第331話 音楽を舐めるな
▽第三百三十一話 音楽を舐めるな
想起するのはギース戦でした。
あの時もアトリは何もできずに防戦一方にて、唯一の機会を我慢強く待ちわびておりました。元々、リジェネタンクたるアトリにとって、この戦い方は王道手でさえあるのでしょう。
『抗うのだ! 人の限界は尽きぬのだろう!?』
「神の使徒に……不可能は、ないのだ」
アトリと風雲龍との戦いは激烈でした。
巨大な龍と災厄、それに真っ向からアトリは抗っていました。大地は大きく揺れて、雷は絶えずアトリを狙い、風は吹き荒び、弾丸のような雹がアトリを貫こうとします。
きっと。
今のアトリは常に危険視が発動しているような状況なのでしょう。他のNPCであれば何十、何百、何千と死んでいてもおかしくない地獄。
もう何度、腕を、足を、腹を、引き千切られたかも解りませんでした。
それでもアトリは倒れません。
ふらふらと肉体をよろめかせながらも、ぐるぐると狂信の瞳が折れることはありませんでした。
アトリは頑張っています。しかしながら、
「まだ一分。さすがのアトリでもあと二分も耐えきれませんね」
反撃を無効化する風雲龍の【存在自在】
このスキルのもっとも厄介なところは、防御をまったく気にする必要がないということです。それは風雲龍のスペック以上の攻撃性能を引き出します。
風雲龍の肉体から煙りが……雲が分離していきます。
あのひとつひとつが面制圧系の爆弾となっております。喰らえばアトリもただでは済まない攻撃。それが一気に数百も展開されるのは、敵がカラミティーであるからでしょう。
地味に厄介なのが災害です。
中でも竜巻が厄介でして、小柄なアトリは絶えず吸引されそうになり、その機動力を大きく削がれております。
「これは……ムカつきますね」
私は呟きます。
ギースの時はイベントだったので最悪死んでも構いませんでした。ですけれど、これは決してイベントではなく、アトリのロストは取り返しがつかない。
その状況での一方的な暴虐。
「アトリが三分耐えた暁には、私が直々に滅してあげましょう。三分も要りませんとも。たった30秒で仕留めましょう」
そう私は負け惜しみのように語り、拳を握り締めようとしました。
精霊に拳はありませんがね。
今の私が【神威顕現】を切ったとて、攻撃が通らぬのでは意味がありませんから。
今、私は【クリエイト・ダーク】で妨害と支援をするしかありません。
アトリが雲の爆破に巻き込まれ【致命回避】が発動してしまいます。すぐにHPは全回復させたようですけれど、凄まじい量のMPを失ってしまった様子。
「アトリ、あと少しです。頑張れば私がすぐに終わらせましょう」
「……っ、頑張る。ですっ!」
しかし、このままでは後二分も……そう嫌な未来が脳裏を過ぎった時でした。ふと耳朶に触れ続けていた音楽がピタリと止まりました。
思わずコーバスを見やれば、彼は神器を構えておりました。
美しいヴァイオリン弾きの姿勢。
音楽家そのもの、といった容姿の青年が――戦士のように獰猛に笑っています。
「神器解放――叶えろ【
神器が輝きます。
まったく意に返さずコーバスがヴァイオリンを演奏し始めました。ただし、それはいつもの彼の音楽ではありません。
私は唖然としました。
「そのようなことを……音楽家が」
コーバスが神器を使うために犠牲したもの。
それはおそらく【才能】です。私には理解できます。コーバスの演奏が一気に陳腐化しています。彼の音にあった風格が失われておりました。
自分の音楽に対する才能を捨て去り、その代わりとして神器を起動しているようです。
なんという覚悟でしょう。
少なくとも私には同じ選択はできません。
コーバスは陶酔したように音を奏で、優雅に口元を緩めました。
それと同時、彼の足元に花畑が広がります。
「ここは地獄じゃない」
『ば、馬鹿な……俺のカラミティー・フィールドが塗り替えられていく!?』
「ここはこれより【楽園】! 僕の最期のリサイタルに相応しい! 美しくも荘厳な劇場と化すよ!」
カラミティー・フィールドがゆっくりと変化していきます。
絶えず続いていた雷鳴が鳴り止み、雲は晴れ、美しい青空が展開されていきます。大地震によって崩れた大地が回復し、花畑が広がっていきました。
風雲龍は【固有スキル】と【カラミティー・フィールド】を封印されました。
災害による攻撃が失せたことにより、風雲龍の攻撃の脅威はかなり落ち込みました。アトリも十全なスペックを発揮することができますけれど、それでも……あと二分、攻撃されっ放しは。
そう思っていたところ、さらにコーバスが捧げました。
「次だ」
『俺は知っている。音楽家は。芸術家は。才能を失うことが恐ろしい。それがすべてのはず。それを捧げるというのか!? 一度の勝利のためだけに。譲渡で失ったモノは帰ってこないのだぞ』
「ふん。音楽を舐めるなよ。僕が失われることは音楽にとって大いなる痛手だろうよ。けれど、それがどうかしたのか? 僕が、僕が失われた程度で音楽は終わらない! 揺らがない! 音楽を終わらせはしないぞ、魔王軍!」
ぞわり。
と私の背筋が震えました。
私はコーバスとよく似ています。才能だけで生きてきた人間。その才能を失うことの恐怖、悍ましさ、忌避感……あらゆるモノが手に取るように解りました。
それに感じます。
コーバスは私と似ているだけで根本的に異なります。
私は芸術が本当は好きではない。
才能が「できる!」と叫んで煩いものだから、才能にすべてを委ねていた。
でも。
コーバスは。【楽園】のコーバス・ノノ・ロアは心の底から音楽を愛している。才能に振り回されるのではなく、使いこなして、一緒に音で遊んできた。
コーバスにとって才能とは親友も同然なはず。それなのに。
思わず私は心の中を漏らしてしまいます。
「称賛しましょう、この私が。貴方の覚悟を」
風雲龍の【存在自在】が強制解除されました。
目を見開いた風雲龍はすぐに判断を終えたようです。まずはコーバスを仕留めたいようですね。おそらくコーバスの能力は演奏が終わるまで発動し続けます。
逆説的にコーバスさえ殺してしまえば、風雲龍はアトリを殺害することができ、この戦闘での勝利を収めることが可能となりました。
ブレスがコーバスを襲います。
無防備に演奏を続けているコーバスの前に、業火の翼の美女が歩いて乱入しました。
「横入ごめんなさいね? ほら、年功序列って言うじゃない」
炎魔を何百も配置することにより、真っ向からブレスの勢いを減じていきます。【炎魔羽織り】による防御も含め、シンズが肉体を盾にコーバスを守りました。
血を吐きながら、シンズが眼を見開きます。
緩んだ口元。放たれるのは詠唱。メイスが振りかぶられます。
「【ハード・プロミネンス】」
カウンター。
風雲龍は回避しようとしましたけれど、その肉体にシヲの触手が絡みついて離しませんでした。
『ぐっ』
真っ向から熱波に焼かれ、風雲龍の目玉がひとつ蒸発しました。だらだらと血液と目玉だった何かを流しながら、それでも風雲龍は肉体から雲を湧かせます。
大規模な爆撃の準備。
それをレメリア王女殿下の炎弾が掻き消しました。
一転して窮地に陥ったアルマゲドーンが、身をくねらせて叫びます。
『カラミティースキルⅠ』
上空に展開された雲から、無数の小さな子龍が生まれていきます。すべてが小さな風雲龍のようでした。
よくあるギミックで考えれば、あれを放置していたら風雲龍が増えるとかありそうですね。
「お姉さん、あっち潰してくるわ。生き残った兵士たちも小龍を減らしてもらいましょう。お姉さん一人だと間に合わないわ」
「こういう時に兵士が必須なのですよね、カラミティー戦は。わたくしはコーバスさまの護衛を……」
いいえ、と私はアトリに言います。
「アトリ、コーバスは問題ありません。一度、音楽家が演奏を始めたのです。決して演奏が途切れることはない。全力で龍を滅します」
「神は言っている。コーバスは問題ない。ボクたちで龍を殺す」
「わ、解りましたわ! 合わせるしかありませんわね!」
▽楽園のコーバス
あの精霊はよく解っている。
そうだ。
僕は誇りある音楽家なのだ。一度、演奏を始めたのならば止まるわけがない。ブレスがどうした? 爪が、尻尾がどうしたという。
そんなことで演奏を辞めた音楽家を見たことがあるかな?
僕はないね。
駆け抜けてやろう。
だが、ひとつ勘違いされているらしい。
ドラゴンの攻撃が当たらなくとも、僕の演奏は本来いつ止まってもおかしくないのだ。
僕は攻撃に当たるまでもなく死にそうだ。僕は神器に己の才能を喰わせている。そして、僕という存在にとって才能とは命も同然。
魂がきしきしと痛む。
元々、譲渡という神器は魂への損害を伴うらしいけれど、これの行使は尋常ではない。だらだらと汗が流れ、今にも意識が闇の底に落ちてしまいそうだ。
理解する。
僕は神器に適合することはできたが、神器を扱うほどの戦闘の才能がない。その僕が音楽の才能まで捧げたことにより拒絶反応が発生し始めている。
激痛。
それさえも楽しもう。
「作詞作曲コーバス・ノノ・ロア――【僕のピリオド】」
音楽が戦場を満たしていく。
ああ、なんて無様な音なのだろう。これを僕が生みだしている事実はとても寂しい。でも、不出来な音楽さえもが愛おしい。
アトリたちが戦っている。
戦闘の才能がなく、音楽の才能まで失った僕では……理解できない戦闘が行われている。でも、きっと、勝つのだろう。
だって僕が演奏をしているから。
思わず視界が濁る。
泣いているのか?
そんなに僕は悲しいんだな。いい年をした男なのにみっともないな。自嘲しようとした、時、ふと異音が混じったことに気が付く。
「っ」
息を呑んだ。
僕の周囲を影が囲んでいる。人型の影。それらは一様に影で出来た楽器を持ち、そして――僕を、才能を失う前の僕ですら霞むような演奏を開始した。
音が。
世界を飲み込む。耳ではなく、肌や細胞に叩き付けられるような「美」
「ああ、涙が止まらない……」
悲しみの涙ではない。
感動の涙が眦から止まらなくなる。ぽたぽたと流れる涙。僕の涙を浴びた花が静かに笑う。
「そうか、そうか」
ああ。
旅に出て良かった。
世界はちっぽけでつまらなくて儚い。
けれど、この音楽に出会えたのならば僕は旅に出て――良かった。
音が伝えてくる。
僕の脳裏に過ぎるのは邪神じみた美貌の青年。彼が美しい声で言うのだ。
『まだでしょう? 才能がない? だから私の演奏についてこられないなんて言わないですね? 音楽家ならば、私に勝ちたくありませんか?』
なんて残酷な奴なのだろう。
幼女から邪神なんて呼ばれている理由が理解できてしまう。そりゃあ、こんな無茶振りに応え続けたら強くもなるな。こんな音楽、なるほど邪悪な神にしか演奏できないよな。解るよ、解るんだ。
僕は音楽家だから。
「音楽に完成はない。ネロの才能を超える者が現れずとも、ネロの音楽を超える人物は絶対に現れる。それが音楽というジャンル。クラシックはいつだって超えられるためにあるっ! 才能なき身で挑ませてもらおう、邪神ネロ!」
ここで。
今、この瞬間。
「貴方を超えさせていただく!」
競い合うように音を掻き鳴らす。
繊細に!
けれど、けれど暴力的に!
僕は音楽家だし、今は戦士だ!
影のオーケストラと競い合う。一音一音ごとに追いかけていく。追いかけていく。数多の楽器とヴァイオリンひとつで渡り合う。
もう戦場なんて見えちゃいない。
ネロとの戦いに熱中していく。常に実力が更新されていく。一秒前の自分を雑魚と罵り、未来の自分を踏み台にしていく。
そう。
これが音楽。これが音楽なんだ。
遠い背中に手を伸ばす。
音は僕を誘う。成長を止めない。止まったら死ぬ。それだけだ。音楽をやっているのだ、止まれば死ぬなんて常識だろう!
やがて。
長い無限とも感じられた心地良い音に、唐突に終わりが訪れた。
僕が……追いついた。
その瞬間、またもや邪神ネロの音が爆発する。僕は嬉しくてしょうがない。
『さて、ここからが長い。私は難題です』
「ああ、追いつきたかったんじゃあない。勝つのさ」
鍔迫り合い。
音と音が拮抗し、互いを遙かに高め合う。もっと高い次元にいける。どこまでもどこまでも連れて行ってくれ。僕も連れて行ってやる。
音楽は元々、神に捧げるための儀式だったらしい。
音楽を極めれば神に届くと思われていた。音楽に限りはなく、どこまでもいけて、やがて神にだってなれるんじゃないか、なんて思わされる。
ネロの音が解る。
だから、僕はそれを超えるだけだけだった。
「音楽に完成は、ない。けれど、ここだ。ここが僕の到達点。音楽家・【楽園】のコーバスの最高地点。僕は登り切ったんだ! これが僕の人生なんだ!!」
ああ。
音が世界を飲み込む。これが音楽なんだ。
楽しいよな、音楽ってやつはさ!
僕は万感の思いで――弓を引く。
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