第211話 純粋な想いこそが
▽第二百十一話 純粋な想いこそが
何もない闇の空間。
上下も左右も、何もかも。すべての色が黒に塗り潰された世界で、私は命綱もなく漂っていました。
「あの日、一瞬で二日が経過していました……早く脱出せねば」
私たちは精霊王たちと遊びという名目で殺し合っている最中でした。アトリは単独でも十分に強力なNPCですけれど、敵はカラミティークラスの精霊王です。
私の離脱が致命打になりかねません。
とりあえずアトリの実力を信じ、私は冷静に脱出手段を考えます。
ここで焦っていても、むしろアトリの死に近づくだけですからね。暴れたり、暴言を吐いたり、後悔している暇はありません。愚痴や不平不満は後で運営にメールしましょう。
「さ、ささ、さて」
やや焦っているようでした。
冷や汗を流す感覚を振り払い、思考を加速させていきます。
霊気顕現を習得しようとして、私はこの空間にやって来たことがあります。すなわち、この空間は【霊気顕現】に関係がある場所ということですね。
ならば【霊気顕現】を取得してしまえば脱出できそうなモノです。
違った場合、終わりというだけのこと。
リスクは負いましょう。
「……霊気顕現」
呟いてみるも失敗します。
この《スゴ》ではイメージでの入力の他、言語でも入力が可能です。むしろ、言葉を使ってのアーツやスキルの発動のほうが主体ですよね。
逆にいえば、言葉にして発したことが実行されない場合、そもそも使えない状態であると考えるべきでしょう。
まだ、私は【霊気顕現】の条件を満たしていません。
「……さて、どうすれば」
やたらめったら動き回ります。もはや上下の区別もつかず、完全な暗闇の中で迷子です。聞いたお話では、人は完全な暗闇の中では正気を保てないようです。
まったく実感がありませんが、私も狂ってしまうかもしれません。
「……【クリエイト・ダーク】」
真っ暗闇の中。
私はさらに闇を追加しました。自分で制御できる闇を使い、既存の闇を塗り潰そうという魂胆でした。
思いつきでしたが……悪くはなかったようです。
私が動かした闇の軌跡に亀裂がほとばしり、そこから何かが這い出てきました。それは人型。具体的にはリアルでの私――天音ロキの姿をした何かでした。
闇を払うような黄金の頭髪が、無風ながらに揺れました。
その青年はゆったりと唇を動かします。
『これがキミの闇の定義かい?』
「……あー、そういう系のイベントですか?」
創作物などでよく見受けられる自分との問答ですね。
ただし、口調が完全に私とは異なるため、私の造形をした何かとの対話という感が拭えませんが。
普段の私ならば、素直に問答には応じないかもしれません。
ですが、今は一刻を争う瞬間。なるべく素直に応じたほうが迅速な解決に繋がると信じ、安直と率直を念頭に会話を試みました。
「よく解らないのですが……どういう意味でしょう?」
『問おう、闇精霊・ネロよ。キミはどうして霊気顕現を取得したい? どうして強くなりたい?』
「霊気顕現は後回しで良いので早く出たいところですが……まあ、強くなりたい理由は楽に稼げるからですね」
私が《スゴ》を始めて続けているのは稼げるからです。
社会生活にはほとほと疲れ果てました。社会に属するということは、対人関係を構築するということを意味します。
他者と関係することが、社会の歯車となるということ。
私はサラリーをもらって生活していけるほど、生きることが得意な人間ではありませんでした。それなのに自分の才能を殺し、無理矢理に社会生活を送って――潰れかけました。
私は自分の才能を制御できていません。
何をするにしても芸術に傾倒し、油断すればすぐに何かを作ってしまう。
その性質に振り回されています。
ですが、強引にその性質を殺して、会社のために働いていました。
それを終わらせるため、私は《スゴ》を――《Spirit Guardian Online》を始めたのです。
私の嘘偽りない、馬鹿正直な回答に対し、天音ロキは首を左右に振りました。
『キミは嘘を吐いた』
……わずかに冷や汗が流れていく感覚。
図星だったようです。占い師に全てを見透かされたときのような焦燥感が湧き出します。
「……そんなわけがありません。私は本気でお金のために遊んでいます」
『たしかに。当初のキミはそうだった。キミは決めたことにひた走る傾向がある。それが突飛なアイデアだったとしても、とりあえずは全力でやってみようとする。だから、当初のキミは本気でお金を得るためにゲームを開始した』
「そうです。まあ、そのような誰にでも当てはまるような人格占いをされるまでもありませんけれど」
『しかし、今は事情が異なる』
天音ロキの姿をした何かは断言しました。
美しい眼球が、黒一色のネロを映しています。
『キミはずいぶんとメンタルを持ち直したはずだ。会社の裏切りとも折り合いをつけたのだろう? ――月宮ヨイが『子どもを笑顔にしたい』と始めたゲーム会社。キミは広報と芸術担当として必死に働いた。月宮亡きあとも友人の会社を守るため、必死に必死に必死に望まぬことをした。だが』
「何故、私の……」
私が目を見開く中、何かは淡々と続けました。
勝手に私の心情まで想定して。
『キミは働き過ぎたね? ゲーム会社はいつの間にか芸能事務所に変わっていった。それでもキミは懸命だったけれど、社員たちがなにげなく話していたこと――『天音さん、もうさっさと芸能一本に絞れば良いのにな――そっちのほうが儲かるし、ゲーム作りなんて向いてなさすぎ――ゲームのPR系の芸能の仕事減らしてるの、あの人気づいてんのかな――もう月宮社長も死んだんだし、そろそろ芸能人としての自覚を持って欲しいよねえ――』……その会話をうっかり耳にして馬鹿馬鹿しくなった。そうだね?』
私は気づいていました。
私はゲームの宣伝のため、会社の知名度をあげるために芸能の仕事をさせてもらっていました。しかし、月宮が死んでから会社は真剣さを失った。
仕方がありません。
月宮ヨイの才能は……カウンセリングと世間は思い込んでいました。
飛び降り自殺をしようとした人物に二三声を掛けるだけで、その後に肩を組んで笑い合いながら飲み屋に行く。重度の鬱病患者が生きることの喜びを語るようになる。
そのような異常事態を平然と起こす。
私や吉良さんなんて比較にならぬ、異能じみた能力。
どのような平凡な言葉でも、月宮ヨイが口にすれば心に、魂に響く。
言葉というのは「何を言うか」よりも「誰がどのように言うか」のほうが重要とされています。ゆえに大統領などは演説の練習をさせられるわけで……
月宮は生まれつき、言葉に異常なまでの力を持っていた、超常の魅力を宿していました。
ですが、私や吉良さんに言わせれば、あの才能は『カウンセリング』なんてくだらないものではなく――『扇動』や『人心掌握』でした。
使い方次第では神や教祖、国王や支配者にでもなれたであろう力。
その才能とカリスマで以て、彼はゲーム会社を作り出したのです。
彼の死後、社員が熱意ややる気を失ったのは想定通りでした。
でも、私は抗いました。
少しでも月宮の想いが世界に残るように。
あのくだらぬ馬鹿が死んでも、その想いだけは死なぬように。
ゲームの宣伝のお仕事ではなく、純粋な芸能の仕事が増えても、いずれは。いずれはまた子どもの笑顔のために……ゲームを。
解ってくれるかもしれないと。
そんなわけないと――気づいていました。
激情を込め、私は目の前の何かに怒鳴りつけました。
「どうして知っているんです!? 私が辞めた理由を。その会話を!」
『今のキミは落ち着いた。勢いで辞めた当時とは違い、今のキミならば冷静だ。持っている過去作を売り払えば良い。音楽などの印税でも食えるだろう? 得た金をすべて芸術につぎ込んでしまうにしても、生活費を残すことはくらいは可能なはずだ。キミはこのゲームに拘る必要なんてない』
「……それは」
反論の余地は無数にあります。
一番楽に稼げるから。
お金はいくらあっても構わないから。
作品を売るのは嫌だから。
社会の一員に欠片でも戻りたくないから。
理由はいくらでも見つけられますけれど、それっぽい理屈はいくらでも並び立てられますけれど……あえて認めましょう。
理解しました。
このゲームは私の思考などを読んでいるのでしょう。かなり人道的に問題があると思いますけれども、そのようなことをいまさら告げてもどうしようもありません。
ゆえに認めます。
私は本心を認めます。
「そうですね。私は……アトリと遊ぶのが楽しいのでしょう」
それが。
それだけが……私が《スゴ》をプレイしている理由。
アトリは言動こそ重たいですけれども、私にとってもはや娘のような存在……なのかもしれません。私のような異常な才能に振り回される異常者でも、彼女と接している時だけは普通の保護者のような気分になれる。
人並みの人生を送っているような気になれる。
錯覚できる。
それがきっと私には――嬉しいのでしょう。
実感はそこまでありませんけれどね。でも、たぶん、私はアトリと遊ぶことが楽しいのです。私に従順なようでいて、私の想定をいつも超えてくる、ちょっとおかしな子。
それがアトリ。
それが私が《スゴ》で遊び、このゲームを、この世界を愛する理由です。
『素晴らしい!』
何かは私の造形には似合わない、無邪気な笑みを浮かべて両腕を広げます。
『純粋な想いこそ――根源たる精霊に相応しい!』何かは喚きます。『さあ! 精霊よ、ネロよ、教えてくれ! 純粋で自由な瞳で視た――キミにとってのこの世界を! 闇の姿を!』
キミにとっての闇を!
キミが司るべき!
その世界の要素を!
その真実の姿を!
ありのままに視た、キミにとっての闇の正体を!
『定義せよ!』
私にとっての、闇とは。
▽
その画用紙にはつまらない絵が書き殴られていました。
驚くほどに下手な絵は、友達の描いた絵。たぶん、私と彼と彼女が三人で笑い合う、素朴でつまらないくだらない下手な絵でした。
まだ幼かった彼は、その画用紙を私に見せつけてきます。
『おい、ロキ! どうしたことだ! 俺は絵が下手かもしれねえ!』
『才能がありませんね』
『リアリティもないと思うよ? だって私とロキくんが手を繋いでない。なんでヨイくんが真ん中で私と手を繋いでいるの?』
私と彼女がだめ出しをすれば、彼はいつものように嬉しそうに微笑みました。どの子どもよりも子どもらしい笑みです。
他者から否定されることの少ない彼は、否定されることさえも嬉しくて堪らなかったのかもしれません。
『あーあ! 酷いこと言うなよ! どうにかしてくれって! めっちゃ良い文章を書いたのに、絵日記の絵がこれだと面白くない!』
『夏休みの宿題に絵日記なんてありませんでしたよ。趣味でやってるんですか? ……はあ、とても不服ですけれど仕方ありませんね』
そう言って私は下手な絵に……黒い鉛筆で影を書き足しました。それだけで絵には力が宿り、見るだけで他者を魅了する、素晴らしい作品に変化しました。
絵の中の三人は――心の底から楽しそうで。
その絵の出来映えに、私も思わず頬が緩んだことを思い出します。
彼は腹を抱えて笑いました。
『ビビるぜ! ちょっと手を加えただけでこれかよ! 才能あるな!』
『当たり前でしょう。私ですよ』
『でも、どうして影ひとつ入れただけでこんなに変わるんだ?』
『それはだって……』
だって影は――基本ですから。
私はそう言ったのです。
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