第143話 魂への傷
▽第百四十三話 魂ヘの傷
スラムの只中。
孤児院寮を目前にした、薄汚れた道のど真ん中で両者は向き合っていた。
片や眼鏡の青年。
片や筋骨隆々の老人。
しかし、二人の持つオーラは圧倒的であった。
いくつものクレーターが出来た場所にて、ギースは「はあはあ」と息を荒くして、苦しそうに胸を押さえている。
「……てめえ、それが本性ってわけかあ?」
「うむ♡ ルルティアちゃんのかわゆーい本性なのだ♡ チミくんはもうへばっちゃったの? 大人なのに情けなぁい♡」
「っち、キモいんだよ、死ね」
「あーん♡ どSさんだぁ♡ ルルティアちゃんの魂は世界一かわいいから、どんな時もえっちなことされちゃうんだね……変態♡」
ギースは何度も老人に襲いかかった。
だが、そのすべてを巧みにかわされ、どれだけ腕を振ろうが掠りもしない。蓄積されていくのは肉体の疲労だけだった。
疲労回復のポーションもあるが……まだ使うわけにはいかない。
「んー♡」
老人が手に風の刃を出現させて、それを投げ槍の如く放ってくる。
無論、ギースには【暴虐】が存在する。一秒間だけ無敵になる装備があるのだが……この装備はかつて二軍だった。
その理由は単純だ。
……この装備は見えている攻撃から無敵になる装備。
つまり、視認不可能の風から身を守ることはできない。影さえも掴めない風の刃は、他の装備でどうにか防ぐ。
まだダメージはないが……三軍の指輪たちでは突破されかねない。
ギースの背後には孤児院寮。
パラサイト・フェアリーの胞子の件もある。一刻も早く脱出させねば全滅してしまう。だというのに、目の前の男は確実にギースよりも強かった。
だらだらと汗をかきつつも、ギースは油断なく拳を握り込む。
「さっさと来いやど雑魚! 俺様が怖くて近寄れねえのかあ!? そんなんクソみてえな遠距離攻撃を何度ぶち込まれようが効かねえんだよ」
「うそ♡ 悪魔に嘘は通じないない♡」
「ほざけ!」
走る。
決してギースの敏捷値は高いわけではない。だが、彼とてレベル70越えの人類種の上位陣スペックは有している。
その速度はまさに疾風だ。
けれども、強引に振った腕は命中せず、腹に蹴りを叩き込まれる。無効化するも、即座に短剣がギースの首を両断しようとした。
それも効かない。
老人に抱きつくようにタックルを放つが避けられる。
「うぜえうぜえ!」
爆発を連打しながら、ギースは次手を放とうとして――短剣で軽く胸を切られた。
攻撃は無効化した。
だが、斬られた直後……信じられないような激痛が肉体を迸る。
「ああああああああああああああああああああ!」
「いたいねいたいね? 魂への防御はないんだね♡ ちゃんと対策しないと上位ではやってけないぞ♡」
「死ねえええええええ!」
ギースの拳は空を切る。
疲弊によって鈍った連続打撃は、高レベルだとは思えないほどに見苦しく、みすぼらしい。激痛に意識を奪われそうになりながら、それでもギースは稚拙な攻撃を辞めない。
「諦めろん」
老人が孤児院寮に向けて魔法を放つ。身体が無意識で動き、その攻撃を肉体で受け止める。
それを見て老人はニタニタ嗤う。
「おい♡ ガキ共」
いつの間にか近づいていた孤児院寮。
すでに門のところまで到達してしまった老人は、嬉しそうに施設に言葉をぶつけた。不安そうに窓から戦場を見下ろしている子どもたちに言う。
「こいつ殺されたくなかったら♡ おまえらが来い♡ 男の子三人、女の子五人でこの眼鏡くんの命は助けてやるぞ♡」
「うるせえなああああああああ!」
口内と目から大量の血液を流しながら、ギースは必死に暴れた。その様はまるで溺れた者が藁を掴もうとしているように見える。
戦闘を不得意とするギースは、その攻撃すべてを回避される。カウンターで斬撃を喰らう度、眼鏡の男は断末魔のような悲鳴を上げている。
とぼとぼ、と恐怖にまみれた表情の子どもたちが孤児院寮から出てきた。
歳の頃、十四くらいの少女が言う。
「ぎ、ギース兄を殺さないでください……」
「んー、よしよし♡ じゃ、代わりに死のうね?」
「っ」
老人が少女に向けてゆっくり近づいていく。
ギースは追いすがり、爆破を叩き込もうとして――短剣で切り裂かれた。ダメージは無効化しているはずなのに、魂が壊れるような衝撃が肉体を襲う。
それでも。
ギースは老人の足を掴んだ。即座に爆破しようとして――
「ありゃ♡」
ギースの【自爆攻撃】が発動しなかった。代わりとでも言うようにギースが爆発した。指輪が壊れる前に【暴虐】を発動する。
老人が少女の真ん前に立つ。
地面に倒れたギースは、少女に向けて手を伸ばしている。
「逃げとけ、くそ雑魚! 俺様の邪魔してんじゃねえ!」
「え♡」
老爺がギースを振り返り、心底から馬鹿にした目を向けてきた。
「お兄さん、子どもらを助けたいの♡ でもでもだめ。悪い子がいまさら良いことをしても意味ないない、自己満♡ 頑張るなみっともない♡ 悪い子に人を助ける資格ないよ? みんなそう言ってるよ? 誰もお兄さんのことなんて期待してなーいぞ♡」
無数のナイフを投げつけられる。
雨のように叩き付けられたナイフは、すべて装備の効果で弾く。けれども、その直後に信じられない痛みが嵐のように肉体を暴れ回った。
「ぐっ、うあ! ああああああ!」
今までに経験したことのない激痛だった。
頭と理性が破壊されそうだ。
かつて痛みに慣れていた頃でさえ感じたことのない痛み。おそらくは【魂痛】だろう……とギースは当たりを付ける。
しかし、この痛みで動くことができない。
それでも立ち上がろうとして……絶望する。
老人は期待するようにニタニタと嗤っている。その手には新しい短剣。その武器を視認するだけで魂が震え始める。
「俺様が立ったところで……当たらねえ。なにより――」
「ルルティアちゃん、悪魔だからぁ♡ アーツで人間の記憶読めるんだ♡ キミくんって壊れてるよね。財布を盗まれそうになっただけで子どもを殺すときもあれば、ナイフで刺そうとしてきた子を保護して職を与える時もあるよね♡ ちぐはぐ♡ やってることが支離滅裂。自分で自分の感情や心が解ってない証拠♡ どうしようもない化け物♡」
「……だまれ」
「今のちみっちは『助けたい』……でもだぁめ♡ 人をたくさん殺したキミには罰ゲーム! はい、目の前で元娼婦の薄汚れたガキ殺しまぁーす。なぁにがディーラーだ。男に使われまくった身体、くっさぁ♡」
眦に涙を浮かべて俯く少女。
老人は短剣で薄く、少女の肌をなぞる。それだけで、
「ぎゃああああああああああああああああああああああああああああ!」
戦闘もしたことのない少女では耐えられない、激痛だった。
白目を剥いて気絶する少女の腹を踏むことにより、強制的に起床させた。涙と吐瀉物で汚れた少女の顔面を踏みつける。鼻が折れている。
「あーん♡ この身体スペックざこざこだけど、拷問がめっちゃ得意ー。すきー♡」
「てめえふざけんな! そいつは関係ねえだろうが!」
「関係ないとか言うなよ! 仲間だろうが♡ 同じ人類種だろうが♡ つか、しょうもない擁護とかするなよ見苦しい♡ てめえらみてえな薄汚れた、世界の失敗作どもがお手々繋いで人間ごっこすんな、きっしょ♡」
「俺はともかく、そいつらは必死に生きて――」
「――あー、あとあとぉ、ルルティアちゃんはそういう生物ですのでー。人間の苦しむ姿と絶望する姿がオカズなのでー♡ お説教とか全然、まったぁーく響かない♡」
早い話が、と老人がニッコリと微笑んだ。
「あ・き・ら・め・ろ♡ てめえに人を助ける資格なんてねえんだよ。大事なスラムの後輩を殺した、先輩たちからの命のバトンを無駄にしたクソ雑魚くん♡」
「……!」
資格がない。
ギースはたくさんのモノを踏みにじってきた。それに後悔はない。そうしなければ生きていけなかった。それが生物としての当然だった。
誰からも保護されない人間の自然な動作だった。
誰から罵られようとも、嘲られようとも、そいつのほうが「世界の残酷を知らない幸福野郎」だと馬鹿にしてきた。
たくさんのモノを男は踏みにじってきた。
たとえば自分の尊厳さえも。
生きる意味さえも。
無数の痛みよりも、たったひとつの事実に絶望する。
生粋の悪たるギースには、人を救う資格さえありはしない。
「資格が……ない」
「そうそう♡ じゃあ、ほどよく絶望してくれたので、次はもっと上手に絶望しよーう♡ それくらいならできるよね、お兄さん♡ ここに住んでるガキ、皆殺し確定な♡」
老人が少女の顔面にナイフを突き立てる。
その寸前。
「悪も正義も資格もどうでも良い」
幼い子どもの声が聞こえてきた。
「神は言っている」
ギースは見た。
老人が全力で振るったであろうナイフを大鎌で受け止める幼女の姿。禍々しさと神々しさが同居した、不自然な美しさを持つ幼女。
ぐるぐると回した、紅の瞳が――告げる。
「おまえはここで死ぬ」
老人がぶっ飛ばされた。
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