第326話 歴史的な一日

   ▽第三百二十六話 歴史的な一日


 メドの視線の威力は凄まじい。

 魔王が出現して世界には「ステータス」という女神の福音が与えられた。それは魔物側にも与えられ、結局のところは無意味……とはならなかった。


 人類種たちは一気に強くなる手段を見つけた。


 魔王の出現。

 それに伴う魔物の発生によって人類種の人口は一気に半数以下に落ち込んでいたけれど、今やかつてよりも多いくらいである。


 そのステータスにメドは恵まれていた。

 くじ運の善し悪しでおおよその強さが決まってしまう。世界はあまりにも不合理で不条理で理不尽で、メドのことを不自然なくらいに祝福していた。


名前【メド】 性別【女性】

 レベル【58】 種族【ハイ・ヒューマン】 ジョブ【デスペラート】

 魔法【神聖魔法65】

 生産【錬金術23】

 スキル【殺生鎖術63】【技巧補正】

    【体術71】【殺傷補正】【知性補正】

称号【勇者】

固有スキル【起源眼グラムサイト】【勇者】


 メドは強い。

 ゆえにこそ視線に込められた力は強烈無比……なのに現れた白の幼女は動じない。ただ呻くように腹を押さえていた。


 くはは、とメドは悪役のように、唇を裂けるくらいに開いて笑う。


「強えな、てめえ。まあ俺よりは雑魚だが……気に入った」

「……?」

「俺に名乗らねえってことは名前さえねえってことだろ。あとで見繕ってやる。とりあえずは……食え」


 メドは颯爽と跳躍し、双子が捨て去ったカエルを掴む。

 小さな手では掴み切れぬため、手にした鎖で雁字搦めにする。

 毒カエルを自分で一囓りした後、それを腹ぺこ幼女の前に投げ捨てた。粘液と毒液を垂らす死体。それに迷うことなく白幼女は噛みついた。


 肉の汁がぶちゃりと飛び散る。


「旨いかい、死の味は」

「うん……旨い」

「はっ! そうだろうさ! 命ってのはどれも旨いんだ。カエルも、俺も、てめえもな。てめえの宿命ならばそれを理解しなくちゃいけねえな」


 そう言って口端から血を垂らすメド。

 毒を無効化する力は持っていないため、カエルの毒で苦しんでいる。


 一方の白幼女のほうはダメージを感じさせない。

 ただ夢中で毒カエルの死体を貪っている。口端に肉片を付け、顔を毒まみれにしてでも食事を優先する様は怪物じみていた。


 ターヴァが顔面を手で覆う。

 強く肩を落としていた。


「ふざける……な。毒で……死ぬ……気か?」

「俺に死ぬ気があればとっくの昔に絞め殺してる。俺やこいつがカエルの毒ごときで死なせてもらえるかよ」

「……少なくとも。おまえは……死ぬ……が?」

「は? そんなわけねーだろ」


 そうしてメドは気絶した。


       ▽

 意識を取り戻したメドは「ほらな」と言った。

 満面の笑みは愛らしく、それを目撃したターヴァは思わず赤面する。が、赤面しながらも苦言だけは呈した。


 それがターヴァの役割だからだ。


「私の……薬が…………無駄に……消費……されたぞ」

「解毒薬はまた買えば良い。先生も仕事が出来て嬉しいだろ」

「あんな……片目中年……お前が会うべき……では、ない」

「あ? 良い奴だろ、あの先生はよ」


 跳ね起きたメドは、まだカエルを貪っている白幼女を見やって頷く。幼女の食事が終わったのを確認してから声を掛けた。


「よし、グーちゃん。てめえに提案がある」

「……ぐーちゃん?」

「てめえの名だよ。俺が名を問い、てめえはどうあれグーと返した。なら俺にとっててめえはグーちゃんだ。だろ?」

「グーちゃん」


 うんうん、とメドは満足げである。

 基本、子どもにはダダ甘いのがメドの汚点であるけれど、それにしたって過激に過ぎる、とこの時のターヴァは訝しんでいた。


 その理由をメドが口にした。


「てめえ魔王だろ? どうだ俺の――」


 言い切るよりも早く。

 動いたのはギャスディスとターヴァの三人であった。


 双子は二人で一本の刀を握り締め、恐ろしい眼で白幼女――魔王・グーを睨み付けている。また、ターヴァもナイフを逆手で持ち、人殺しの目をグーに叩き付けていた。

 三人はメドに対して絶対の信頼を持っている。

 いかに目の前の幼女が無垢無害に見えようとも、メドが魔王と言うならば魔王であると確信できる程度には。


 そして三人は魔王が敵であることも知っていた。

 何故ならばメドは【勇者】であるからだ。勇者とは【魔王】と戦うことが仕事らしい、とかつてメドはつまらなさそうに教えてくれた。


 ならば。

 敵だ。


「まあ待て、てめえら」


 戦意と殺意を迸らせる三人を押しとどめ、柔らかくメドは微笑んだ。


「そいつがその気なら、てめえらは殺されそうになっている。で、俺が止めてグーちゃんはすでに死んでいる。そうだろ?」

「?」

「ほらな。はてなって顔してやがる。可愛いだろ」


 よしよし、と無警戒に近づいて頭まで撫でてやる。

 白い髪はふかふかとしており、浮浪児とは思えぬほどに艶やかである。絹糸なんて触れたことのないメドであるけれど、きっとこれが絹糸なのだろうと思った。


 絹糸とは幼女の頭髪のことである、とメドは脳内に情報を描き足した。


「さてグーちゃんよ」

「グーちゃん」

「てめえさ、俺の部下になれよ。世界の半分はてめえのもんになる。ちょっと想像とは違うもんだろうけどな」

「ぶか? 世界の半分?」

「そう」

「どうなるの?」

「喰いたいもんが喰える。最高だろ」

「! なる! グーちゃんは部下になる」


 こくんこくん、と何度も頷く白幼女ことグーちゃん。

 この日、この時、歴史的な和解が行われ、そうして勇者の部下に魔王が参入したのだった。


       ▽

 その日もアリスディーネがやって来た。

 どこぞの貴族の娘らしい。いつも大きな家から脱走しては、お菓子をもってゴミ山にやってくる。


 皿いっぱいの菓子の山。


 ゴミ山すべてよりも、あの小さな山のほうが価値があるだなんて信じられない。いつもメドはそう思うけれど、あれを口にしたガキどもの笑顔の価値は、なるほどゴミ山なんていくら束になっても勝てねえと思う。

 ボロボロのソファに肘を任せて、大仰にメドは頷いた。


「もう来んな、アリスディーネちゃん」

「ですが組長さま。わたくし、貴族の娘として貴女たちを是非ともスカウトしたいのですわ。否、わたくしを傘下においていただきたくてよ」

「一度、俺はてめえを助けた。てめえは菓子で返した。以上で終わりだ」

「終わらせたくないのでお菓子を持参しておりますわ。何よりわたくしの命の価値は菓子程度でちゃらにできるほど甘くなくてよ。ふふ」

「……っく」


 メドは呻くしかない。

 ここにメドやターヴァしか居ないのならば、うっかりお菓子になど釣られることはなかった。だが、ここには悲しきことに双子ギャスディスと腹ぺこ魔王のグーがいる。


 知らないうちに三人は餌付けされていた。

 聡明なるメドにとって愚者の思考は飛び抜けて感じられる。よもや「知らない奴から食いもんをもらうな」と命じているのに「一回、お喋りした!」ら知っている奴判定とは思わなかった。


 そんなんで浮浪児をやっていけていることは奇跡。

 神がステータスなんて素敵なモノをくれなければあり得ていない奇跡である。あーあ、と感じながらメドはザ・ワールドに深く感謝し祈った。


 メドは何かにつけては祈る、この世界の住人にしては珍しい信心深い幼女である。


「あのなあ、アリスディーネちゃんよ」

「なんですの組長さま。わたくしアリスディーネ、ご用命とあらば何方の首でも持参してきますわよ」

「要らねえし怖えよ。てめえが当然のように持ってきている菓子。それを買うために民がどんだけ苦労してるのか知ってるのか? それはてめえらが喰ってみたり飾って見せたり誇ってみせたり、捨てたりして政治に使うもんで、俺らみてえな浮浪児の口にぶち込むためのもんじゃねえよ」

「組長さまならばお分かりでしょう? 貴族として強者を得るためならば菓子などお安いこと。民の労苦を知った上で、わたくしは菓子を振る舞っておりますわ」

「菓子で俺が靡くわけもねえが……部下が靡いちまってるんだよなあ」


 無論、部下たちはメドに心酔している。

 メドが「喰うな」と命じれば「絶対に食べない」だろう。もう部下として一年も時を共にしたグーとて、メドが「死ねと言えば死ぬ」ほどには躾けてある。


 だが、部下の幸せを奪えるほど、メドは指導者として優秀ではない。

 また、部下が受けた恩を自分の恩と感じてしまう程度には、彼女は指導者として致命的な素養しか持たなかった。


「俺の数少ない汚点のひとつだな……睨むなよターヴァちゃん。解ってます。俺は汚点だらけです。はいはい」


 はあ、とメドは大きく溜息を吐いた。

 この幼女はいつも溜息を吐き、それが似合う。

 それからキッと貴族の……否、第五王女殿下アリスディーネを睨み付けた。


「解った。てめえを俺の駒にしてやる。だが飲んでもらう条件があるぜ? 果たしててめえの器量で飲めるかね?」

「すでに子どもたちについての手配は進めてございます、組長さま。無事に保護させてもらいますわ。孤児院らしく違法な奴隷商に売りつけようとするでしょうけれど、定期的に人を派遣して阻止させてもらいます。ほとんどは防ぎます」

「……賢い奴は怖いな。解った」


 メドの部下がまた一人増えた。

 内訳は「殺人鬼一人」「馬鹿二人」「魔王一人」「王女殿下一人」とバランスが良い。とても悪い意味で。


 それを率いるのが自分――勇者だというのだから趣味が悪い。


 この世界が喜劇にせよ、悲劇にせよ、とても配役の趣味が悪いとメドは思う。要素が過多で引き算の美学が解っていないとしか思えぬ。


 メドが立ち上がる。

 部下どもが作った旗をマントのようにまとい、幼女とは思えぬ威厳を放って言う。


「動き出す時が来たみてえだな、不本意ながら。俺らは世界を殺す。このゲームじみた理不尽を壊す。生物が生物として生きていける。死んでいける、生物の世界を取り戻す」

「グーちゃんはお菓子をもっと食べりゅ!」

「おいグーちゃん。今、良いところだから後でな? ほら、手をあげるぞ」


 おお、と子どもたちが一斉に拳を天に突き上げた。

 天を。世界を殴りつけるかのように。

 強く賢き子どもたちは世界に対して蜂起した。だが、後に彼女たちは知ることになる。世界とは強さが絶対の正義……ではない。強者を喰らうのはいつだって弱者だということを。


 愚かな弱者の悪意の悍ましさを。

 幼き彼女たちはまだ知らなかった。

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