第110話 狂信者
▽第百九話 狂信者
▽悪徳領主ダート
大爆発で目が覚めた。
跳ね上がるように身を起こす。両隣の女たちが裸のままに怯えている。俺に縋り付いてくるが顔面を殴って振り払う。
領主の身の危険だというのに、足を引っ張るなんてあり得ない。
護衛たちを呼び出し、状況を確認しようとする。
しかし、覚醒した意識がそれを許してくれなかった。何故ならば、全身に針を刺されたかのような緊張感が迸ったからだ。
シーツが汚れてしまう。
俺は護衛たちに連れられ、どうにか屋敷の外に出た。まとったのはローブ一枚。あまりにも心許ない装備だ。
「何事だ、何があった?」
「解りません! ただ爆発音が! 屋敷の使っていない小屋が爆発したかもしれません」
「馬鹿な! あそこに爆発物なんてなかったぞ!」
「解りませんって!」
「なんだその口の叩き方は!」
十名ほどの護衛ともに屋敷から出てみれば、物置小屋のひとつが破壊されていた。よもや村人たちが牙を剥いたのだろうか?
しかし、そのようなことをしても無意味だ。
護衛たちが皆殺しにするだけ。俺自身にも防御系の魔道具、防御系のイヤリングがある。俺を殺すことなんて村人たちには不可能だ。
そろそろ飽きてきた頃だ。
村人を皆殺しにし、べつの人間を村に入れても良い頃だろう。大商人たる俺は人の命だって自由自在だ。
だから、俺は愚かな民衆共を皆殺しにするべく――、
「ボクは要求する」
号令をかけようとして、昨日の幼女を見つけてしまう。その天使の輪、特殊な翼、大鎌……異様なまでに美麗で神秘的な容姿。
忘れる訳もない。
Aランク冒険者のアトリがそこには立っていた。
幼女は大鎌を天にかざしながら、その圧倒的な力を誇示するように告げてくる。一方的な、神託を告げる巫女の如く。
「ただちに自害せよ。さすればボクはおまえたちを殺さない」
「む、無茶苦茶だ……」
俺は思わず呟いてから首を振る。
護衛たちを前に出しながら、俺はアトリに向けて怒鳴りつけた。
「ふざけるな! 貴様、何を口にしているのか理解しているのか!?」
「おまえたちは今から死ぬ。死に方を選ばせる」
「なんで殺されねえといけねえんだよ! 昨日、てめえは金を受け取っただろうが!」
「もらった。だから、何」
その言葉に戦慄が迸る。
心臓を槍で貫かれたような、そういう冷たい痛みだ。
それだけは。
それだけはあってはいけない言葉だった。
金をもらったら、契約が成立する。
そして、その契約は絶対に守られなくてはならない。それが――人類種が人類種たる理由だ。そのルールを無視するのならば、それはもはや獣と変わらぬ。
何でもアリの混沌だ。
何よりも。
「おまえはAランク冒険者だろうが。冒険者が契約を一方的に破るなんて……金を受け取ったあ!」
「だから何」
恐ろしい。
悍ましい。
ただの幼女のはずなのに、その瞳が何も映していないことが悍ましい。ただ死を無差別にばらまく、そういう病にさえ見えてしまう。
心臓がバクバクと警鐘を鳴らす。
思わず一歩、下がってしまう。この異様な雰囲気に飲み込まれてしまう。ただの長閑な村の朝……それが幼女一匹で塗り潰され、漆黒の夜さえも想起させる。
護衛が一人、意識を失う。
ガタガタと身体の震えが止まらない。
「お、俺を攻撃するということの意味は理解しただろう!? 俺は大商人だ! この国の貴族だ。俺を害すればすべての流通が敵となる。貴様はモノひとつ買えやしない。今の地位も名誉も失い、薄汚えガキに逆戻りすんだぞ! 指名手配のならず者だ!」
「それの何が怖い?」
「そんな……そんなわけねえだろうが。怖いに決まってるだろうが……そうか!」
理解した。
こいつは異様なまでに強いんだろう。
だが、こいつは頭が悪いんだ。おそらく間違った理解をしているのだ。俺は勝機に笑みを浮かべて、笑いそうになる膝を叱咤する。
「まさかバレねえと思ってやがるな? そんなわけねえんだよ! 一つの都市の領主が死ぬんだ。しかもこんな目立つ形でな! 俺たちを皆殺しにしようとも、いくらでも露見する方法があるんだ。国ってのは、組織ってのは、貴族ってのはそういうもんなんだよ! この世界は死体からでも情報が――」
俺の腕が吹き飛んだ。
激痛。何の抵抗もなく失せた肩口からは、夥しい量の血液が撒き散らされる。その場で倒れ込んで絶叫をあげる。
「ふざけるなあ! 俺は領主だぞ! 貴族だぞ! 大商人だぞっ!」
「ここはもうボクの戦場。地位とお金では、振り上げられた鎌は防げない」
「あ、ああ……ちく、しょう」
理解した。
大鎌から血を滴らせるこいつを見て理解した。
こいつは昨日のやり取りで「本質」を理解しちゃいねえ。
普通の人類種であれば「地位」「名誉」「権力」「金銭」の領域から逸脱することを恐れるのだ。人類を守護する文化という名の鎖。
だから、それらを奪う力を見せつけることにより、俺は絶対の防御力を得る。
俺を傷つけることのデメリットが、攻撃することのメリットを上回る。だから誰も俺に攻撃することができないはずなのだ。
俺は安全なはずだったんだ!
でも、こいつは。
アトリという幼女は――俺を「面倒な相手」だとしか認識していない。
昨日のやり取りは「俺の勝ち」だと思い込んでいた。だが、実際のところ、あの幼女は「面倒くさいからやめとこう」としか実感していない。
負けたとは思っただろう。
でも、いくらでも対処できる事態だと……「見逃しただけ」に過ぎない。
奴にとっての昨日の交渉は、俺の命乞いに応えてやっただけなのだ。
間違えた。
こいつに社会性は通用しない。こいつは人間じゃない。
この土地から逃げるべきだった。
こいつは暴れているのではない。暴れているだけならば、何も恐ろしいことではないのだ。
だが、この幼女――アトリが恐ろしいのは。
何かしらの自己にとっての理論があって動いていること。
つまり、アトリはただの性格破綻者ではなく……
化け物である。
幼女はまるで説教する聖女のように、清廉な教えに陶酔する聖女のように言葉を唱えていく。ただならぬ空気に村人たちが集まってくる。
散々いたぶった村人たちが、俺の処刑を見に集まってくる。ここは俺だけの楽園ではなかった。今、この幼女によって……全員の地獄へ変えられようとしている。
邪神を奉じる――イカれた幼女の手によって!
「邪神ネロは闇を、嘘を、悪を、弱さを、苦しみを、無念を、痛みを、憎しみを、死を、ありとあらゆる邪悪を司る……!」
なんで俺が。
こんなにも積み重ねてきたのに。がんばったのに!
「闇なき世界に安らぎはなく。人の生にて悪は常に共に在る。そのすべての悪を、邪神ネロさまは死を以て赦しとし、遍くを受け止めてくださる!」
されど、と幼女の大鎌に闇が満ちていく。
「されど! 人の器を越えし悪逆非道……神の慈悲に甘ったれ、唾する行為に死で以て終焉を告げることこそ――神の刃たる使徒の使命!」
「なんだよ、それ! 貴様の言葉は破綻してるぞ! なんで俺が、俺の積み上げてきた実績が! 強さが――価値があ」
「おまえの悪意は老婆の弱さと痛みに――負けたのだ」
言葉が通じない。
同じ言葉を使っているだけ。価値観から何から……すべてが異形。なまじ同じ言語を使っているからこそ、理解できないことを理解させられる。
イカれた幼女。
存在しない神を奉ずる
赤い瞳が
俺は涙と鼻水に塗れながら叫んだ。
「死にたくない!! 殺さないでくれ!!! 金ならいくらでもあるから!!! 謝る! この村に償う! 改心するからあ!」
「そう」
幼女が頷く。
慈愛さえ感じるような、幼女の美しい相貌。
「
天を貫くような闇の奔流。
震えることさえ許されぬ、莫大な死の息吹。幼女が死を振りかぶる。
赤い瞳が俺を見ている。
「――【
俺の、
すべてが
闇が悉くを飲み込んだ。
▽
幼女の一振りで跡形もなくなった領主屋敷。
ドラゴン対策の壁さえも木っ端微塵になり、ただ悍ましいほどの「死」が奔流した。
圧倒的な実力に加え、その異常な精神性。
存在しない神に狂信し、意味の解らぬ悍ましい戒律を唱える、その姿。村人たちの心には恐怖が刻まれていた。
領主の死。
憎き男の死亡を歓喜するよりも、幼女の異様さが空気を凍らせていた。村人たちは誰も動くことができなかった。
ただ未知なる光景に、目を見開くのみだ。
第三フィールドの一般人の多くはドラゴンをもっとも恐れる。ドラゴンの代名詞たるドラゴン・ブレス――目撃したこともない、それを目撃したような。
誰もが動けない。
幼女は大鎌を背に背負いなおし、あまりにも美しい少女に声をかけた。仲間だろうか。あのような生物の美の頂点……病のように脳を蕩けさせる、美貌の持ち主が。
幼女が美に話し掛ける。
「セック。シヲから魔法を借りて」
「はい、アトリさま。シヲさま【あなたをお手伝いしてよろしいでしょうか?】」
『――』
セックと呼ばれた美が頷き、破壊されたはずの壁に向かう。
手には身の丈を越える、長大な箒が握られている。美が箒を軽く振るう。直後、
「土魔法アーツ【堅城壁】」
土魔法で製作された、硬質の壁が一瞬にて完成した。
ぺこり、と風雅にお辞儀をする美の化身。次に彼女が行ったのは、先の術を越える……悪夢のような行為であった。
美が唱える。
「常闇魔法アーツ【リアニメイト】」
死んだはずの領主の、粉々になった肉体が骨となり再生した。蘇生魔法だ。蘇った領主の骨は、忠誠を誓う家臣のように跪く。
美は瞬きもせずに命ずる。
「この村の中、あなたの生前の仲間は誰ですか」
骨が指を指していく。
その後、骨の協力によって村から領主サイドの人間は――壊滅させられた。村人たちは、ひたすらに「幼女が消えてくれる」ことだけを願った。
そして幼女は実際に即座の帰宅を選択したらしい。
しかし、イカれた人間は何処にでもいるもので。
「ま、待てよあんた! 領主を殺しておいて、逃げるつもりか!? どうするんだ! 責任は! 領主がいきなり死ぬのは、さすがに困るんだよ! 解るだろうが!!」
かつてアトリを案内した男だった。
それはそうだ。領主が殺害された。これは村にとっては一大事であり、下手をすれば村の終わりも意味する。
しかもアトリ陣営は領主側の全員を殺害したのだ。
居たら居たで困るものの、居なければ終わるのが領主というものである。本来、悪を正すという行為は至難だ。
ただ殺してお終い、なんてあり得ない。
その後始末をすることも要求されるのが、救った者の定めである。けれど、
「知らない」
アトリは取り合わなかった。
一部の村人が恨めしげに睨む中、アトリは気にせずにその場を立ち去った。追いかけようとする者はいなかった。
誰もが足を竦ませていたのだ。
悪は失せた。しかし、
『やはり人類種は愚か極まりございませんね。愚かさも悪にございます。根絶やすためには魔王の存在が必須。とはいえ、悪だから根絶やすなど稚拙な帰結でございますよね。どうせ世には悪しかございません。ですからこそ、人類種は面白いのでございますけれど』
災厄の箱はそう嗤う。
『本当に悪を司る神がいたならば、それはきっと全能の神なのでございましょうね』
▽
ボクは急いで村から出ることにした。
神様に許可なく【ライフストック】を全消費してしまったからだ。ボクの全力には【ライフストック】が必須である。
だというのに、それを無駄に使ってしまった。
必要だとは思った。
でも、やっぱり神様の期待してくれる戦力を保持する必要がある。今からたくさんの命を奪う必要があるのだ。
すべての命は神様に捧げられるべきなのだ。
もちろん、ボクが村を出ようとしても止められる者はいない。門番もほとんどが死亡した。ボクとセックが殺し尽くした。
とはいえ。
唯一、門番のリーダーだけが生きることを許されたらしい。彼は領主側の人間であったようだが、シヲが考察するには村人側でもあったらしい。
よく解らないけど。
門番が減ったことについての心配はある。けど、あの程度の戦力ならばどのみち吸血鬼は止められなかっただろう。
ここは僻地。
吸血鬼が来ないことを祈るのみである。
「待っておくれ、アトリちゃん!」
ボクを止められる人がいたらしい。振り向く。そこには息を切らせた老婆がいた。曲がった腰を押さえている。顔色は悪い。青ざめている。
助かったのに、どうしてだろう?
仇も討ったはずだけど……自分でやりたかったのだろうか。
老婆が言う。
「すまなかったねえ。あんたに領主を殺させちまった……」
「良い。ボクはやるべきことをやっただけ」
「でも……あんたはこっちのために何もかもを背負ってくれた。あたしが庇っても嘘だってすぐにバレちまうよ」
老婆は涙ながらに言う。
「わざわざ叫んで人を集めて、よく解らないことを言って『村人に依頼されたからやったんじゃない』って強調してくれたんだろう。あんな大規模な破壊はうちらにはできない。今後、来るであろう調査官に村が疑われないために、悪役を――」
「――違うよ」
「違わないだろう! あたしゃ、自分らが情けない……あんたみたいな子どもにすべての罪を被ってもらって、救ってもらって……それに感謝ひとつできやしない。領主だけじゃなかったんだ。あたしらは全員、元から腐ってた……」
情けない、情けない、と老婆は呟く。
ボクは思う。腐ることはいけないことではない。ボクは神様から【造園】の力を授かった。それゆえに知っている。
腐ったものは、後に続く生命が強く紡がれる切っ掛けになるのだ。
ボクはたぶん微笑んだ。
「育てれば良い。頑張って」
老婆が目を見開いた。顔を皺くちゃにしてから、彼女は穏やかな笑みを浮かべた。ボクの手を握ってくる。皺だけらの温かい手だった。
ぽかぽかする。
ギュッとされた。どうすれば良いか解らない。ボクは棒立ちになってしまう。無防備極まりない。
「優しい子だね、アトリちゃんは」
「?」
「頑張るよ、あたしゃ」
ボクはちょっとだけ迷った。
神様の【理想のアトリエ】は人員を募集している。この老婆のことを誘おうかとも思ったのだ。でも、この人からはこの村で生きていく覚悟を感じる。
ならば、ボクは止められない。
ボクは自分の自由を肯定するために、他者の自由もまた肯定せねばならないから。
代わりに【アイテムボックス】から爆弾を取り出した。
「これ、あげる」
「なんだい、これ?」
「魔力を込めると一秒後に爆発する。範囲は五メートル。威力はあるけど、一番は凍る。吸血鬼も下位なら足止めできる。その後、囲んで滅多打ちで殺せる……かもしれない」
「だ、駄目だよ、こんなすごいもの……!」
ボクは老婆に無理矢理にアイテムを渡した。
「ばいばい」
立ち去った。
老婆は泣き虫だ。しくしく、という音がうしろから聞こえてくる。ボクも年を取ったら泣き虫になるのかな。
だと良いな。
そう思った。
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