魔章 二幕

第325話 走馬燈の断片

   ▽第三百二十五話 走馬燈の断片


 ふと思う。

 始まりはくだらない遭遇だった。運命のような、輝かしき日々の断片が思い浮かぶ。粉々に砕ける武器が視界の端にある。


 綺麗だな、と思った。


 世界で上位16に数えられるような強力無比なる武器が破壊されているのは、自分が負けてしまったから。腹に風穴が空いている。臓物が飛び散り、意識が闇に飲まれていく。

 首が宙を舞っているらしい。

 なのに。

 妙に清々しい気持ちだった。それはたぶん……


       ▽

「死っすかねー、あれは。マジで最悪っす。ユグドラ家の見栄で派遣されるのはしゃーないっすけど、俺っちはあくまでも見習い騎士っすよ、見習い。いきなり死地じゃねえっすか」

「貴様は何年ほど見習いを名乗っているんだ、ゲヘナ」

「百年くらいっすかね」

「私と戦場を共に、と置かれる人物が見習いであって良いわけがあるか。そろそろ昇進を許諾してやれ」

「生きて帰れたらな……」


 エルフの狩人部隊。

 彼らが遠目から確認しているのは「死の霧」であった。それは生物のカテゴリにあるはずなのに、まったく生物をするつもりがない怪物であった。


 魔王、らしい。


 エルフの知識に照らし合わせると、もっとも近い生物は「粘菌」である。あれは手当たり次第に餌を見つけ、それに身体を伸ばし、捕食していく……


 エルフの美男子――ユークリスが弓に矢を装填しながら隣を見やる。


「どう見る」

「……近くの生物に反応してるっすねえ。でも、動かない植物には興味がないみてえっすわ。木々は避けていってる。あれも生命のはずっすけど……抵抗する余地のある生物。それが魔王の捕食対象っすわ」

「なるほどな。それを踏まえて……ゲヘナ。魔王とどう戦うべきだ」

「死ぬしかないっす」


 ゲヘナはエルフではあるけれど、エルフの狩猟部隊には属していない。なぜならば、彼はエルフランドの人物ではなく、厳密に言えば鏡の国の住人であるからだ。

 そのような人物が狩猟部隊と行動を共にする。

 その理由は単純なことに……狩猟部隊の大半が魔王と交戦して死亡したからだ。


 藁にも縋る思いで以て、他国から優秀なエルフを連れてきた。

 それが万年見習い騎士・ゲヘナである。

 ユークリスののど仏が「ごくり」と脈打つ。染み一つない肌は青ざめている。


「あれが現れてから早二年。妖怪族の大半が死に絶えた。三体いた真祖吸血鬼は二体に堕ち、巨人は絶滅……六人の神器使いによってどうにか押しとどめているが先は長くはない。もはや人類種は、世界は滅びを受け入れるしかないのか……」

「行ってくるっすわ。リタリタっちを呼んでほしいっす」

「どうするつもりなのだ、ゲヘナ」

「足止めっす。俺っちが死ぬ気で上手くやれば十年、いや、もっと長く魔王を止めておける」

「……やれるのか?」

「俺っちは栄光あるユグドラ家が見習い騎士・ゲヘナっすよ。楽しょーっす」


 あ、と思い出したようにゲヘナは指を二本ほど立てた。

 はにかんだ、幼い笑みがよく似合う少年である。


「お嬢とヨハンのアホに遺書を残しとくんで、俺っちが無駄死にしたら渡してくださいっす」

「楽勝なのでは?」

「何事も油断しないゲヘナさんの強さを褒め称えるが良いすよ、ユークリス」


 こうしてゲヘナの策は成った。

 リタリタの神器によって巨大な森を生み出したのだ。エルフの知恵者たるゲヘナが監修した迷いの森。

 そこにゲヘナ自身を囮として魔王を誘導した。

 あとはゲヘナが敵から逃げ切り、調教した魔物や動物、場合によって人によって……魔王を誘導し続ける。


 四日かけて魔王をまいたゲヘナが帰還した。

 片腕を腐り落とされたゲヘナは、残った左手でがしがしと髪を掻いている。飄々とした態度とは裏腹に、顔色からは血の気が失せていた。

 九死に一生だったのだろう。


 美麗で余裕を醸し出すエルフの男子は、冷や汗を滝のように流していた。


「いやあ、ユユっちの協力がなかったら殺されてたっすわ」

「で、魔王は拘束できそうか?」

「俺っちの指示通りにやれば問題ないっす。あれには意志も知恵もねえ。ただ目につく生物を追いかけるだけの空しい生物……滅びの具現。もう魔王は詰みっす、たぶん」

「たぶんだと?」

「あれに知性ができた時。それが俺っちたちの終焉っす。ま、その間にちょっとは強くなっておきます。あれとはいずれ戦わなくてはならないよ、どーせ」


 こうして魔王はゲヘナ、そしてリタリタの功績によって「封じられた」のだった。

 その後も魔王の残滓という影が人々を襲うことはあった。

 だが、それも魔女を始めとする強力な種族が防いだ。

 やがて世界にはスキルシステムが生じ、それを使うことによって強者種族に頼らずとも勝てるようになっていく。

 

 魔王の残滓が絶滅するのもあっという間のことだった。



 

 そうして五十年の月日が流れた。


「ここはどこなの? ……お腹、空いたな……」


 そうして白髪赤目の幼女がこの世に誕生した。


       ▽

 ボコボコにした大人の男ども。

 その上に偉そうに、そして品なく股を広げて腰掛けているのは……荒々しい幼女。長い赤の髪を背中まで伸ばした、すさんだ目の幼女であった。


「くだんねえよ。俺みてえなガキを攫おうとして負かされる。踏みにじられる。暴力こそが正義の世界……はああ。争いで稼ぐ金ってのは虚しいぜ」

「…………力が正しい。それは……当然……生物の……理」

「くだんねえことを口にするな、ターヴァちゃん。しかし、俺がもっと健康で強けりゃあ、こんな虚しい金じゃなく、身体でも売って稼いでこれたんだがな」

「……身体は……売るべき……では、ない」

「だから売ってねえだろうがよ。スラムのガキが変な性病でももらってみやがれ。即死だぜ。俺みてえなガキを抱きたがる大人がまともだとも思わねえしよ。まったく、くだらねえ金だ」

「……そういう……意味……では……ないのだが……」


 ちっ、と幼女――メドは鋭い舌打ちを零す。

 幼女はこの世のすべてにウンザリしていた。強ければ正しい世界。幼女は間違いなく「強者」であり、「正しい」存在のはずなのに……「強さで担保される正義」が気持ち悪い。


 知らない奴世界のルールが勝手に自分の後ろでパチパチと拍手を続けている感覚。

 自身の暴虐が肯定されてしまう違和感。

 弱者を踏みつけることを推奨される生態系。

 それは生きるために殺すシステムの崩壊を意味している。


 弱肉強食とは愚者の道理である。

 そのような歪なシステムは上手く行かない。自然の摂理だとか宣うモノも居るけれど、それは自然というシステムを甘く見過ぎている言であろう。

 真実の自然は、そのような単純で致命的なシステムでは動いていないのに。


 だというのに、世界は歪み始めた。


 その果てにあるのは、いずれ自分も仲間たちも踏みにじられる現実だけだ。世界はバッドエンドを確約されている。


 メドははスラムの幼女ながらに考える能力を持ってしまった。


 ゼロから理論を作り出すことが可能な聡明さがあり、そうやって発見した世界の歪さが許せぬ正義感が彼女にはあった。


 そして正義感ひとつで塗りつぶせる、世界の悪意を知っていた。


 見やるのは子どもらしい小さな手。ギュッと握れば想像を超えた力が返ってくる。子どもの中に化け物を飼っているイメージが、どうしても脳裏にこびりつく。


 幼女はそっと溜息を零した。儚い吐息である。


 王都の皆々様方が捨てていくゴミ。

 それによって形成されたゴミ山こそが、メドたち浮浪児のアジトであった。とはいえ、浮浪児内でも派閥があり、メドたちは「メド組」と呼ばれる超小規模の勢力であったけれど。


 決して良い縄張りではない。

 ゴミの付近ということで臭いは劣悪。身体が少しでも弱れば病に襲われるし、ゴミを捨てていく人々が気まぐれに子どもを攫おうと試みる。


 多少、物資の周りは良いけれど、それだってしょせんは「ゴミ」である。


 メドの実力があれば良い縄張りを取ることは簡単だ。

 であるけれど、メドたちがここを離れれば弱い子どもたちがゴミ山に巣くってしまう。そうなればバッドエンドは回避できまい。


 強き者の余裕として、メドたちはゴミ山で暮らしていた。


 誰かが捨てた汚れたソファに、メドは幽鬼のような足取りで移動した。手にした錆びた鎖をじゃらじゃらと遊ばせる。


「……腹、減ったなあ」

「ぴかーん!」「ずばーん!」


 溜息を吐いたメドに応えるように、双子が空から降り注いだ。貴族の子息さまより盗んだこぎれいなお洋服を泥で汚した、獣人の双子であった。

 二人は力を合わせて大きな魔物の死体を抱えている。


「狩っちゃった!」「ぶち殺してきたー!」

「うるせえよ、ギャスちゃんディスちゃん。食えるのか、そいつ?」

「…………食えない。毒が……ある」


 とターヴァは悲しそうに呟いた。


 ぎゃー、とギャスディス兄妹が悲鳴をあげ、巨大カエルの死体をゴミ山に放り捨てた。粘液でヌメヌメの手をターヴァの衣服で拭き取る。

 うげ、とダウナー系の男児であるターヴァが涙目になった。


「触っちゃった」「囓っちゃった」「舐めちゃった」「嚥下しちゃった」「美味しくないなあって思っちゃった」「マズかったよお」「変な味だったよお」「次に期待だね」「来世に期待しよう!」「美味しくなあれ」「美味しくなったら困るのでは」「毒だもんね!」「食べちゃいけないね!」


 双子が楽しそうにはしゃぐ。

 ターヴァは目をそらした。


「……私は。メドと……二人になっても……生きていく」

「助けてターヴァ!」「お命だけはー!」


 こてん、と双子が地面に倒れた。

 こひゅーこひゅーと呼吸が荒くなっていく。舌打ちをしてからターヴァが解毒薬を投与した。かなり高価な解毒薬であり、念のために彼自身の食費を削ってでも手に入れたものだ。

 

 双子の呼吸が戻り、まるで先ほどの死の瀬戸際がなかったように元気になる。双子は両手をあげて喝采をあげた。


「ふっかつ!」「回復できるなら食べても良いんじゃないか!?」「そうだ!」「天才だっ!」「天才の所業だ」「早速食べよう」「カエル鍋だ!」「鍋がない!?」「だったら食べられない!?」「鍋を狩ってこよう!」「野生の鍋を探せー!」「うおおお!」「魚!」「ぎょぎょー!」


 駆け出そうとする双子ばかどもが足を止める。

 いつもならば駆け出していき、いずれズタボロになって帰ってくるのだが……今日はどうやら結末が異なったようだ。


 ボロボロのソファから身を起こし、赤髪の幼女が鋭い視線を来訪者へ向けた。


「見ない顔だな、てめえ。俺はメド。名乗れよ、白幼女ちゃん」


 メドに睨まれた、白髪赤目の美幼女は返事の代わりに……グーと腹を鳴らした。

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