第174話 畏怖

  ▽第百七十四話 畏怖

 アトリがご機嫌に食堂を闊歩します。

 なんと食堂では食べ放題です。無駄に残せば叱られるようですが、アトリの辞書にお残しと闇精霊ネロの名はございません。


 小さなアトリが抱えるプレートには、たくさんの食事が乗せられています。後ろを歩くシヲも触手によって無数の食器を抱えています。


 生徒たちはアトリを露骨に避けています。


 アトリの訓練によって恐怖を与えられ、すっかり生徒たちは萎縮してしまったようですね。とくに鼻をやられたおかっぱくんについては、寮に引き籠もって出てこなくなったようです。

 まあ、しょうがありません。

 アトリだから問題ありませんでしたが、彼は同級生であれば殺せる魔法をいきなり放ちました。それを考慮するならば……あのていどのお仕置きは優しすぎるくらいです。


 アトリは子どもながらに子どもには甘いですからね。


 いつもだったら四肢切断していたことでしょう。


 そのようなアトリの配慮は当然ながら伝わりません。実戦を経験したことのない生徒たちからすれば、あの時のアトリは「殺意で暴走」したように見えたのでしょう。


「……あ、アトリさんだ」

「ひいいい」

「か、かわいい……ひいいい」


 アトリが近づくだけで席が空いていきます。

 ですが、全員が退避を優先して食器類を置いていくため、テーブルには食事が残されていました。


 自然、アトリは空いている席に辿り着きます。


 そこには一人の女子生徒……護衛対象たるヘレン・フォナ・ルトゥールが一人で食事をしていました。

 長い黒髪。

 黒い瞳。つまらなさそうな顔。アトリよりは僅かに身長は高そうですね。


 アトリは何も言わずに席につき、食事を始めました。

 ヘレンは何も言いません。

 ただひたすらに黙って食事を続けています。ヘレンが食べているのはシチューのようでした。パンをムシャムシャと引き千切り、ボンヤリ咀嚼しています。


「護衛対象ですよ、アトリ。少し友好を深めますか?」

「? ……はいっ、です神様!」


 ピタリ、食事の手を止め、アトリがヘレンに問います。


「友好を深める」

「わたし……食事中は喋らないから」

「う……」


 アトリが項垂れました。

 私が「食事中は品良く」と指示したのと「ヘレンと仲良く喋ろう」という指示が喧嘩をしているようです。

 アトリに矛盾した指示を出して、頭がバグらせるのは嫌いではないですが。


「アトリ、今は諦めておきましょう」

「はい、神様。諦める……です」


 十中八九、ヘレンの嘘でしょう。

 アトリは【勇者】の効果で害意を読み取れます。それゆえ、ヘレンの嘘も見抜いていることでしょう。


 そもそもヘレンは貴族の子です。

 貴族とは食事さえも仕事の一環です。会食は交渉に便利な概念なので、食事中に喋らないなんて貴族的にはあり得ない……とまでは言いませんが避けるべきことです。


「……」

「……」


 先に食べ終えたヘレンが席を立って行ってしまいました。

 護衛対象に避けられていることは懸念です。一応、シヲが常に【音波】スキルで警戒してくれていますけれど。


 相変わらず、周囲に生徒たちはいません。


 アトリの学生生活は前途多難のようでした。

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