第189話 ルトゥールとして

   ▽第百八十九話 ルトゥールとして

 アトリが行動不能にされた以上、もはや生徒たちは自分の力で逃げねばなりません。真っ先に判断したのはユピテル殿下でした。

 彼は怜悧な瞳でおかっぱ頭を見やります。


「キミ、すまぬが俺のためにここで時間を稼いで死ね。良いな」

「なっ! あ」

「俺は王子だ。意味は解るな」


 おかっぱ頭は絶望した顔をしながら小さく頷きました。王族を生かすために平民が死ぬ……それはこの世界にとっては常識なのです。

 それはおかっぱ頭も理解していた様子。

 武器もないのに震えながら立ち上がります。すでにボロボロと涙を流しています。劣化蘇生薬の副作用で激痛もあるのでしょう。


「ゆ、ユピテル殿下……ぼくの家族をよろしくお願いいたします。その」

「うむ」

「! うわああああああああああ!」


 錯乱したのでしょう。

 徒手空拳、無策、魔法も使わずに突撃していくおかっぱ頭。


 オリバーは溜息とともに銃の引き金に指を掛けました。


「無駄な殺しはしたくないのでございますがなあ」


 おかっぱ頭を盾に逃げ出すユピテル殿下。

 すでに銃口はおかっぱ頭を殺す位置で定まっています。銃弾が解き放たれる。ぱあん、という音が轟いた直後。


 人の肉が地面に転がりました。

 ……それは小柄な少女。ヘレンの肉体でした。

 おかっぱ頭を庇ったのです。


「っ」

 と息を呑んだのはおかっぱ頭でした。倒れたヘレンに咄嗟に駆け寄り、その腹から流れる傷口を塞ごうと手を当てます。

「な、何故、ぼくを」

「……うるさいわ」


 傷口を押さえて立ち上がるヘレン。口からは血が流れています。片手には大切そうに……木剣が握られていました。


「わたしはヘレン・フォナ・ルトゥール。貴族は……民を守るのよ」

「――っ。ぼくはキミを馬鹿にしてたんだぞ!」

「知らないわよ、そんなこと」


 ぎりり、という音とともにヘレンが剣を握り、オリバーの前に立ち塞がりました。アトリが「一応」と言ってユピテル殿下に持たせていた、ヘレン用の剣でした。

 逃げる際、ユピテル殿下は余計な荷物は捨てたようですね。


 それを拾ったのでしょう。


「……素晴らしき貴族には品がいる。良き貴族は手段を選ばなくてはならない」

 ヘレンは目を閉じ、それから剣に集中します。

「お父様は言ったわ。『良き貴族であるためには、小さな悪さえ飲み込んではならぬ。人は強くない。一度、闇の甘露を知ってしまえば戻れない』……」


 おそらく、幼いヘレンには何処からが悪で、何処までが善なのかが判断できなかった。いえ、大人であろうともその判断は至難でしょう。彼女には「ルトゥールに相応しい貴族」にならねばという強迫観念があります。

 それに相応しい力をつけたい、と希っていました。


 だからこそ、彼女はアトリの手を払いのける必要があったのです。


 あそこで武器を受け取るということは、冒険者としては正解でも良き貴族としては落第。あのままでは上手く行って「悪徳貴族」か「無能貴族」か。

 良き貴族は手段を選ばねばなりません。

 一度でも手段を選ばない選択をすれば、人は見る間に堕ちていきます。ブレーキを失い、やがて民を巻き込んで盛大に破綻するのです。


 勝つために手段を選ばない。

 そのような楽な道が通用するほど「良い貴族」の生き方は簡単ではありません。


 あそこで武器の力に頼って勝てば、ヘレンの目標や夢、理想は潰えたでしょう。


「わたしは間違えなかった。答えが解らなかったから、全部を撥ね除けてきただけだけれど。でも、いま……ようやく答えが解ったわ。わたしは決めるだけで良かった」


 武器を受け取らなかったのは間違いではありませんでした。

 ですが、それは最善ではありません。

 あの時の、最善とは。


「……わたしはアトリ先生に交渉するべきだった。武器を貸し与えられるのではなく、交渉して武器を与えられた力じゃなくて自分で手にした力にするだけで良かった。お金でも、恩でも、やりようはあった。それが素晴らしき貴族だったのに」


 貸し与えられる力を享受するのではなく。

 自分の力で手に入れること。

 たったそれだけのことが。


 それがあの時の最善でした。


「素晴らしい」と私は素直に称賛しました。


 あの幼さで、独力で、ヘレン・フォナ・ルトゥールはおそらく彼女にとっての正解に辿り着きました。


 これこそがヘレンの望む「素晴らしき貴族」の在り方。

 貴族とは力の権化。手段を選ばない貴族は、本当に何でもできてしまいます。人は自分で思うほど賢くありません。自己に自制を期待するだなんて甘い。一度でも「何でも」を許してしまえば……破滅を辿りかねない。


 その可能性を持つこと自体が、貴族には罪。


 ですが、そこに一手――ブレーキが挟まるだけで変貌します。

 その一手は良心やプライド、覚悟、実力、様々な言い方がありますけれど、ともかく。


 答えが同じでも、過程がひとつ異なるだけで……人は、意味は、大きく変化します。

 今、ヘレンは良き貴族となるために必須の力を手に入れました。


「戦場で武器を拾うなんて当然よね。だから、これは今だけわたしの力」


 メンタルが変化するだけで、人は何もかもが変わります。今までの無力だった小娘は失せ、戦場にて貴族の子女が立ち上がります。

 凡夫とは一線を画す、貴族独特の存在感。


 これこそが才能の片鱗。


「わたしの名はヘレン・フォナ・ルトゥール。名誉ある、素晴らしきルトゥールとして――民を守るわ」


 凄まじい気迫を放つヘレンに対し、魔教のオリバーは小さく拍手を送ります。


「よろしいことでございます。傾聴した価値がございます。そういう強固な自我を破壊した時こそ、我らが望む魔王の降臨が期待できるのでございますなあ。今の魔王様は神を殺しかねないので期待とは異なるのでございます」

「わたしは屈しないわ」

「いえいえ。常人は絶対に痛みに屈するのでございます。貴女は立派ではございますけれど、狂ってはございませんなあ」

「狂っているのは貴方たちだものね――構えなさい」

「酷いことをおっしゃりますなあ。他者の視点も慮ってほしいのでございます――攫いなさい」


 剣の効果によってブーストされたヘレンが群がってくるゴーレムを叩き壊します。素振りは続けていたようで、どうにかステータスに振り回されすぎて動けない、という状況は回避したようですね。

 敵はヘレンを殺すことも前提とした立ち回りをしてきます。


 ヘレンの目が真っ直ぐ敵を捉えました。


「【スラッシュ】!」

「木剣とは思えぬ威力でございますな。レベルの割に武器に振り回される一方でもない。さすがはじき魔王様といったところでございましょう。ですが――」


 オリバーが指を鳴らせば、また新たなゴーレムが追加されました。せっかくセックやヘレンが倒したゴーレムたちですが、今やその数を倍にしております。

 かなりの戦力を用意していたようですね。

 オリバーはスカートの下、太ももに括り付けてあったポーションを取り出して飲み干します。


「付け焼き刃でございますなあ」


 オリバーが銃を乱射します。

 また、ゴーレムも凄まじい弾幕を張り始めました。背後のおかっぱを守るべく、ヘレンはその銃弾たちを真っ向から相手取ります。


 が、まだ技術が足りていません。


 肉体に無数の風穴を開けられ、一瞬でHP を削り取られていきます。どうやら弾の威力はあえて落とされているようですが、その所為でかえって苦しめられている形です。

 ヘレンの背後、おかっぱ頭が叫びます。


 少年の顔面には、大量の少女の返り血。涙と情けなさで汚れた顔で、おかっぱ頭は慟哭します。


「もう良い! もう良いから! 逃げてくれええええ!」

「【スラ……」


 アーツを放つ余力すらなく、ヘレンが地面に崩れ落ちました。剣を支えに立ち上がろうと試みますが、上手く立ち上がれないようです。

 オリバーのゴーレムがヘレンを捕まえました。


 と。

 その時、ゴーレムの全身が水に飲まれて圧壊します。戦場の外からやって来たのは困り顔のユピテル殿下でした。


「……逃げるべきなのだがな。が、俺の命よりもヘレン嬢が捕まるほうが問題だ。仕方がない」

「殿下!」

「ポーションだ。これでヘレン嬢を癒やせ。……ここで魔教を討つ」


 ユピテル殿下がポーション瓶をおかっぱに投げます。慌ててキャッチしてから、おかっぱ頭がポーションをぶちまけました。

 見る間にヘレンの傷が塞がり、HPも全回復したようです。


 あのポーション、効果は高いですけれど、ポーション中毒になるのも早そうですね。


 ヘレン、ユピテル殿下、おかっぱ頭が大量のゴーレムを前に横並びとなります。相手はかなり格上。実戦を積んできたであろう……魔教の司教。

 生徒たちが抵抗を開始しました。


       ▽

「ゆっくりと後退! 【瀑布剣】!」


 ユピテル殿下が指示を叫びながら、防御系のアーツを発動しました。滝のような勢いの水のカーテンがゴーレムたちの攻撃を防ぎます。

 後ろではおかっぱ頭が業火をまき散らし、ゴーレムを一体ずつ仕留めます。

 ヘレンも近づいてきたゴーレムを破壊する活躍を見せました。


 わりと戦えています。

 とくにおかっぱ頭が想像以上に善戦していますね。劣化蘇生薬の副作用である激痛を受けながらも、比較的冷静に戦えています。

 初老教師の屈辱実習が逆境での立ち回りに寄与している……かもですね。


 ただし、それはあくまでもオリバーが積極的に参戦していないからです。彼はヘレンのことをしきりに警戒しているようでした。

 おそらく、固有スキルたる【ラタトスク】を恐れているのでしょう。

 うんうん、とオリバーが頷きました。

 シスター服のベールから覗く髪が綺麗に輝きます。


「まだ魔王として……真なる魔法使いとしては覚醒していないのでございますね。ならば、私でも安全に捕まえられることでございましょう。あまりにもアッサリだったので不必要に警戒してしまったのでございます」


 オリバーが銃に魔力を込めました。

 この《スゴ》に於ける銃は弱武器とされています。序盤は強いのですけれど、後半になるにつれて「攻撃にステータスが乗らない」ことで火力不足になってくるのです。


 完全に武器の性能とスキルのレベルだけで殴る武器となっております。


 ですが、付与効果目当てならば一考の余地があります。

 ヘレンたちくらいでしたら軽くひねり潰せることでしょう。それは生徒たち側も理解しているようで緊張の汗を流しています。


「【イグニス・フレア】!」


 ゴーレムをヘレンとユピテル殿下に任せ、おかっぱ頭がオリバー本体を魔法で狙い撃ちます。業火魔法による、軽範囲攻撃。

 小さな爆発を生む魔法アーツです。

 中々に良い一撃でしたが、魔教司教には届きません。


 簡単なステップだけで回避され、カウンターの銃弾をもらってしまいます。その銃弾自体はユピテル殿下がどうにか防ぎましたが。

 無駄な行動をさせられたことにより、ユピテル殿下がゴーレムの攻撃を受けます。


「……っ」


 実戦経験の乏しさが出ました。

 ユピテル殿下は中々に優秀なNPCですし、その実力も年齢に対して高いのでしょう。ただし、死と生との綱渡り状態で痛みを受けたことはないご様子。


 剣筋が鈍り、滝の盾が消失してしまいました。


「もう終わりですかね」


 私が呟いたと同時、オリバーも同様の結論を得たようです。


「まずは一人」

「させないわ!」と反射的にヘレンが前に出ました。純魔法使いのおかっぱ頭よりも、ヘレンのほうが反応が良かったのでしょう。


「魔王さま。とりあえず一回死亡でございます」


 オリバーが悲しげな表情と共に終わりの引き金を絞ろうとした、その時。オリバーの背後で戦場には不釣り合いの愛らしい声が響きます。

 幼い声。

 濃密な――死の気配。



万死を讃えよ、、、、、、

 咄嗟にオリバーが振り向いた時にはもう遅く。

「――【死神の鎌ネロ・ラグナロク】」


 死神幼女の必殺技が解き放たれていました。

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