第318話 優雅な時間

    ▽第三百十四話 優雅な時間


 私を膝上に乗せたアトリは、ぼんやりと釣り糸を湖に垂らしています。場所は船の上。シヲが作り出した木製のお船でした。

 デザインはよくありませんけれど、機能美には優れております。

 シヲは遊びなデザインよりも、実用性に特化したものを好むようでした。


 現在、シヲは小屋の手直しに励んでいます。

 この釣りクエストが終わる頃には豪邸ができているかもしれませんね。私たちは近くに【マルクトの一翼】で作った城で暮らしています。日替わりで色々な城を楽しんでいますよ。


 すでにクエストが始まって五日目です。


 魚は思ったよりもたくさん釣れています。リアルでは見たことない魚ばかり。その大半が魔物でしたけれど、釣ったと同時にアトリの魔法が命を奪います。


「ごはん。です」

「焼いておきましょう」

「! 楽しみ。ですっ!」


 闇で作った腕を使い、私は魚を捌いていきます。気持ちの悪い寄生虫がいては嫌なので、私はセックに作らせた「下位寄生虫殺戮ポーション」を使うことを怠りません。

 パラサイト・フェアリーなどには効きませんけれど、魚に寄生する奴くらいなら殺せます。

 死体にポーションを飲ませます。


 なお、この殺虫薬は劇薬です。

 これを使った魚を食べるのは推奨しませんけれど、アトリには【キュア】があります。毒を解除してから美味しくいただけますね。


 闇で作り出した七輪。

 あとは火をおこして魚を焼いていきます。良質な魚の脂が火でとろけ、ぷくぷくと皮が焼き上がっていきます。


 たまらぬほどの香ばしき魚の焼ける匂い。


 もくもくと煙が空に上っていき、柔らかな風に連れ去られていきます。ボンヤリとした日常ですね。こういうのはクランイベントでも経験しましたけれど……悪くありません。

 何よりも良いのが自分でやらなくて良いところですね。


 ぷかぷかと浮かぶ船。

 ほどほどによろしい気候。美幼女の膝の上というのが不本意ではありますけれど、中々に悪くない落ち着いた時間が流れていきます。


 七輪で火の面倒を見るのも悪くありません。


 出来上がった魚を火から取り上げ、あとは白米も用意しておきました。課金で手に入れた米にセックが生みだした高性能の土鍋で挑みます。

 ふっくら炊きあがった白米と焼きたての魚。


 私が魚の味を調え、それをアトリが丁寧に食べ始めました。


       ▽湖の主

 湖の主は慌てていた。

 巨大な魚である。見る人が見れば、その主のことをこう呼ぶだろう。めちゃくちゃでかいピンポンパールである、と。


 そう。

 湖の主は金魚である。とても大きな金魚である。


 偶然、固有スキルである「肉体成長補正」を手に入れ、大きさこそ正義だとでも言うように湖最強の存在と化した。レイドボスにも至った。けれども、強くなりたくてなったわけではない。 


 弱そうな奴が大きいと狙われやすい。

 狙われるので返り討ちにする。そうすれば成長して大きくなる。


 その繰り返しであった。

 知能の高かった湖の主はすぐに理解する。これではいずれ狩られてしまう。湖で最強になったけれど、世界が広いことを、大地があることを、湖の主は理解していた。


 やがて獣人が現れ、湖の主を殺そうとした。

 強かった。

 もちろん、レイドボスである湖の主が、得意な湖で戦闘するので負けることはなかったけれど、いつ狩られてもおかしくないと確信した。


 その時だった。

 湖の主は「釣り」という概念を知ったのだ。これだ、と思った。


 湖の主は頑張って盗み聞きによって言語を習得し、毎日、釣りに現れる者に言った。


『争いなど望まぬ。戦など無意義。水の戦い。闘争。魚と人。この関係は物質的なモノではあらず、釣りによって預けられるべきである。ゆえに我は釣り、釣られ以外のあらゆる闘争を拒絶する。そうでなくば我は死ぬつもりはない。これは人と魚。その誇りをかけた聖戦である』


 そう言った。

 正直、緊張しすぎていて何を言っているのか、自分でもよく把握できなかった。それでも釣り人は理解をしてくれ、しかもそこそこに権力のある獣人だったらしい。


 以降、レイドバトルを挑まれることはなくなり、釣りバトルが開催されることになった。


 それから湖の主は一度も釣り竿に掛からなかった。当然である。だって独自に言語を習得できるほどの知能がある生物が、釣り糸に騙されるわけがないのだから……


 しかし。

 今、六百年ほどいなくなっていた人類種が再び現れ、しかも頭上には桁違いの威圧を持った生物が陣取っている。生きた心地がしない。


 そして何よりも……


『っ!』


 糸が高速で追いかけてくる。針に設置された餌など関係ない、とばかりに針と糸とが追いかけてきた。明確な殺意。命を狙われているという感覚。

 それから必死に逃げ、湖の主はどうにか糸を切断した。


 寸断された糸から、半透明の何かが弾き出された。それは長い筒状の生物。


『きゃきゃきゃきゃきゃきゃきゃきゃきゃきゃきゃきゃきゃきゃきゃきゃきゃきゃきゃきゃきゃきゃきゃきゃきゃきゃきゃきゃきゃきゃきゃきゃきゃきゃきゃ』

『ひいいいい!』


 ドラゴンがいる。

 釣り糸に入り込んで、その糸を自在に操り、追いかけてくる妙なドラゴンがいる。そのドラゴンを使役しているのが頭上の人である。


 もう一度だけ述べておこう。

 湖の主は生きた心地がしなかった。


       ▽

 船の上で釣り糸を垂らすアトリが【ケテルの一翼】を起動しました。

 ゴーストドラゴンであるドローミを呼び出し、彼を釣り糸に憑依させました。これは【霊邪龍の因子】のアーツのひとつですね。


 糸を完全に操り、ドローミが湖の主に襲いかかります。


 本当はブレスでも吐かせたいところですけれど、今回のクエストはあくまでも「釣り」ですからね。ブレスを吐き出しての漁業は許されていません。

 けれど、釣りバトル。

 強引に敵に針を通してはいけないわけではないでしょう。


 これもまたテクニックでした。


 自在な糸でしたけれど、さすがはレイドボス級。そのピンポンパールのような愛らしい見た目とは裏腹に実力はあるようで、すんなりと糸を引き千切ってしまいました。

 中々に貫禄のある実力者です。

 釣り合いに強い拘りがある以上、くだらぬ手に破れるつもりはないのでしょう。


 誇り高い奴です。

 油断ならぬ敵。


「相手に敬意を表し、私たちも全力で攻め続けましょう」

「勝つ。です……ドローミ、次はこの糸。オリハルコンでできている」

『きゃきゃ』


 あえて湖に毒を流して弱体化したり、ドローミに【ダーク・オーラ】を付与して直接ダメージを与えることはしません。それは釣りではありませんからね。

 かといって、私はギリギリを攻める男。

 普通に【クリエイト・ダーク】で障害物などは作り出しますよ。


「さあ! アトリ! 仕留めますよ」

「【ヴァナルガンド】【奉納・絶花の舞】」


 アトリが敏捷能力を跳ね上げさせます。

 それによって超高速の竿裁きを見せて、あっという間に湖の主を糸で雁字搦めにします。細かい操作についてはドローミに任せます。


 ドローミがゆっくりと針を、湖の口元に近づけていきます。


 相変わらずホラーな赤ちゃんの笑い声みたく、ゴーストドラゴンは『きゃきゃ』と鳴いています。水の中なのにどうしてちゃんと聞こえるかはファンタジー。


 否、ホラー。


 主の唇に針を強制的に引っかけました。

 主との釣り合いが始まります。

 凄まじい膂力で糸が引っ張られ、船が傾き、水が大量に入り込んできます。それを私が闇で外に出し、アトリも光炎を操って水を蒸発させていきます。


「っ! 神様、沈められる! ですっ!」

「強い引きですね。釣りスキルのないアトリではテクニックで勝つことは不可能ですか」

「外技も解らない、です! でも、負けないっ! ボクは、負けない!」


 外技とは技術。

 釣りも外技でこなすことはできますけれど、そもそも釣りを誰からも教わっていません。ならば、ここはステータスの暴力を行うしかありません。


「【アタック・ライトニング】!」


 超高速で竿を振り上げます。どうにか折れなかったのは世界樹で作った竿だからでしょう。それでも罅が入り、糸も引き千切れる寸前。

 拮抗した戦い。

 どちらが勝ってもおかしくない、ギリギリの闘争。


 沈められぬように闇を操作していきます。

 敵側も沈めることの難しさを承知したらしく、湖を自由自在に泳ぎ始めました。糸に引っ張られ、船が湖面上を右へ左へと大移動を繰り返します。


 船は大量の水飛沫を上げ、今にも壊れそうでした。


「つ、強いっ。でも、ボクは勝つ。ボクは神様の――使徒・アトリ!」


 こんなに拮抗した素晴らしき戦いは、ヨヨ戦以降なかったくらいです。これはアトリの戦闘ベストファイブに入るかもしれません。


 そして勝敗は。

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