第192話 卒業

   ▽第百九十三話 卒業

 学院に帰還したアトリたちを待ち受けていたのは、血塗れながらに満面の笑みを浮かべた青年でした。歳の頃はリアルの私と同じくらい。

 黒髪黒目の青年です。

 スーツ姿の青年は心の底から嬉しそうに手を広げています。


 校門前、巨大なゲートの前を陣取っています。


「おかえり! 俺のかわいい生徒たち! 帰ったぜ、みんなの大好きな先生ゴース・ロシュー先生がな!」

「……」

「……あれ? 反応悪いな? もしや俺の代理だった教師に人気が奪われた!? これがNTR!? 俺の愛しい存在はいつだって俺になびかない仕様でもあるのか!? ビビるぜ……世界! 全部、乗り越えてやる! 見てろ、ガキども。俺の生き様を!」

「……」


 生徒たちや教師、アトリはガン無視で学園に入っていきます。

 どうやらいつもスルーされているようです。うるさいですし暑苦しい、私の苦手なタイプの人種のようでした。


 疲労困憊、行列で寮に向かう我々の真後ろにゴース・ロシューはついてきます。

 無駄に大声。

 元気すぎて明るい、空回った声でした。


「そうかそうか! 俺の服についた血……このブラッドが怖いんだな? これは全部返り血だから安心しろ! 時間を止めてくる敵で接近を許しちまってさ! 吸血鬼かメイド長かって! みんなが大好きな俺は無事だ。何せ俺は天才。今の俺にできないことは人心掌握くらい!」


 ガン無視でした。

 彼が本当にアトリクラスだとは思えませんでした。強者の気配、というモノがまったく感じられないのですよね。


 どちらかといえば……この世界の天才というよりも、私や吉良さんに近い雰囲気があります。


 強いのではなく、異常。

 凄いのではなく、桁違い。

 百点満点のテストで花丸をもらってしまうような。


「アトリ、少しお願いがあるのですけれど」

「! 神様がボクにお願い……! なんでも言うこときく! です! 脱ぐ! です」

「ちょっとサクラとは距離を置きましょうね」

「? はい……ですっ!」


 あの桃髪縦ロール、放置していては脅威たり得ます。

 現状の脅威度で言えばサクラ>越えられない壁>魔教です。改めて私はお願いを口にしました。


「あのゴース・ロシューという人となるべく会いたくないので近づかないようにしてもらえますか?」

「嫌い。です。か? ボク……神様が居ない間、倒せる。です」

「いえ、殺意とかはありませんけれど……」

「? 殺さない。です」


 なんとなく。

 なんとなく、私はゴース・ロシューのことが苦手なのかもしれません。正確には、いえ、自分の心なんてまったく解りませんけれど。


 彼の話を聞いていると、少しだけモヤモヤしてしまうようでした。

 火の消えた線香花火を見つめているかのような、そういう気分。


 アトリはふんす、と鼻息を荒げてその場から離脱しました。

 おおー、とあまりもの速度に生徒たちが目を見開きます。あっさりアトリは自室に帰還することに成功しました。


 その日の夕方、アトリは職員室に呼び出されました。


      ▽

 こくり、とアトリが頷きます。

 相手は長老……ジイジです。他にも初老の教師などのお世話になった人も勢揃いしています。ゴース・ロシューは居ないようですね。


 教師たちの言葉は単純明快。


 ゴースが帰還したので「アトリの任務は終了」ということでした。すなわち、生徒役と教師役とを卒業ということです。

 長老が長い耳を撫でながら言いました。


「もちろん、アトリが学院に通い続けたかったり、教師を続けたいならば続けてくれて構わぬとジイジは思っておる」

「ボクは戦う」

「ふむ……同い年の友人の存在は得がたいと思うがの」

「興味ない。ルーシーだけ任せる」

「ジイジは解ったぞ。だが、戻りたければいつでも歓迎しよう。学びだけは裏切らぬ」

「神様も裏切らない」

「?」


 長老が首を傾げる中、初老の教師が深く腰を折ります。


「アトリ先生には助けられました。生徒たちには面白い刺激となったでしょう。まあ、やや刺激が強すぎるきらいはありましたがな。魔教の襲撃も貴女のお陰で被害を減らせた」

「そう。ボクもお前は評価している」

「それはありがたい。が、アトリ先生。多少は目上の同僚に対する礼節も覚えねば――」


 初老教師がお説教モードに入りかけたのを察知し、ジイジが大きく咳払いをしました。合わせて初老教師も咳払いをします。


「ともかく、お別れです。クラスメイトや生徒に挨拶をしていくとよろしい」

「解った」

「また長老からお手紙です。この学院を出た後に開封し、その後は好きにしても良いとのことです。どうやら第三フィールドのボスの情報のようですな」


 イベント報酬ゲットです。

 これで第三フィールドのボスを殺しに行けるでしょう。あまりにも強そうだった場合、一端、カンストを目指すのもアリですけれどね。


 私のレベルも低いままですし。


 翌日。

 とりあえずアトリはぽてぽてと教室に足を向けました。近未来的なデザインの大鎌を肩に担いでの廊下闊歩。

 異様な光景ですけれど、これがアトリの日常でもあります。

 すでに学校サイドが慣れてしまったようですね。


 少しの滞在でしたが……人は慣れるもの。


 あまり友達を作ったり、青春ぽいイベントをこなすことはできませんでした。学校の大切さなんて解りませんけれど、一般論では重要なことは理解できています。


 まあ、学生時代、私はずっと作品作りで忙しく、月宮以外とは交流しませんでしたが。

 そしてそれをまったく後悔していません。


 かといって、私の人生をなぞらせる権利は私にはないわけです。

 アトリは高性能AI……ほとんど人と変わりないですしね。AIにも成長する権利があります。昨今はAIアートだとかでAIも頑張っています。


 私の作品のデータを取り込んで壊れてしまったAIたちの分も、アトリにはより良い学習をしてもらいたいところ。


 アトリが教室のドアをゆっくりと開きます。


 まだ生徒たちはアトリの卒業を知りません。数名の生徒たちが近づいてくる中、アトリは教壇にひとりで立ちました。

 たくさんの小さな瞳がアトリを見つめます。ぽつり、とアトリが告げます。


「ボクは終わり」

「!?」


 生徒たちが目を見開きます。

 そりゃあ、あの強気にして傲岸不遜にして無敵みたいなアトリが「終わり」とか言い出すのです。


 何かの異常事態を察知してもおかしくありませんでした。


 そのような中、やはり動くのは桃髪縦ロールです。彼女は控えめに挙手した後、


「終わり、とはどういう意味でしょう?」

「ボクは生徒と教師を辞める。ゴースが戻った」

「ああ……」


 ゴースの帰還はこの学院に通う者なら誰もが知るところ。

 アトリは彼の代理教師でした。生徒としても入学しているため、彼の帰還=卒業とは生徒たちは思っていなかったようですね。


 数名の生徒が悲しそうな雰囲気を出します。

 数名は安堵しているようですね。アトリの授業は彼らの経験の中でも屈指の辛さだったことでしょう。


 サクラは小さな声で「私の有利が……」と呟きました。

 とりあえずアトリはお別れを告げられたことに満足したようです。大きく頷いて教室を後にしました。


 追いかけてきたのはヘレンでした。

 彼女はアトリを呼び止めて前に回ってきます。大きく下げられた頭は、上げられた時、滂沱に濡れていました。

 ぐしぐし、と顔を乱暴に袖で拭います。


「行かないでください、アトリ先生」

「行く」

「……あの、わたしは」


 アトリのあまりもの即答につい動揺してしまうヘレン。この状況で即座に断れるのはアトリのメンタルの強さ……というか異常さを象徴していますね。

 私が女の子に泣きつかれたら、最後に断るものの、話を聞いてしまいます。


 めげずにヘレンは言い募りました。


「アトリ先生だけがわたしを『ちゃんと評価』してくれていました。魔法が使えない、役立たず。頑張ってるだけの弱い娘……我武者羅な努力なんて意味がない。そう言ってくださった上でわたしを自由に成長させようとしてくれました」

「それが教師」

「……わたしはもっと先生と一緒に過ごしたかったです」

「そう」


 アトリは小さく頷いてから、教え子に向けて木剣を投げ渡しました。慌ててキャッチしたヘレンですが、きょとんとした顔をしています。

 しかし、アトリの言いたいことを理解して首を振ります。


「もらえません、アトリ先生。わたしは先生に何も……返せません」

「先生は」


 アトリが俯いて呟きます。

 いつもの自信と狂信に満ちた声ではなく、少しだけ……寂しそうな声音。遠くを思う声でした。


「先生は生徒に見返りを求めない」


 思い出しているのはジャックジャックのことでしょう。彼はアトリに何かを求めたわけではありません。

 ジャックジャックは死にました。

 ですが、その教えはアトリにも引き継がれています。アトリの仕草のひとつひとつにも、考えにも、彼の面影は見受けられます。


 心の中で生きている。

 

 だなんてきれい事は言いません。

 それでも、ジャックジャックの教えは「何かをもたらして」、そのなにかはアトリやジャックジャック本人、それから他の人々にも救いを生んだことでしょう。


 教えるということは、そういうこと。


「じゃあね」

 アトリはかわいらしく手を振りました。

「素振りは続けると良い。強くなれ」


 ヘレンは大きく頷きました。


「はい! 強くなります、アトリ先生。ルトゥールとして誰にも負けなくなります。でも先生、生徒として見返りは用意しません。ただし、貴族としてアトリ先生に恩を受けたと覚えておきます」

「?」

「またお会いしましょう、アトリ先生!」


 ヘレンはすっかり素晴らしき貴族として歩み始めたようです。

 武器をもらったという恩を貴族として覚えておく。その代わりに武器を受け取る。しかも、貸し借りというのはじつのところ、繋がりでもあります。


 偉い人は「恩を売る」以外にも「あえて相手に貸しを作る」ことによって、他者との繋がりを作ったり維持したりすることもあるのです。

 ヘレンは色々と貴族的な動きを理解してきたようですね。


 まあ、アトリには「そういうやり取り」は理解できないようですけれど。


 こうしてアトリはアルビュート王立戦闘学園を卒業しました。

 ……ユピテル殿下の「シヲとの食事会を開け」という要望は無視して。まあ、そもそもシヲは食事を必要としていませんしね。


 強いて言うなら「人肉」が好物でしょうし。

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