつけてきた。


「後隙を消すアーツくらい、私の体術の中にもあるさ!!」


 致命回避が発動している。

 吹き飛ばされている最中にも、ジークハルトの閃光魔法と剣が迸る。また、さらにドローミを仕留めたらしいライオンが向かってくるのが見える。


「【マルクトの一翼】超過解放!」


 ボクは【マルクトの一翼】を超過解放した。お城を作るという素敵なアーツだけれど、これを超過解放することによって頑丈な壁を生み出すアーツにできる。

 ジークハルトの攻撃を城の壁が受け止める。

 城は呆気なく壊れたが、ボクは持ち直すチャンスを得た。


 強引に地面に足を付ける。

 ジークハルトは動くことなく百を超える斬撃を飛ばしてきている。そのすべてがボクを即死させうる威力を内包していた。


 思わず笑ってしまう。

 それほどの火力と手数と射程距離。それをノーリスク、、、、、で繰り出してくる。

 なんでもありだ。


「どうせ死ぬ。【狂化】」


 一撃でも喰らえば終わるならば、ボクの【狂化】にデメリットがなくなる。体術と速度で斬撃を回避していく。

 掠ることも許されぬ、斬撃の雨が横殴りに降り注ぐ。


 また、絶えず頭上からは【ハウンド・ライトニング】がボクを狙う。

 すでに【狂化】を発動した今、あれも喰らえば死ぬだろう。でも、ボクは邪神の使徒だ。そんなうっかりで殺されたりはしない。


 身のこなしと大鎌による斬撃。

 すべてを防ぐ。極度の集中。息ができない。横合いからライオンが弾丸のように突撃してくる。前方の攻撃を叩き落としながら、頭上の閃光を防ぐ。

 横からの攻撃については、ボクは鎖の二本を回した。


「【禁機重縛きんきじゅばく


 一本の鎖が幾重にも別れ、ネット状に編み込まれた。敵を拘束することに特化した【鎖術】のアーツである。

 ライオンが爪を放つ。

 鎖が爪で吹き飛ばされるも、ボクはもう一本の鎖でライオンの尻尾に触れていた。発動するのは【粘の鎖】というアーツだ。鎖が対象にくっつくようになる。地面と鎖とライオンの尻尾がくっついて離れなくなる。


 ライオンは肉体の構造上、自分の尻尾に触れることは難しい。

 巨体ならば尚更だ。

 ライオンが身を捩って鎖を壊すまでには時間がかかる。といっても数秒だろうけれど。


 その稼いだ数秒で――隣から男の声。


「【致命の一太刀スラッシュ】」


 ボクの真横。

 そこに転移してきていたジークハルトがアーツを撃ち込んできている。ボクが【鎖術】を使ったことにより、技後硬直すると見込んでの速攻だ。


 ボクもアーツを放つ。

 使ったのは【奉納・零停れいていの舞】だった。このアーツの効果は「硬直を消して、その直後にMP消費をすれば加速できる」という力だ。


 すなわち、すべてに適応できる【アタック・ライトニング】である。


 ジークハルトの剣に【月天喰らい】をぶつける。

 力でねじ伏せた。

 今のボクには【ヴァナルガンド】に【狂化】、【殺生刃】【オール・ブースト】に【ライフストック】【アタック・ライトニング】まで注ぎ込んだ攻撃力があった。


 ジークハルトの火力は高い。

 けれど、それは固有スキルの火力であって、本人のステータスでいえばバフ全開のボクに劣るのだ。


 全力を出せば、アーツの火力を上回ることはできる。


 ジークハルトが吹き飛ぶ。

 ボクも攻撃の余波で大ダメージを負っている。【狂化】があったのも手伝い、ボクのHPは一桁になっていた。

 すぐに【再生】しておく。


 ジークハルトが地面に華麗に着地する。

 ボクの右方ではライオンが自分の尻尾を引き千切っている姿がある。瞬時にロゥロを呼び出して殴打させた。


 ライオンが肉を撒き散らして吹き飛ぶ。

 ロゥロが雄叫びと共に追いかけていくが速度が足りないみたいだ。消す時間も惜しいので任せておく。


「ほう! 私の火力を上回ったか! さすがに痛かったよ!!」


 ジークハルトは腹部に切り傷を負っている。

 かなり相殺されたようで死ぬようなダメージには至っていない。……ボクが【ライフストック】まで使ったというのに、ジークハルトはアーツひとつで相殺にまで持っていったのだ。


 ジークハルトの一撃は重い。

 が、なによりの脅威はほとんど準備もリソース消費もなしに、あの攻撃が放てるということにある。


 リソースを消費して上回ったボク。

 ノーリソースで攻撃を放ってくるジークハルト。これが彼我の差である。


「……はあ……はあ」

「おや、息が荒いね、アトリくん!! まだ序の口だよ!? 頑張ってくれ!!」


 心が徐々に絶望していくのが解る。

 ジークハルトが無理をしていることは解る。ジークハルトはもちろん全力を出している。まだリソースを注ぎ込む段階ではないだけで、全力であることはたしかなのだ。


 くだらない演技だ。


 だが、その演技をする余裕こそが……ボクを絶望させる要因となっている。昔、神様がジークハルトの人工的な余裕はそれ自体が攻撃である、と言っていた。

 喰らってみれば、たしかにキツいものがある。


 それにあり得ないとは解っていても、本当に余裕なのかもしれない、という疑念がボクを落ち着かせない。

 何故ならばジークハルトは嘘を吐いていないから。


 どうあれ本当に序の口だと思っているのだろう。

 …………鼓動がうるさい。


 ボクは……負けるのか。

 こんなにも一方的に。こんなにも強くなったというのに。


「…………」


 神様。

 と思わず呟きそうになって口を噤む。神様という絶対的な存在に縋ってしまう。今はその時ではないのに。


 ボクは神様をお守りできるくらいに強くなるはずなのに。

 つい頼りそうになった自分に寒気がする。絶望に飲み込まれ、心が弱くなっていることが解る。


 ボクは神様の使徒。

 邪神の唯一の使徒――アトリ。

 弱気なんて許されない。立場には立場に見合う言動と自負とが要求される。ボクは弱気になってはいけない。自信を持たねば、選んでもらったことについての無礼になるから。


 いつもボクは態度で示してきた。

 それがボクの価値だったから…………


 ボクは目を見開く。

 視界はしっかりとしている。しっかりとしている。

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