第109話 神は言った
▽第百九話 神は言った
老婆の起床を察知して目を覚ます。
神様の力でベッドを【アイテム・ボックス】に収納し、敷いてもらった布団に軽く皺を寄せる。
用意してもらったのに使わなかったのは悪い気がしたからだ。
神はあらゆる嘘を愛されているのだ。
ボクは神に嘘を吐くことを認められている。ゆえに老婆を騙させてもらう。
「おや、アトリちゃん、起きたかい。粗末な布団しかなくてすまないねえ。でも、外で寝るよりは快適だと思ったんだ」
「悪くなかった」
「そうかい、ありがとうねえ」
「ボクも感謝する」
まだ外は薄暗い。
神様のお返事によれば、今日も神様は降臨してくれないようだ。何か用事があるとのこと……絶望とはこのこと。
老婆はボクが出した食材で料理を始めている。
ボクもシヲも料理は得意ではない。いつも神様がやってくれている。神様の料理はとても美味しい。料理スキル持ちの料理のほうが美味しいしバフがつくらしいが、神様が作った料理だけがボクの心も満たしてくれるのだ。
幸せの味は神様にしか作り出せない。
どうやら老婆は【火魔法】に適正があるらしく、それを用いて料理をする。
ボクは戦闘にしかスキルを使わない。
便利だな、と思う。
料理が出された。湯気を立てる料理たちは簡素ながらに良い匂い。ボクはお礼を言ってから料理を食べる。
美味しい。
料理人という感じではなく、むしろ神様の料理に近かった。
嬉しくなる味だ。ボクは驚く。
「おいしい」
「ありがとうねえ」
老婆は顔を皺くちゃにした。
嬉しそうではなく、その雰囲気は悲しそうに見えた。かつてダンジョン攻略にて先生が見せた涙を思い出す。
老人はいつも悲しそうだ。
今日はさすがに素材を探そうと思う。
昨日のボクは無能に過ぎた。神様は人類種では及びもつかないほどに寛大なお心を持っているが、神様が許してくれてもボクが自分を許せない。
村を後にすることに決めた。
ボクは強いから外に出られる。でも、この人たちは弱い。第三フィールドは広大。その分、道にはたくさんの敵がいる。
しかも、あの門番たちがそもそも村人の脱出を阻むのだろう。
この人たちは潰されるために生かされている。
べつにどうとも思わない。神様が言った。この世界は強ければ何をしても良い。弱者は奪われ、嬲られ、奪われるのだ。
この人たちは弱い
かつて神様は言った。
まだボクが自由を理解していない時に、自由について教えてくれたのだ。
『不自由とは鎖に似ています。ガチガチに拘束され、身動きも取れず、やりたいことをさせてもらえない。誰かに常に雁字搦めにされている。苦しくて痛い』
ですが、と神は言った。
『鎖は悪いモノではないのです。上手く体に巻き付けば防具となり、高所から落ちないための命綱となります。鎖がない獣は脅威として排除対象となります』
鎖からの解放。
自由とは、そういうことだ。鎖が与えてくるデメリットを捨てられる代わり、鎖から得られるメリットさえも捨て去ることになる。
それは危険で険しい道のりだ。
そこに必要なのは覚悟。
そして責任。最低限の保障を自ら捨てるのだ。危険はある。責任は自分で払う。
この村の人たちは鎖で苦しめられ、その代わり、命を鎖で繋がれている。死を覚悟するならば、きっと彼らは自由になることだって可能だろう。
その天秤をボクの存在で壊すメリットが、ボクにはない。
ボクは神様のためだけに生きている。その前提は覆さない。だから助けない。
「アトリちゃん、あんたはもうこんな村、出ちまいな。あんたは強くて幼い。こんなところに居ても心が腐るだけだねえ」
「今日には出て行く予定」
「それが良い。ああ、そうだ! その前に待っておきな」
老婆が曲がった腰を酷使し、バタバタと家を出て行く。言われた通りにボクは待っている。料理の量はボクには足りなかったけど、お茶はとても美味しい。
先生が出すお茶を思い出す。
老人はいつも悲しくて、お茶が美味しい。
しばらくすれば、外で悲鳴とどすん、という重い音が響いた。
ボクはすぐさま外に出た。
▽
老婆が地面で倒れていた。
どうやら脚立で樹に昇ろうとしたらしい。その樹には小さな萎んだ果実がひとつだけ揺れていた。
老婆は腰の骨を折っているようだ。
意識も失っている。ボクは【リジェネ】と【上級回復ポーション】を使った。骨を回復するポーションも神様は持っていたけれど、そっちは【理想のアトリエ】に置いてきた。
シヲに看護させて、ボクは【理想のアトリエ】にアイテムを取りに帰った。セックも一応、来てくれるらしい。
セックには【お手伝い】スキルがある。
神様が「こんなチートスキルあって良いのですか?」と言っていたスキルだ。
便利なはず。
セックを連れて戻ってみれば、老婆は意識を取り戻していたようだ。しかし、思わぬダメージに精神的に参っているようだ。
ゼラクたちから得た知識によれば、人は痛いと心が暗くなる。
かつてのボクもそうだった。
老婆に骨を治すポーションを飲ませた。
シヲが【アイテム・ボックス】から服を取り出してセックに着せる。神様は『なんで作品に余計なものを? やはりシヲの感性は人類とは大きく異なるようですね』と言った。
でも、今はセックを脱がせている場合ではない。
老婆に問う。
「なんで樹に登ったの? 危ない」
「……なんでもないさ」
老婆が目を伏せる。
ボクが首を傾げれば、シヲが呆れたように肩を竦めた。ミミックの癖に人類種みたいな仕草をする。でも、所々に違和感が凄まじくて、やっぱりシヲはとても気持ち悪い。
エルフ族の顔で言う。
『主さまに果実を食べさせてあげたかったのでございましょう? そのようなことも解らぬから、貴女さまは旦那さまの真意にも気づけないのでございます。空っぽと偽りとてきとーに』
「ボクは神様のことをもっとも解ってる。お前はとても無知」
『旦那さまはもっと情緒教育を行うべきでございます。これではまるで人擬き。模倣する身にもなってくださいませ? わたくしのほうがよほど下等生物代表の人間が上手いと存じます』
「うるさい。医者を探してこい」
『かしこまりました、主さま』
神様はシヲを完全に御している。しかし、ボクはシヲのことを潜在的な敵だと認識しているのだ。
奴は危険だ。
口では『主さまたちには感謝しているのでございます。わたくしがよりミミックとしての高みへと昇ることができているのはすべてお二方のお陰でございます』なんて言っている。
でも、シヲは神様を侮辱する。
神敵である。神様が寛大すぎるのでシヲは生かされているに過ぎないのだ。神様のお考えを理解できていないから、シヲは神様が「何も考えていない」と思い込んでいる。
無能はいつも他者を否定することによって、自分を確立しているのだ。
しかし、シヲの言葉によって理解できた。
ボクはあるていど回復した老婆に手を差し出す。老婆はボクの小さな手に触れた瞬間、ぱっと手を離してすすり泣きを始めた。
「どうした? 痛い?」
「……ごめんねえ、ごめんねえ」
泣いている老婆の前、ボクは何もできなくなった。
どのような強敵が相手でも動く体が、動かない。
すると、うしろからドタドタと慌ただしい音が聞こえてくる。振り向けば、そこには昨日の案内人がいた。シヲが連れてきたらしい。
手には応急処置用の道具。
この村にはすでに医療がないのだろう。それを理解する。だから、たぶん戦える村人である彼だけが処置が可能なのだ。
案内人の表情はオーガのようだった。
「てめえ……裏切りもんが! なんでばあさんを泣かせてやがるんだよ!」
「知らない」
「Aランクだから偉いのか!? 偉けりゃ何しても良いのか!? ばあさんはな、このクソ領主に家族皆殺しにされてんだ! てめえくらいの孫も! ただでさえあのクソ領主が憎いってのに、そいつと取引したてめえが――」
案内人が捲し立てる中、老婆が薄くなった髪を掻き毟った。絶叫。
「やめてえええ! 言うなあああ!! 言うなよお」
老婆が甲高い声を出し、地に蹲ってしまう。
「そう」
ボクは溜息を吐いた。
ボクは家族というモノの良さなんてまったく解らない。家族が死ねば嬉しい以外の気持ちが理解できない。
理解できなくても、ボクには想像力というモノがある。
木の上で揺れる果実を見る。
きっと美味しくない。萎れた果実。
ボクは賢くない。
賢くない者にとっての自由とは、危険と同義である。ゆえに、ボクはあらゆる判断を神様にお任せしている。
しかし、神様は言った。
『貴女は貴女の望むままに生きてよろしい。この私がそれを許しましょう』
そうだ。
ボクは、
「ボクはアトリ。邪神の使徒にしてAランク冒険者」
老婆が顔を上げ、泣きはらした顔でボクを見る。ボクは【シャイニング・スラッシュ】で果実を樹から落とし、それを走ってキャッチした。
囓る。
血色の果汁が弾け飛ぶ。あまり美味しいとは思えないけど、心が良くなる味だった。
「寝床、ご飯、不味い果実。Aランクを雇う報酬には
「なにを……」
「ボクがぜんぶ片付ける」
確かに貴族を敵に回すことは大変なことだ。
偉い人々、商人……敵に回してはいけない人たちを敵に回すし、神様だって困ってしまうことだろう。
でも、神様は許してくれている。
ボクは賢くないし、神様がいないと弱いし、神様がいないと悲しい……そういう存在でしかないけれど。
神様は全部、どうにでもしてくれるのだ。
だって神様は全知全能。貴族や商人は小娘を捻り潰すことができようとも、神様には指一本たりとも敵わない。
ボクは覚悟した。
領主を殺すのとならず者を殺すのでは意味が違う。Aランクていどの裁量では、領主を勝手な判断で殺害することは許されていない。
ボクはならず者に落ちるかもしれない。
さっきまでのボクには「ならず者」になってまで領主と敵対する意義がなかった。神様のお力に頼り切りになることは避けたかった。
でも、ボクは「老婆を助けたくなった」のだ。
ボクの自由のために「領主を殺したいだけで殺す」ことはしなかった。
今のボクには
「
大鎌を引き抜き、天に強く掲げた。
「敵は皆殺し……です」
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