第162話 撤退の天使
▽第百六十二話 撤退の天使
「アトリ、ドラゴンはルーや他の人たちに任せましょう。同時に相手するのは手間です」
「天使だけ狙う……です!」
アトリがドラゴンから視線を外し、エルエルを睨みつけます。
初手。
筆頭天使たるエルエルが急激に浮かび上がります。また、唇はアーツを紡ぎます。
「【イェソドの一翼】発動【コクマーの一翼】発動【ネツァクの一翼】発動……」
いくつも翼を失いながらも、凄まじい速度で飛んでいくエルエル。
無論、アトリも魔法を大量に放って止めようとしますが止まりません。まるで一流のスイマーのようにエルエルは空を泳いで回避するからです。
「【ストーン・バレット】」
上空より石弾の雨が降り注ぎます。
それだけでしたら、いつものアトリならば大鎌で切り裂けました。ですが、今回の攻撃はそうではありません。
すべての石弾が巨大でかつ鋭利。そしてアトリでさえ視認ギリギリなスピードを有しているようでした。
理解します。
この石弾すべてが【コクマーの一翼】によって強化されているようです。
しかし、一日一回しか使えない【コクマーの一翼】を何発も放ってくる。
おそらくは装備の効果か固有スキルでしょう。内容は「バフの効果時間を延長する……」とかそういう感じでしょうね。
強い固有スキルです。
アトリが石の弾幕を高速で駆け抜けて回避していきます。雨が注ぐ度、周囲の木々がえぐられていきます。大地が砕け、貫かれた大地からお湯が沸き出しています。
デタラメですね。
走りながら、アトリは太もものホルスターからポーションを取り出します。それは【敏捷値増加ポーション】でした。
ごくり、と飲み干して速度を上げます。
アトリが【フラッシュ】、私が【クリエイト・ダーク】で撹乱しているので、まだどうにか生存することができています。これがなければ未来視+大規模魔法で殺されています。
時折、土の壁が出現して動きを阻害してきます。
ただの土壁と侮ることはできません。アトリは【殺生刃】をフル活用して壁を切り裂きます。逆に言えば、今のアトリでも固有スキルなしでは破壊できない耐久度の壁なのです。
石の破片がアトリの肩や腹、腕を貫いていきます。
ちょっと掠っただけで部位が吹き飛びます。上手く回避しているからこの程度で済んでいます。普通ならばこの数秒で何百回と殺されていることでしょう。
「ちょっと強すぎますね、敵」
「空……手を出せない、です」
「軽く血を流してください。私が集めます」
「はい! 神様!」
アトリは牽制の魔法を放ちながら、小鎌で自身の腹を裂きます。流れていく血液を【クリエイト・ダーク】で集め、それをアトリの靴にぶちまけました。
アトリがぐるぐる目を見開いたまま、その邪神器を起動しました。
「邪神器起動【
アトリの靴装備【アイクの翼靴】は二段ジャンプを可能とする装備でした。これを神器化することにより、アトリは空中で戦闘することが可能となるのです。
生み出された邪神器は、
邪神器【空、踊る妖精靴】
レベル【82】
攻撃【410】 魔法攻撃【410】
耐久【410】 敏捷【410】
幸運【410】
スキル【レベル成長】【無限跳躍】【脚力超向上】【悪路無効】
MPを消費するものの、無限に空でジャンプできる装備と化します。とはいえ付け焼き刃。羽で自在に飛ぶ敵相手には心許ないです。
それでも使わねば一方的に殺されてしまうだけでしょう。
この邪神器の代わりに、杖が通常の杖に戻ってしまいます。呼び出していた邪世界樹も消えてしまったようです。戦線維持に一役買っていましたが……アトリの命が優先ですね。
空気の膜を蹴りつけ、一息でエルエルと並び立ちます。
ずっと落ち続けているので、定期的にジャンプをせねばなりません。
が、私は周囲一面に無数の【クリエイト・ダーク】モードステップを設置します。まあ、本格的に戦闘が始まれば、すべて破壊されてしまうでしょうけれど。
そのステップに立ち、アトリが大鎌を低く構えます。
エルエルが首を傾げました。
「羽10枚もないのに、どうして挑んでくるんです……少し訊きたいのですが」
「おまえは死ぬ」
「……えっと。ぼくと対峙してここまで生き残れて、しかも嫌悪感が薄い人類種は初めてなので訊きたいんですよ。どうして人類種は滅びを受け入れないのです?」
アトリが飛びかかります。
ひらり、とエルエルは飛行能力で躱します。
大地での戦闘でしたら、おそらくアトリの圧勝でしょう。しかし、慣れぬ空中戦……しかもこちらには飛行能力はありません。
敵の回避の選択肢のほうが幅が多く、どうしてもアトリをして捕らえきれません。
カウンターで放たれる魔法をギリギリで躱し(被弾して肉体が飛ぶくらいは回避成功のうちです)、血まみれになりながらも斬りかかります。
エルエルが返り血で真っ赤になって首を傾げました。
「人類種ほど醜い存在もありません。貴女がたは平然と同族を殺す、拷問する、虐める、辱める。他生物を見れば支配しようとするか、狩るか、駆除するか……経験値だとか素材だとか、権利だとか……そういうモノのために平然と殺す、奪う」
「飛んでるの面倒……!」
「我々天使は人類種と敵対しています。貴女たちが別種と見るや無条件に襲ってくるイカれた天敵だからです。なぜ、人類種は高い知能を持ちながらすべてと敵対するのですか。嫌われていますよ、畏れられていますよ、他生物から」
エルエルが腰から刀を抜きます。
美しい月夜のような色合いの名刀でした。真っ正面からアトリの大鎌と切り結びながら、エルエルは疑問の声を続けました。
無機質な仮面と赤の瞳がぶつかり合います。
「ぼくたちは天敵である人類種と悪魔以外は襲いません。襲わねば襲われますからね。悪魔だって同じです。同族も殺しませんし、殺すのは人類種と天使だけ。悪魔が拷問をするのだって……人類種の負感情が餌だから。縄張りだって持て余しているでしょう、貴女たちは。農業まで覚えて。それなのに積極的に殺しに行く。なんなのです、人類種って?」
「うるさい」
「そう、うるさいんですよね、人類種って。生きるため、守るため以外の理由で敵対してもいない生物を積極的に殺そうとする異常種。低級の魔物と同じ動きながら、圧倒的な知性を持つ生物。ぼくたちは平穏な暮らしがしたいだけなのですが……」
ゼロ距離でエルエルの魔法が発動。
アトリの腹が石で切り開かれます。ですが、アトリは構わずに大鎌を振るい、エルエルの右腕を切断しました。
「いっ! ……困りますね。お話も聞けませんし。憂鬱です」
「……」
「しかし、貴女と対峙して理解しそうです。欲望と醜さ。ゆえに人類種は強い。そういうことですね? それが貴女たちの武器であり、種族特性なのですね? 知性を持ちながらも他者を欲望のために平然と踏みつぶせる異常性。貴女たちはどこまでも強く、冷酷に上を目指せる」
繁栄の獣。
とエルエルはぼそりと呟きました。
アトリの成長は無数の死の上に成り立っています。
数多の生物を、魔物を、同族を経験値としてきました。おそらく、天使を始めとする魔物は生まれた瞬間から高レベル。
必要以上に殺す必要なんてなかったのでしょう。
エルエルはそれを醜さや悪と断じます。
まあ、この世界に本当に神が居たとして。その神が善悪の元に罪に罰を与えるのだとして、我々人類種こそが駆除の対象になることでしょう。
とはいえ、正義だとか悪だとかを勝手に決めているのも人間のエゴですが。
たとえば何も悪いことをしていないと言い張る人類だって、電気を使っている時点で環境破壊を促進しているわけでして。
しかし……だから何、という気分でもあります。
それこそが人類なのだから。
人類の醜さは他生物を圧倒していることでしょう。その醜さを人類の一員として、私は理解した上で……人間をやっているのですからね。
人類は芸術に値しないほどに醜い。
ですが、それゆえにどこまでも自由なのです。
もしも、人類種に意見があるのならば他生物は人類に勝てば良いだけのお話。
話し合いが通じるほど、人類は賢くありませんよ。
通じているなら戦争とか、虐めとかやっていませんしね。
人類が正義や悪を決められるのは、人類が正しいからではなく、強いからです。
エルエルはゆっくり脱力し、冷静に周囲を見渡しました。
「ここは一度、引きましょう……腕を治さねばです。痛くて憂鬱ですよ」
「逃がすつもりはない」
「いえ、貴女一人ではぼくの逃走は止められません。なぜらなば……フィーエル様!」
エルエルが叫べば、突如としてアトリが地上に落ちました。
そして悍ましい気配を全身に感じます。アトリやクルシュー・ズ・ラ・シーよりも格上の気配です。
雲間より降臨したのは金色の天使でした。
「ずいぶんと」金色の天使が首を傾げます。「やられましたね、エルエル。やはり人類種は強敵でしたか?」
「はい、フィーエル様」
「よろしい。今日は引きましょう。続きは翌日です……我々の損害も多大です」
フィーエルと呼ばれた天使の格は、アトリたちよりも上のようでした。最上と言われているアトリたちよりも、です。
その圧倒的な力を前に、アトリでさえ空を睨み付けることしかできません。
否。
唯一、【命中】のルーだけが矢を大量に放っています。ですが、その矢はフィーエルに届くことがありませんでした。途中で謎の力を使ってかき消しているようです。
フィーエルはエルエルを連れて雲の向こうに消えてしまいました。
襲撃初日。
天使たちは敗走しましたが……あれが居るのでは他の全天使を殺したところで変わらないかもしれません。
魔女が言っていたことを思い出します。
『あの戦は地獄だぜ』
きっとそれは天使と私たちの戦ではなく。
私たち全員とフィーエル……そういう意味だったのでしょう。
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