第129話 全部が終わって
▽第百二十九話 全部が終わって
ひとしきり泣き喚いたアシュリーが立ち上がりました。
その拳に業火をまとい、彼女はキッと戦場を睨み付けます。
「わたくしがアトリさんをお守りしますわ。ゆえに、吸血鬼の皆様はご理解なさいな」
凄まじいプレッシャーが戦場を支配しました。
「寄れば壊しますわ。この【灰燼】のアシュリー、手加減は苦手ですことよ」
すでに吸血鬼たちはヨヨの支配から解放されていることでしょう。何せ当のヨヨが滅びましたからね。
すでに戦う理由はありません。
何人かはヨヨに心酔しているようですが、アシュリーを突破することは不可能でしょう。
「……つ、疲れましたね」
勝利と安全が確定した瞬間、一気に疲労が込み上げてきました。あと激痛です。私が異常なまでに見栄っ張りなために我慢していますけど……これは洒落になっていません。
気絶して強制ログアウトされれば、現実でまた骨を折るでしょう。
もう私は泣きそうになりながら、その内心を隠してふよふよしています。
痛みが引くまでは精霊でいなければ。あ、邪神でした。
一方のアトリも極限状態だったのでしょう。すやすやと地面なのもお構いなしに眠ってしまっているようでした。
この姿だけを見れば、妙に美しいだけの幼女なのですがね。
戻ってきたセックにアトリを背負わせて、アシュリーと共に離脱しました。一応、ヨハンの死体は【アイテムボックス】に収納しています。
ちょっとアレですけど。
かといって埋葬できるのに放置はできません。
ともかく、人類種は吸血鬼たちに勝利したのです。
▽
あれから数日が経過しました。
アトリはまだ眠っていますし、私の【魂痛】も続行中でした。ただだいぶ落ち着いてきたので、あと数時間もすればログアウトできるでしょう。
とても眠い。
ゲーム内で睡眠を取ることは可能です。が、ゲームで寝てもリアルで寝たことにはなってくれません。睡眠欲求は深まる一方でした。
あの戦争の事後処理は大変だったようです。
吸血鬼たちは正気に戻った者がたくさん。あくまでも戻ったのは気だけでして、吸血鬼であることに変更はありませんでした。
つまり、大量の人間の血液が必要になったわけですね。
美食家のように血に酔って暴れる者もいたようで……すっかり吸血鬼という種が世界には根付いてしまったようです。いまは落とされた都市に吸血鬼を集めているところらしいです。
また、アシュリーは旅に出たようです。
ユグドラはすでに滅亡しております。
守るべき領民はいませんし、土地もアレックスやテスタメント、アトリたちの攻撃で大ダメージを負ってしまいました。
元々、家を継ぐ気がなかったアシュリーは消えてしまったようですね。
色々と心を整理する時間が必要でしょう。聞くところによれば元領主たる父を殺害したのも洗脳されたアシュリーのようでしたしね。
ヨヨはやりたい放題でした。
ヨヨは3万人の軍、三騎士とアシュリーを揃えた状況で時空凍結を喰らいました。時空凍結とは負け確定の時に発動されてしまいます。
つまり、その戦力があっても――負けるしかなかったのです。
ゆえにヨヨは作戦を一変させて「世界征服」を狙ったのでしょう。それと同時、アトリのような強者と研鑽して、自身を研ぎ澄ませようとしたのでしょうね。
その野望はアトリが打ち砕きました。
「正直、ちょっと誘導された感じはありますけど」
ヨヨの実力であれば、神器に覚醒する前のアトリはいつでも殺せたでしょう。美食家が「アトリの血は特別」や「チャリティ」と叫んでいたので、おそらく格の高い吸血鬼は【
あえて覚醒まで導いた、とも考えられました。
まあ、敵の死人なんてどうでも良いでしょう。
私たちは勝ったのですからね。
▽
現在は【理想のアトリエ】で休息を取っています。アトリはまだ起きません。世話はセックがやってくれています。
私がソファで【魂痛】に耐えていますと、フレンドチャットがやって来ました。
羅刹○さんからでした。
羅刹○‥ネロさん、ちょっと良いかい?
ネロ‥なんですか?
羅刹○‥引退しようと思ってるんだ。爺さんの残したアイテムいるかい?
おや。
これはMMOあるあるの「引退するフレンドからアイテムを譲ってもらう」イベントです。私にとっては初体験のイベントですね。
しかし、羅刹○さんは引退してしまうようです。
ちょっとだけ寂しいような気がしなくもありません。私のスタイルに付き合って遊んでくれるのは羅刹○さんくらいでしたからね。
アトリもジャックジャックのことは気に入っていました。
ネロ‥解りました。せっかくですし良いモノがあればいただければ嬉しいです。
とりあえず羅刹○さんを【理想のアトリエ】に招待しました。
ふよふよとした水精霊が感心の声を上げます。
「ここ、あんたの作品だね。あたしも一回、ここに来たことがあるぞ。……正直、見るところがそんなになかったけど。内装はすごかった」
「ああ、ここは特定の条件を満たした日だけ、月影がキャンバスに絵を写すんです。夜に入場できないので誰も知りませんが……とマスターは仰っています」
「すごいな。それに何億もかけたんだ……」
「桁が違いますよ……とマスターは仰っています」
「さすがに引くよ、ネロさん」
契約NPC不在の羅刹○さんは【顕現】をせずに会話できます。一方、私のほうはセックに通訳してもらっています。
いつもの私でしたら【クリエイト・ダーク】で文字を書くくらい容易いです。
私が「普通にコミュニケーション」を取れることが露呈しないように縛ってきました。ですが、引退する人にならば見せても良い手札です。
ですが、今は【魂痛】の最中なのでできません。
ヨヨ戦の時は「ここで何もできないのは美しくないな」と頑張りましたけれど。平時で頑張れるほどに私のスペックは異常ではないのです。
「まあ、ともかくだ。ジャックジャックが死んじまったからね、あたしも萎えた。元々はPKKがしたくて始めたゲームだけど、あんまりにもストーリーに熱中しすぎたよ」
「《スゴ》はそういうゲームです。AIが凄すぎて他人事に見られないんですよね……とマスターは仰っています」
「そもそもあたしはスキル構築もジャックジャック前提だ。爺さんも目的を果たしたようだし、引退するにはちょうど良いさ。もっとライトなゲームに戻るよ」
わざわざ引き留めるつもりはありません。
私はもらった資料からめぼしいアイテムを物色していきます。スキル構成に恵まれなかったジャックジャックは、装備のスペックとPSで戦闘するキャラでした。
面白そうな武器や暗器がたくさんです。
アトリにも使えそうな暗器をいくつも仕入れます。羅刹○さん自身が【暗器鍛冶】の生産スキルを持っているので豊富です。
有用なスキルなので、いずれ新ゴーレムに覚えさせましょう。
「色々いただきました。ありがとうございます……とマスターは仰っています」
「良いさ。あんたらと遊べて楽しかったよ」
……
室内を満たしたのは沈黙です。
私はNPCのロストを経験していません。ですが、この《スゴ》のクオリティならばロストが辛いことは想像に難くありません。
痛いほどの沈黙は、突如として破られました。
「先生を理由に逃げることはよくない」
「起きましたか、アトリ」
「はい! 神様!」
億劫そうにベッドから上半身だけ起こしたアトリでした。彼女はキッと羅刹○さんを睨んで続けました。
「逃げるなら自分の中に理由を作るべき」
「……別に逃げるってわけじゃあ」
アトリは「この世界を生きているAI」ですからね。引退を逃げる、と勘違いすることは仕方がありません。彼女たちが必死に生き死にしている様を、我々はあくまでも娯楽や商売として楽しんでいるわけですからね。
住民からすれば、精霊は無責任でろくでもない奴らでしょう。
私がアトリを窘めようとすれば、羅刹○さんは黙り込んでしまいました。
これは……アトリの言が正解だったようです。もしかしてアトリって私よりも人の心が解ったりしますか? 私はもしかして本当の邪神なのかもしれません。
わずかに羅刹○さんが呻きました。次の時には。
「…………そうだね、逃げだわ。あたしはジャックジャックが気に入っていた。あいつとやるPKKは最高に気持ちが良かった。あいつとの冒険も、復讐も……全部が楽しかったんだ」
「だったら戦うべき。お前はまだ死んでいない」
「でも、あたしのスキルは――」
要するに、です。
羅刹○さんはゲームを続ける理由を探しているのでしょう。ジャックジャックを失った喪失感が強いようですが、同時に彼との「楽しい冒険」が忘れられないのです。
そして、きっとそれをジャックジャックは喜ぶことでしょう。
アトリはそれを理解しているからこそ、羅刹○さんの引退を引き留めているわけですね。
よろしい。
でしたら、この邪神ネロさんが力を貸してあげましょうか。
「羅刹○さん」
私の代わりにセックが言いました。
「良いNPCを紹介しましょう。中々に見所のある子ですよ……とマスターは仰っています」
そうして私は第七遊撃部隊の狩人――ミャーを紹介したのです。じつは彼女も「暗殺」が得意なキャラですし、ジャックジャックよりは弱いですけど伸びしろは比較になりません。
精霊補正も生きますしね。
どうやら「とりあえず」羅刹○さんはミャーと組んでくれるようです。
これは未来が少しだけ楽しみになりました。
少しだけアトリも嬉しそうにしています。
その様子を見てホッとした私は……気絶して強制ログアウトを食らいました。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます