第136話 よくあるお話

   ▽第百三十六話 よくあるお話

 アトリにとって「その言葉」は計り知れないほどに重いのです。


 生まれたことが罪。


 それはアトリが村で言われ続けた言葉でした。呪いのように積み重なった言葉。アトリを縛り付ける鎖のように、アトリの魂には「その言葉」が巻き付いているのです。

 アトリの根幹です。

 今のアトリは気にしていません。


 邪神たるネロこそが、今の彼女にとっての拠り所なのです。


 一方で三つ子の魂百までとも言います。

 アトリは生まれてから十数年、ずっと呪われ続けてきました。その言葉はあまりにも鮮烈であり、思わずアトリの手を止めるほどでした。


 まあ、私が事前に「殺しなさい」と言っておけば止まらなかったかもしれません。

 今回は、軽く「ギースでも倒しに行きましょう」くらいの指示しかしていませんからね。


「アトリ、話を聞きましょう」

「……はい、です」


 アトリはいつでも【ヴァナルガンド】を発動できる姿勢で冷たく言います。


「詳しく話すと良い」


 憔悴したギースが恐る恐ると顔を上げました。


「俺への人質としてお嬢――ファミリーのボスの孫だ――が攫われちまった。今でも毎晩、夜になればお嬢の身体の一部が届けられる。その人を助けたい」

「人質?」

「そうだ。俺はお嬢の護衛もやってた。……頼む。お嬢は何も悪くない。ただマフィアのボスの孫に産まれたってだけだ。あの人は悪いことなんざ何もしてねえ。どころか、俺やボス、ファミリーの悪行を止めようとしていたんだ」


 ギースが説明しました。

 どうやら、お嬢と呼ばれる女の子は最近になって現れたようです。ボスの息子が一般女性と駆け落ちし、やがて子を産み、そして両親が揃って殺されたようです。


 生き残った女の子は、いきなりマフィアのボスの孫娘になったわけですね。それまで家業について知らなかったとのこと。

 ギースはその孫を守る仕事をしていたようです。

 しかし、ギースの守護は唐突に終焉を迎えました。アトリに敗北したからです。結果、弱体化したギースを日夜、多種多様な人物が攻め始めました。


 金目当ての賞金稼ぎ、成り上がりを目論む小物たち。


 それでもギースは倒れず、策略として女の子が誘拐されたようですね。


「俺は敏捷が高くない。誘拐されるお嬢を救おうにも……追いつかなかった」


 悔しそうにギースが拳を床に叩きつけます。

 ボロボロと涙が汚れた絨毯に染み込んでいきます。その姿には哀愁が漂いますけれども、ちょっと私は白けています。


 ギースの言い分は正しいでしょう。

 女の子は何も悪くありませんし、このあとにでも救いに行ってあげて良いくらいです。


 ですが、ギースが被害者のような顔をしているのは、あまり品の良くない私としては興ざめしてしまいます。

 ギースは多くを踏みにじってきたでしょうに。


 いつもは奪う側だったのに、いざ奪われたら被害者面をするわけです。

 私はヨヨのことは嫌いでしたが、彼は負ける時も楽しそうでした。最低限、加害者の覚悟は持っていたわけですね。


 まあ、私の品が悪いという話ではあります。


 悪いことをした人間はどこまでも不幸になるべき……というのは現代日本の倫理観ではありません。人道的に言えば「更生の機会がどうたら」でしょう。

 あまり好きにはなれませんが……

 常識的には私の考えは悪なのでしょうが、いまいち納得できないんですよね。


 とはいえ、積極的に人を叩くつもりはありません。

 それをやったら同類ですしね。私刑が許されるほど、私は自分のことを王様とは思っていませんよ。


「アトリ、ギースに訊いてください。どうして女の子をそこまで助けたいんです? そういう性格ではないでしょうに」

「神が言っている。何故、女の子を助けたい?」


 それは、とギースが地面を睨み付け、その口をゆっくりと開きました。


       ▽

 俺はスラム街で生まれた。

 物心がついた頃には周囲には自分を含めて十五名の子どもがいた。そのうちの五名は年上で、彼らは命懸けで俺たちを食わせてくれていた。


 すぐに死んだその五人は、いつもこう言っていた。


「俺たちが死んだら、今度はお前らが後輩を守るんだぜ!」


 どうやら、このスラムに捨てられたガキどもは「先輩を犠牲」に後輩が僅かな期間だけ生き延びるシステムだったらしい。子ども心にその言葉は信じられた。

 だって周囲の大人はど畜生ばかりだ。


 誰も助けてくれない。

 でも、先輩たちだけが命懸けで助けてくれた。


 だから、今度は俺の番なんだ……そうなんとなく理解できた。


 幸いながら、俺は生まれついて【剣術】スキルを有していた。生まれつき武器スキルを持つモノは意外と少ない。


 というか、そもそも戦う意志や経験の少ない者は手に入らない。

 武器スキルがあるのとないのとでは大違いである。

 武器スキルを持たないレベルが20までの大人くらいからなら……逃げられるのだ。


 俺は命懸けでくすねた木刀を使い、必死に必死に後輩たちを守った。

 でも、それも長くは続かない。下手にスキルを持ってしまった俺を警戒して、大人たちがスラムのガキを間引くと聞いた。


 だから、俺たちは……まだ俺が生きているうちに逃げ出すことにした。


 十人。スラムのガキ全員で誓った。


「絶対に外で成功する。ど畜生の大人どもを見返してやる。冒険者になろう」


 でも、ガキにだって理解できる。

 いまの俺たちがスラムの外に出れば、何もできずに無駄死にだ。力が要る。手っ取り早いのは武器だった。


 俺たち十人のガキは武器屋を襲撃し、見事、武器をせしめてやったのだ。

 ざまあみろだ。先輩の一人はこの店の店主に犯されて殺された。盗んでもねえのにな。だから店一番の業物って奴を奪ってやったのだ。


 無事に街から脱出した俺たち五人、、は、仲間の死体を確認することもできず、死にものぐるいで走った。

 何日も走って、走って、ようやく辿り着いた街で再度誓ったのだ。


「もう誰も死なせない」


 馬鹿げた妄言だった。

 それから俺たちは冒険者になった。他の四人も順調に育った。最初は俺が命懸けで魔物を弱らせて、どうにかレベリングをしてやった。


 結果、他の四人も武器スキルを覚えた。


 とくに最年少だった男は【剣術】を覚え、俺が託した業物を使い、それからも戦闘系のスキルをたくさん会得していった。いつの間にか俺は……パーティ最弱になっていた。

 俺は戦闘がど下手だった。

 武器スキルを上手く扱えない。スキルを取得すれば、肉体が不思議と最適の行動を取ろうとしてくれる。それに身を委ねることが「スキルを使う」ということだ。


 だが、俺はそうはいかなかった。


 スキル【剣術】は殺そうとする。

 だが、俺は後輩を守りたかったのだ。だから、俺は【剣術】の指示を無視して、殺す剣でも戦う剣でもない、守る剣を使い続けた。


 それが癖になってしまい、俺は【剣術】があっても剣が下手になっちまった。


「もう誰も死なせない」


 俺は諦めが悪かった。

 誰よりも弱いから努力して、全員の荷物を持ってやり、武器を手入れしてやり、罠を調べて、斥候をして、指揮をして、時には自分の肉体を盾に仲間を守った。


 強い敵を殺すため、敵の口にわざと侵入した。

 炎が弱点だという敵を殺すため、自分に火をつけて突撃していった。


 そんな行動を繰り返すせいか、神は俺に【自爆攻撃】なんてふざけた武器を寄越しやがったがな。でも、あの日は嬉しかった。

 この火力があれば「もう誰も死なせずにすむ」んだ。


 みんなの敵は全員、俺がぶち殺してやるんだ。

 そう思っていた。


 冒険者になって五年も生き残れた。それはちょっとした奇跡だった。

 ある日のダンジョン探索だった。

 仲間の一人、神官の女の子がしくじった。俺は命懸けでその子を救い、片腕を犠牲にしながらも襲いかかってくる魔物たちを相手取ろうとした。

 だが、敵の数は多く、そして強かった。


 俺は覚悟を決めた。今日がその時だったんだ、そう思った。


 でも。


 最初に動いたのは――俺の後に【剣術】を覚え、その才覚でリーダーとなった最年少の男の子だった。

 そいつは俺の足を斬り、魔物のほうへ突き飛ばした。


『おまえが死ね、ギース』


 冷たい目だった。

 後輩のガキ共のために盗みを働く俺を見る、大人とそっくりの目だった。侮蔑の目。


『おまえがいつも足を引っ張るから、いま俺たちが死にかけてるんだろうが!』

『そうよ! いつも偉そうに世話を焼いて! 大人のつもり!? いちばん弱いし、いつも何もしていない癖に! 死んじゃえ!』

『あんたが武器屋を襲わせなかったら、みんな死ななかったのに!』

『足手まといが死ねば良いんだ! 戦えない雑魚は死んじゃえ!』


 言うな。


 死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね。

 ガキ共は俺にそう言った。

 いや、もう言っていなかったのかもしれない。俺に背を向けて走り出していたのかもしれない。でも、俺の耳には「死ね」の言葉が繰り返されていた。


 死んでも良かった。

 後輩のために死ぬのが先輩だから。


 でも。

 こんな終わりかたは。


 頑張ったんだよ。

 みんなを守るためなら死んだって良かった。誰よりも怪我をした。誰よりも誰よりも……みんなを守りたかったから。


「助けて」

 って言ってくれれば。

「守って」

 って言ってくれれば。


 俺は喜んでお前らのために死ねたのに。食われたって良かったのに。言われなくたって、俺は、俺は。

 走り去っていく背中に手を伸ばした。


「待てえええええええええええ! 待ってくれえええええ! 戻ってきて。ぼくを一人にしないでくれえええ! 戻ってきて、嘘だって、嘘だって言ってくれよお。死ぬから、ちゃんとみんなのために死ぬから。ぼくは言われなくても死ねるからあ!」


 狼型の魔物が足に齧り付く。

 絶望的な痛みよりも、心の絶望のほうが色濃かった。


「くそお! 死ねえ! おまえらが死ねえ! ど畜生があ! 雑魚どもの癖に! ぼくに守られた癖に! ぼくは何度も戦ったのに! 大人にぶたれたのに! どんなことだってしてきたのに!! みんなのために、なんどもおお!」


 ど畜生が。

 雑魚のくせに。ど畜生が!


「ぼくから返してくれ……」


 みんなの姿が完全に見えなくなり、俺はすべてがどうでも良くなった。

 死にたくなかった。

 死んでやりたくなくなった。あいつらみんな殺してやる。スラムの先輩は後輩のために死ぬ……でも、ここはもうスラムではなかった。


 俺の人生は無駄だった。


 だから、食い物にされて死んでたまるか。そう思って【自爆攻撃】を何度も使った。【自爆攻撃】はHPを大きく失うし苦痛を伴う。連発したら三度も打てずに死ぬはずだった。

 でも、構わなかった。

 俺は何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も。


 自爆した。

 不思議と痛みはなかった。……やがて大量のレベルアップとともに、俺は自分に【固有スキル】が備わったことを理解した。


 五年かけて……俺は後輩どもを皆殺しにした。

 あの後、あいつらは逃げるように街を去り、罪悪感だなんて嘘をついてパーティを解散した。やつらは上手くやった。


 あいつらが言うように、俺なんて要らなかったのだろう。

 それぞれが順調に冒険者として成功して、幸せになろうとしていた。


 最高の仲間だ、と言う奴らの前で殺した。

 幸せだね、って笑い合う恋人の前で殺した。

 永遠の忠義を、なんて誓った貴族の前で殺した。

 成功するんだ、とAランクを認められるはずだった前日に殺した。


 何もかもを失っていた。

 良い装備を使うために、助けてくれた冒険者を殺した。何もかもを奪った。食事を分けてくれたあいつも、微笑んだあいつも、何もかも!


 ガキどもを殺すため!

 

 きっと復讐を終えた俺には何もなく、もう何でも良かった。どうでも良かった。

 いまが良ければ。


 そうして俺はマフィアのボスにスカウトされ、暴虐の限りを尽くした。

 誰かのために死ぬなんざあり得ない。誰のためにも動かない。誰かの為に動くってことは、その時間分、俺の人生を使ってやるってことだ。そいつのためにその時間分だけ死ぬってことだ。俺は誰にも命は使わせない。

 誰のためにも俺は死なねえ。

 ここはスラムじゃねえから。


 そんな時にお嬢を任された。

 俺様の大嫌いなガキだった。幼くて無垢で、育ちが悪かったのだろう……やや粗暴だ。


 きっと俺は後輩のために死ぬべきだった。

 たまに夢の中、どこかの馬鹿が囁きやがる。戯れ言だ。


 忌々しい忌々しい。

 ガキを見るとむかつく。殺したくなる。嬲り殺したくなる。苦しめて苦しめてぶち殺したくなる。進んで殺しに行くほどガキじゃねえが。


「助けてギース!」


 お嬢はそう言って俺に手を伸ばした。

 誘拐される時、お嬢は俺を見ていた。俺に小さな手を伸ばしていた。


 気づけば俺も手を伸ばしていた。届くはずがなかった。

 いつもの俺様ならば、手なんて伸ばさなかった。他人なんてどうでも良いはずなのに。俺様は。


       ▽

 アトリが問うてもギースは無言を貫きます。

 黙り込んでしばらく。彼は地面を穴が空くほどに睨み続け、やがて覇気なく言い捨てました。


「深い理由はねえよ」

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