第123話 3分間の蹂躙

▽第百二十三話 3分間の蹂躙

 逃げ込んだ室内にアトリは倒れ込みました。


 如何に強靱なアトリといえど、格上から一方的に嬲られ続ける戦闘は初めてのことでしたからね。

 むしろ、逃げられただけマシなのでしょう。


 動揺しながらアトリが立ち上がりました。

 その時にはすでに動揺は捨て去り、いつでも私の指示に従う様子を見せています。


「神様……先生や他の人たちは死ぬ……ですか?」

「……まあ、そうなる確率が高いでしょう。とはいえ、アレックスや田中さん辺りは逃げていそうですけど」


 強引に勝ちきろうとしたのは、アレックスの判断でもあります。今回の敗戦の責はアレックスに向かうことでしょう。

 もちろん、ヨヨの結界のことを調べきれなかった調査隊も悪いですが。

 結局、トップたるアレックスが悪いことに変わりはありません。


 アトリは表情こそ変えませんが、一緒に戦った仲間たちが死ぬことに苦しみを覚えているようでした。

 幼く華奢な肉体は、無数の命を背負っているのです。

 握り締められた拳からは血が滴っております。強く握り締めている上、【再生】で治り続けているので、血がどばどばと滴っていますね。


 彼女は【死を満たす影】を血で真っ赤に染めてしまいました。


「神様……ボクはもっと強くなりたい、です」

 ボクは、とアトリは俯き加減で呟きました。

「ヨヨに負けたくない……です」


 私には理解できました。

 私はこと芸術の分野に於いて、比肩するモノが過去未来に存在しない……そう語られるほどの才を有しております。


 しかし、天才であるからこそ、理解しているのです。


 才能はアッサリ持ち主を捨て去る。

 たったひとつの挫折が心をへし砕き、壊し、才能への道を一瞬で絶やしてしまう。天才と凡才との壁は驚くほどに脆く、天才たちが壊れやすいのは……いつだって才能を失うことが恐ろしいからです。


 溢れた才気は、人の身に余るのです。


 ゆえにこそ理解できました。

 今、アトリはソレを失うかどうかの瀬戸際に立っているようです。


 才能がなくなろうとも。

 普通の人間になろうとも。

 人はそれでも生きていくことができます。


 おそらく、私のこれからの判断は間違っています。ですが、私は「殺された芸術家」……この瀬戸際の意味を誰よりも深く理解しています。

 ここで負けたら、逃げたら、アトリは終わる。

 人には戦わなくてはならない、逃げてはならない、何をしてでも勝たねばならない……そういう決定的な瞬間があります。


 アトリにとって今がその時、、、、、


「解りました、アトリ。前言を撤回しましょう」

「かみさま……?」

「私がこれよりヨヨを三分間、完全に足止めしてみせましょう」


 困惑したようなアトリの顔を見ます。

 まだ幼く、未来に溢れている幼女です。今後、何かを失敗するときが来るのでしょう。苦しむのでしょう。悩むのでしょう。


 でも、今はまだその時ではない。


 アトリはここで負けてはならない。……天音ロキわたしはそう判断します。


 思い出すのは、かつての月宮の言葉でした。


『子どもは凄いぜ? お前らみたいな大天才と付き合いのある俺がだよ? たまにハッとするような成長を見せるんだ。ビビるぜ! そういう成長に触れた時、心の底から思えるんだ。生きてて良かったってな。生まれてきてくれてありがとうって!』


 子どものように目を輝かせて、月宮は――月宮ヨイは言ったのです。


『そいつのためなら何でもできるような気になるんだ』


 月宮なんて奴の言葉なんか認めたくないですけど。

 ……少しだけ。ほんとうに少しだけ理解できました。べつに何でもする気もありませんけど、言ったってアトリのことはちょっと気に入っているだけですし、生きていて良かったなんて思ったことはありませんけれど。


 ですが、少しだけ、アトリの成長には興味があるのです。


 芸術家としてではなく。

 あくまでも私として。


『ま、俺は予言するね』

『いずれ、空虚なおまえの心を満たすような事件が起こる』

『才能を供給する機械から、人間・天音ロキが誕生する時が来るね』


 今はまだ、その時ではありませんけど。

 少しだけ本気を出しましょう。

 私は床にぺたんと座り込むアトリと目線を合わせて口を開きます。


「アトリ、3分で成長して……ヨヨ・ロー・ユグドラに勝てるようになりなさい」

「っ!? か、かみさま!? それは……ボクは」

「これは神命ですよ。貴女ならできるでしょう」

「……ボクは、たぶん、無理です」


 アトリが初めて私の指示を断りました。

 しかし、私だって断られることなんて承知しています。知った上で理解した上で、無理だと理解した上で……今やるしかないのです。


 私は知っている。


「貴女は変われます」

「……ボクが変わる」

「人が変わる時はいつだって劇的ですからね」


 かつて芸術以外の何にも興味のなかった私は、月宮のくだらない戯れ言で変われた。あの言葉がなければ私はたぶん自分を殺していた。

 人が変わる時は、一瞬なのです。

 ゆっくり変わっていけるなんてあり得ない。それは成長や退化、老化と表現するべきで……真なる変化というのはいつだって劇的で、瞬間のうちに巻き起こるのです。


「三分。貴女が変わるには十分な時間です」


 私は呟きました。

 周辺には「夜」が満ちていきます。すでにあるよりも昏い、何もかもを塗り潰すような純黒の夜霧が広がっていきます。


「それでは行ってきますね、アトリ」


【神威顕現】


 私の肉体が一瞬で溶け出し、代替に出現したのは巨大な暗幕――私は、


       ▽ヨヨ・ロー・ユグドラ

「終いである!」


 巨大なエルフの腹に大剣を根元までぶち込み、アーツで内部から焼き尽くす。これによってようやく化け物は息の根を止めた。

 精霊が言うにはミミックらしい。

 まったく厄介なテイムモンスターであった。


 この世界には体躯ボーナスなるモノが存在している。大きければ大きいほどに殺すには時間が掛かる。

 しかも、今回の敵は元々が膨大なHPを有していたらしい。

 殺すのに数十秒も必要だった。


「ふむ。逃げられたか? いや、全力の余から逃げられる時間ではないな……」

「逃げる必要はありません」

「……なんであるか、貴殿」


 砕けた壁の向こうから、悠々と歩いてきたのは……美しい青年であった。

 余が息を忘れるほどの美貌だ。芸術品を集める趣味のある余をして、この美しい青年を前にひれ伏したくなってしまう。


 無論。


 ただの美形ということならば、この青年よりも美しい者をたくさん知っている。されども、この青年が美しいのは見目だけではない。

 その所作、息づかい、雰囲気、纏う何もかもが――別次元。


 ……まるで神にでも会ったかのような。


 全身に怖気が走る。


 気怠げで人外的な美貌が、余をつまらなさそうに眺めている。

 あらゆる戦場を生き抜いた戦士としての余が告げる。この青年と戦ってはいけない……今、ぶつけられているのは莫大な神気。


 あの第二回イベントなるモノで余は魔王と戦闘した。


 周囲の人物が毒殺される中、飲食を必要としなかった余は残ったのだ。そして力試しとして魔王と争い、傷をつけるだけで……アッサリ返り討ちに遭った。


 その魔王よりも、目の前の青年は……恐ろしい。


 美しい青年は困ったように吐息を漏らす。その何気ない所作に見惚れているうちに、彼はいつの間にか余の間近にいた。

 走られたわけではない。

 何かしらのアーツを使われたわけではない。


 ただ歩いて近寄ってきていたのに……見惚れて気づけなかった。耳元に吐息を掛けるようにして、その神は余に語りかけてきた。

 ぞっとする。


「痛くしますね?」

「――っ! 死ね!」

「おや」


 余が放ったのは全力の大剣撃であった。かなりの【ライフストック】を使用しての一撃だ。これ以上を込めれば大剣のほうが砕け、却ってダメージが減少してしまうギリギリの攻撃。

 その一撃を神は……剣に足裏を添えるだけで止めた。

 なんてことはない技術だった。


 余の斬撃に力が乗る寸前に、その長い足を伸ばしてフラーを軽く踏んだだけ。たったそれだけの行動で余の剣は動かなくなった。

 ねじ伏せられるようなステータス差。

 目を見開いた余が見たのは、目を奪われるほどの剣閃であった。


 斬られた。


 まったく反応することができなかったのは、敵の動きが早かったからではない。単純に美しかったから。

 あまりにも美しい剣術は、もはや反応することさえ許してもらえない。


 大量の血しぶきを青年は浴びる。

 返り血を浴びて、より青年が有する退廃の美は完成に近づく。彼は表情を微塵も動かすことなく、淡々と呟いた。口端を流れていく、紅い血液。


「斬れますね。良かったです。耐久に全ぶりで攻撃力はないんですよ、この剣」

「ま――」

「待ちません」


 訳も解らないままに五回ほど肉体をぶった切られた。まるで剣で楽器でも演奏するように、美麗な風切り音だけが耳朶を揺らす。

 一瞬で六回も殺害された。

 余は【ライフストック】を使い、全力で自身にバフを掛ける。


 その間にも十以上の剣を肉体が受けていた。


「ああああああああああ!」


 雄叫びを上げながら余は大剣を振り回す。余の剣術も洗練されている技術なはずなのに、この神を前にすれば児戯に落とされてしまう。

 だが、奴の剣術は素人ではある。

 戦うための術ではなく、魅せるための技術。


 ゆえに殺されることはないだろう。

 ただ【ライフストック】が凄まじい勢いで失われていく。余の【魂喰らい】は特性として「威力上昇」「HP回復」「MP回復」「結界作成」「ステータス上昇」「生命代替」の効果を有する。


 ライフストックを大きく失う代わりに、ある程度までのダメージならば死ぬようなダメージからでも生存できる。もちろん、限度はあるが……幸い、この神の破壊力はそこまでではない。


 この火力ならば、余はライフストックの数だけ殺されても死なぬ。

 此奴に余を殺す術はない。


 剣音が連続する。


 もはや己が手さえも見えぬほどの速度の斬り合い。斬撃合戦。

 こちらが十の攻撃をすれば、敵は二十の攻撃を。

 こちらが剣を振り回せば、敵は剣を足で止め、躊躇のない剣筋を披露してきた。こちらを窺うのは何も映さない、綺麗なだけの眼球だ。


 完全に観察されている。


「雑魚としか戦っていなかったので、貴方に通用するかは未知数でした。ですが、見えてしまえばいくらでも描写の荒を見つけられますね」

「ふは! されど、その圧倒的な力! 長くは維持できぬのであろう!? 貴殿では余を殺せる回数に限度があるのであろう!?」

「その通りです。実際、あと五秒くらいですかね?」

「ならば――」


 ですから、と美しい神は甘く微笑む。


「――表に出なさい」


 蹴りつけられた。

 割れていた窓から叩き出される。この屋敷の、この都市の主である余が――無様に地を跳ね転がっていく。


 余が着弾した箇所の吸血鬼が死滅していた。


 穴の空いた土から這い出す。

 神が【顕現】できる時間はあと五秒、、らしい。


 五。

 頭部を蹴飛ばされて殺される。埋まった肉体に剣を突き刺される。闇でできたワイヤーに肩を絡め取られ、宙に吊り上げられた魚のように晒された。

 心臓を剣が抉る。


 四。

 大剣でワイヤーを切断し、神に剣を向けた途端、両腕が落ちていた。両の肩から噴水のように血しぶき。戦場の人々が唖然と、この蹂躙劇を見守っている。

 噛みつこうとして、何も握らぬ左手が頬を張ってきた。

 首がもげる。倒れないように必死に、


 三。

 再生した腕を足で蹴り潰され、胴体を夥しく切り裂かれた。固有スキルの【魂喰らい】、その効果のひとつである「生命代替」が何度も発動する。

 死をなかったことにする効果。

 しかし、一度でも発動するだけでかなりの【ライフストック】を持って行かれてしまう。

 残りの寿命を確認する。

 忘れて久しい恐怖という感情が――背筋を駆け上がってくる。


「や――」

「だめですよ」


 二。

 もはや何をされているのかも解らない。

 いや、すべての行動は見えているのだ。しかし、肉体が反応しようとすれば、おそらくは筋肉の起こりを確認されて先回りされてしまう。何もさせてもらえない。

 呼吸をしようとするだけで喉が潰された。

 残酷なまでに美麗な――殺戮の舞。

 死の恐怖を前に見惚れてしまう異常性。


 一。

 血まみれの青年は、血を浴びて一層に綺麗だ。

 戦場の誰もが息を忘れ、息を呑み、この青年の暴れっぷりに魅了されている。しかし、この殺戮もいよいよ終わるのだ。

 まだまだ【ライフストック】は残っている。まだ、戦える。

 だが、


「やはり剣では殺せる回数に限りがありましたね。ですが、上をご覧ください」

「――っくはは」

「名付けて《黒の星座》」


 頭上では夜闇よりも濃い……闇の星が浮かんでいた。それが【闇魔法】アーツの【ダーク・ネイル】であるとは理解できる。

 だが。あまりにも。規模が。

 闇属性の弾丸で作られた星々は、涙が零れるほどに心が魅了されてしまう。現実の星が霞んで見えるほどに幻想的だ。

 何より本物の夜空とは異なり、架空の星座だというのにその物語を理解させられる。説明もされていないのに、すべての星座を理解させられ、空をキャンバスに描かれた物語に圧倒させられてしまう。


「なんだ、これは!」

「今からひとつずつ星が降ってきます。おそらく二分少し……死に続けてください」

「そんなもの【霧化】すれば」

「試してみなさい。……それではあとで――アトリが貴方を殺しに来ます」


 神は邪悪に嗤う。

 あまりにも似合いすぎる、夜のような微笑である。


「さようなら」


 背を向けた青年が闇に溶けていなくなる。


 星が降ってきた。

 咄嗟に【霧化】で回避しようとして、周囲が闇の壁に囲まれていることに気づく。そして、降り注ぐであろう魔法は、おそらく【霧化】を許してくれない。

 粒子すべてを吹き飛ばされ、肉体を壊滅的に壊されてしまう。


 消費するであろう【ライフストック】のことを考えれば、むしろ、大人しくダメージを受けたほうが消耗が少ないはずだ。

 余は三分間の死を受け入れるしかなかった。


「ふ、ふはは……ふはははは! あっぱれである」

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