第345話 話が違う

   ▽第三百三十六話 話が違う


 私はありとあらゆる社交ダンスをアトリに叩き込みました。

 アトリはスポンジのようにそれらを吸収し、表現者として立てる程度には修めました。もちろん、まだダンサーを名乗るほどではありませんけれど。


 動きの良さについてだけならば、一流とも言えるでしょう。


 元々【神楽】スキル持ちですしね。

 大鎌での演舞ならば、私さえも追いつかない「殺意」を表現できるのがアトリです。が、まだ純粋なダンスはまだまだです。


 それはともかく。

 予想外のことがひとつ。……この世界のダンス、私の知っている社交ダンスのどれでもないのですけれど。


 てか、これ、盆踊りに近いのですけれど。


 アトリは平然とシヲを召喚し、美麗で圧巻なダンスを披露しています。私が教えたやつ。盆踊りもどき一色のダンスフロアに異物が燦然と輝きます。

 くっ、と呻く私。


「し、仕方がありませんね。演出を変更しましょう」


 私は闇で人形を大量に作り、盆踊りもどきを即興でアレンジ。

 さらには音楽隊も作り出して、舞台の様相を変貌させました。これでアトリのダンスが綺麗に際立ち、異物感ではなく特別感へ昇華され、この舞台の主役へと――とその時でした。


 つんつん、と肩(といっても精霊に肩はありませんが)を突かれます。

 振り向けば、そこにはにっこりと微笑んだジークハルトがタキシード姿で立っていました。


「ネロくん」

「私、喋れないんですよね」

「『私、喋れないんですよね』か。大丈夫、私はキミの言い訳を理解してあげられるよ」

「うわ」

「『うわ』かい。私も同じ意見を有しているよ」


 連行されました。


       ▽第五王女リリーシア・フォース

 リリーシア・フォースの性質を一言で言い表すならば「悪役令嬢」が相応しい。

 生まれた瞬間より、リリーシアはあらゆる小悪事と我が儘が許され続けてきた。王族としての特権を働きもせずに振りかざしてきた。


 他の王族たちは、そのようなリリーシアを窘めることもなく甘やかした。

 理由は単純だ。

 リリーシアの王族としての「役割」が「悪役令嬢」なのだから……


 清廉潔白な王族。

 それこそは理想。夢のように甘い理想。

 実際のところ、醜聞のない王族というのは「弱い」のだ。だからこそ、リリーシアは生まれた瞬間から「王族の汚点」として育てられてきた。


 それにより、他の王族は「リリーシアさまと比べれば」優秀に見える。

 リリーシアが無様に踊るほど、他の王族は光り輝く。


 民が想像する「如何にもな王族」を肯定し、それを覆す存在が「たくさんいる」と錯覚させる。王族の無自覚な鉄砲玉。彼女が暴れれば暴れるほど、王族は自由に「リリーシアの恥を拭うため、ミスを雪ぐため」に自由に動くことができるようになる。


 リリーシアに罰がくだれば王族が評価されるようになる。

 つまり、リリーシアというのはあえて「愚かな王女」を生むことにより、他の王族を輝かせるための闇なのだ。 


 それに気づいていないのは本人と無能、それから民だけであろう。


「っ! なんですの、アレは!」


 その無能リリーシアは言葉を失って立ち尽くしていた。


 王都を奪還してすぐの舞踏会である。

 王国は無事である、と喧伝するための、いわば見栄と虚飾の舞台。


 ただのお遊びではなく、実力ある国が実力を魅せるために必須の行事でもある。

 この舞踏会により、他国は「アルビュートは健在」と公的に認知することができる。どの陣営にとっても得しかない舞踏会だった。


 そのような華が求められる場。

 そこはリリーシアがもっとも好む場でもあった。

 無論、教育のほとんどを投げ出してオシャレと贅沢、優雅なお遊びに耽溺しているリリーシアは「美」についての造詣が深い。


 いくら無能に育てられようとも、王族である以上、卓越した教育は受け続けているのだ。

 磨き抜かれたセンスが言う。

 叫ぶ。


 あの謎の幼女――アトリの存在に比べれば、絢爛豪華が身体を以て舞踏する……そう呼ばれているリリーシアとて無様に映る、と。

 幼女が纏うのは漆黒のドレス。

 黒い死蝶を思わせる、絶望的で渇望的で……あまりにもこの世離れした美しいドレス。アトリが舞う度、翻るレースのなんたる見事なこと。


 生物が死から逃れられぬことと同じように。

 アトリの舞い、そしてドレスから目を離すことができない。そこには陶酔と恐怖が入念に折り重なっていて、もはや原初の感情さえも解らない、複雑な感情が形作られている。


 あの黒いドレスを纏い、踊るアトリは、もはや人の領域を超えていた。


 ほう、と思わず吐息が自身の唇から漏れていることにも気づかない。

 リリーシアは知らないけれど、あの天音ロキが全力で生み出したドレスである。千を超える失敗作の末、巨万の富をなげうって仕立て上げられた至高の一着である。アトリの動き、身体、見栄え、あらゆるものの次元を跳ね上げるためのアイテムである。


 余人ではアトリから目を離せなくなり。

 欠片でも芸術を理解する者は、その深淵のような「美」に恐れを成して心を鷲掴みにされる。人が邪神に飲み込まれるかのように。


 そして、一瞬、演出が変化した。

 ネロの創造性は数百年も続けられていた文化を一撃で破壊し、舞台をアトリの独壇場にしたてあげた。誰もが言葉を失い、動きを忘れ、忘却と陶酔で以てアトリを観劇する。


 この瞬間、たしかにネロは邪神であった。

 文化という「弱い芸術」を一秒もない間に自分勝手にぶち殺した。自分の色で塗り染めた。盆踊りのようなダンスをしていることが恥ずかしくなってきた。


 研ぎ澄まされ、洗練されていたはずの自文化の敗北を認めてしまったのだ。


 それは演奏家も同じこと。

 ネロの演奏が鳴り止んだ後、演奏を続けていられる者は誰もいなかった。アレと争える芸術家なんてよほどの「物好き」以外は居ないからだ。


 演奏が鳴り止んだことにより、ダンスパーティーは中断される。


「……」


 無意識だった。

 誰もがアトリから距離を置き、心の平静を取り繕う時間を欲した。

 だが、愚かなるリリーシアだけは真っ先に動くことができた。

 こういう時、真っ先に動くことができるのも、リリーシアという人材に求められた「力」だった。いつもであれば、ここでアトリに失礼なことでも言い放つのだろう。


『小汚い庶民のお子様がずいぶんと場違いなこと。おドレスだけは熱心に仕立てたようですけれど、着ているのが子どもではなんの価値もございませんわね。あなた、その仕立屋をわたくしに紹介させてあげてもよくてよ』


 そんなことを口にしただろう。

 そして、それによって冷静さを取り戻した他の王族や貴族に窘められ、優秀な者がアトリと近づくツールにされていただろう。


 だが。

 今回のリリーシアはちょっとだけ違っていた。


「……あ、あな、貴女」

「……なに?」

「そのドレスは……素敵、ですわね。筆舌に尽くしがたいほど……とてもよくお似合いだわ」

「無論。神様がボクのために作ってくれた」

「ま、まあ! あのザ・ワールドが人のために動いたんですの? ですが、それだけの価値が貴女には――」

「ザ・ワールドじゃない。邪神ネロさま」

「?」


 混乱の際に追いやられる第五王女。

 彼女は無能なために「アトリ」を知らない。ゆえに舞踏会に紛れ込んだ異物幼女の言動に、終始困らされているのだけれども……そこに弟が駆けつけた。


「あ、アトリ先生!」

「……なに?」

「先生が塗り潰すタイプの英雄であることは存じていますが、ここまでとは。一度、はけませんか?」

「ボクは社交界の華になれと命じられている」

「なっていますなっています! スズランのような華ですとも! 出し惜しむことも必要なのが社交界ですよ、先生」

「そう」


 きょろきょろ、とアトリが周囲を見回す。

 首を傾げたアトリはそのまま弟――ユピテル・フォースのあとをついていく。それにリリーシアもついて行く。


 リリーシアはユピテルのことが苦手である。

 まだ子どもだというのに妙に立派であり、王族の機微だなんてよく解らない政治スキルも有している。それに将来はかなり強くなる、らしい。ジークハルトが言っていた。

 だから、いつもはあまり近づかない。

 それでも、この謎幼女とのお付き合い譲れない、そう思ったのだった。


       ▽

 私がジークハルトにお説教を受けていると、ユピテル殿下に連れられたアトリがやって来ました。ダンスパートナーだったレメリア王女殿下も一緒です。

 レメリア王女殿下は眼帯をつけ、今は杖をついています。


 ちなみに、あの下の目はすでに摘出済みとのこと。


 そこにセッバスの契約精霊であるレレレさんが作った義眼がはめ込まれています。ただし、消費が激しい「仕掛け」を施しているらしく、普段は眼帯で隠すつもりのようでした。

 外せば愛らしいオッド・アイとなっておりますよ。

 

 片足が不自由なのは、もう既存の方法では治せないとのこと。

 さすがはカラミティー・ボスクラスの攻撃ですよね。戦闘中よりも戦後のほうが怖いとは。とはいえ、既存の方法では治らないだけで、何か新しい方法を使えば治るかもしれません。


 エルフランドでは、現在、医療技術が流行しているようでした。


 このゲーム、病気についても「位階」がありそうなのですよね。

 一応、殺して蘇生薬も試したのですけれど無駄でした。私もいくつか薬を提供しましたが、あんまり効果的ではなかった模様です。こういうのは魔女が得意だったのですが、今は消息不明のままのようでした。


「神様!」


 アトリが駆け寄ってきます。

 ほとんど顔と顔とが密着する距離です。幼女の吐息がかかる距離から、やや離れてから、私はアトリに尋ねました。


「どうでしたか、パーティーは」

「踊った。です」

「それは良かったです。とはいえ、本当のパーティーはこれからだそうですがね」

「?」

「この世界の舞踏会はちょっと私の知っているルールとは違うみたいです」


 よくファンタジーなどの舞踏会は、まずは立食パーティー。偉い人は後からやって来て、なんて感じなのでしょう。

 しかし、この第一フィールドでの舞踏会は違うようでした。

 遅刻しても良いけれど、関係なくパーティーが開催されるようです。全員がほとんど揃った状態でまずはダンスをし(例の盆踊り風です)、それが一段落してから立食。


 そこで色々と交流していると、また盆踊り。

 歓談。盆踊り、のループを繰り返すようでした。その後、その場のもっとも偉い人と主催者が挨拶をしてから解散、という流れのようでした。


 と。

 ジークハルトから聞きました。


 たぶん、レッスン中のレメリア王女殿下が何かを言いたげだったのは、「このダンスってなに」だったのでしょう。


 レメリア王女殿下はアトリに甘いですからね。

 熱心に練習していることを興ざめさせられなかったのと、もしかしたら自分が時空凍結を喰らっている間に「第一フィールドの文化は変化したのでは?」という思考もあったのでしょう。


「とはいえ。私たちには珍しくボンヤリとしたイベントです。楽しみましょうか」

「です」


 これから順当に考えるならば、このゲームは忙しくなるはずでした。

 この後、逃げたアリスディーネをとっちめ、最終フィールドの封印を解除します。そうすると、さすがの魔王軍も本気で迎撃なり侵攻なりを始めることでしょう。


 むしろ、そのことを考えれば他の国はアリスディーネを守るまでありますね。


 最後の結界は魔王軍が「防衛」してくれている最たる理由ですから。

 あの魔王が四天王を引き連れ、五人で攻めてきた場合……どうやったって勝ち目がありません。


 全戦力で迎撃しても、四天王を二人打ち破れるかどうか、な気がしますね。

 かつて四天王を一騎減じさせたというヨヨとジャックジャックのお嬢様は大健闘でした。その四天王が生き残っていれば五人の配下と魔王ですからね。


 上手くいけば、これがゆっくりゲームを楽しめる最後のイベントくらいはあるかもしれません。ゆえにアトリには伸び伸びとパーティを楽しんでほしいところ。

 まあ、こういうパーティーって豪華なだけで楽しくありませんがね。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る