君と焼き肉を食べに行くだけの話

赤野真朱

君と初めての焼肉

ランチタイムぎりぎりの時間だというのに店内は平日でも満席で、じゅうじゅうと肉が焼ける音と臭いが辺りに充満していた。


俺の目の前ではモデルかと見紛うほどには美人と言われそうな容姿の女性が幸せそうに肉を頬張っている。正直、こんな展開になるとは予想だにしなかった。



遡ること三十分前、仕事終わりの俺は素性の知らない誰かに後をつけられていた。所謂裏稼業なんて呼ばれるような仕事柄、尾行されるというのは珍しいことではないが、今回の追手は異様にしつこい。敢えて人ごみの中を縫うように歩けど、一定の距離を保ったまま着いてくる。


鬱陶しいことこの上ないことに加え、このままでは家に帰るどころか組織に戻ることさえままならない。どうしようかと思案していると、すれ違った女性から微かに血の匂いが漂ってきた。同業者であってくれという期待と共に、申し訳ないが巻き込まれてくれと、俺は彼女の後を追うことにした。


……そして、今に至る。


「なんだ、食べないのか?」


「そんなに腹が減ってるわけじゃあないからね」


「じゃあ何でここまで着いてきたんだ。せっかく来たのだから、君も何か頼めばいいだろう」


ずい、と目の前にメニューを差し出される。空腹時であれば多少は美味しそうに見える写真も、今は少しもそそられない。


「ちなみに、私をダシに使おうとした罰として私は君に奢ってもらう気満々だ」


にやりと笑って俺の手からメニューを攫っていくと、まだ食べる気なのか彼女はメニューに目を通す。それからすぐに店員を呼ぶといくつか追加の注文をしていた。まるで、目の前の俺のことなど少しも気に留めていないかのように。


「そういえば君のことは何と呼んだらいいだろうか。皇クン?金城クン?それとも夜?」


偽名だけでなく、本名まで呼ばれて思わずどきりとした。そこそこ優秀とよばれる情報屋やスパイでさえ本名を把握している人間はいないと高を括っていた。コードネームも偽名も本名も全て把握されている。何より、それは彼女が俺が暗殺者だと知ったうえで同席しているという証拠で、その事実に驚きを隠せない。通常なら俺が目の前にいるだけで怯えられるというのに。


「夜でいい。同業者かと思っていたが、君は……」


「フリーの3Dモデラーさ。主にゲームに使われているようなモデルを作るのが仕事だ」


それが彼女がもつ表向きの情報なのだろう。上機嫌に運ばれてきた追加の肉を焼きながら、彼女は他に何か聞きたいことはあるかい?と首をかしげる。


「ああ、それより私の自己紹介がまだだったね。私ばかり一方的に君のことを知っているというのもフェアじゃない。そうだな、私のことは水木とでも呼んでくれ。歳は二十代半ば、趣味はバードウォッチング。好きな食べ物は肉と甘いものだ」


ろくに意味もないだろう羅列に、いったい何の意味があるというのか。あくまでも表向きはそういった人物像である。ということしか把握できないというのに。


「君はひくほどにお気楽だね。意味もない情報を並べて、俺のことを知ったうえで呑気に飯食ってさ」


「つれないなあ。今はお互いに仕事の時間じゃあないだろう?だいたい、君のことをよく把握出来ているから君を恐れる必要がないと判断している。それに、ここには君が勝手に着いてきただけだろう?」


それは君が雑な尾行にも気付ける人間だったから。なんて周囲に人が大勢いる状況で言えるわけもなく、言葉を濁すことしかできなかった。


「あと、私を勝手に利用したことは高くつくからな?最低でも此処の会計と来月、別の店で奢ってもらわないと私の気がすまない。まあ、それでも大サービスしているほうだが」


「は?来月?」


「さっき言っただろう、肉は好きだって。来月も焼肉にはいくつもりだ。それについてこい」


追加分さえ余裕で平らげてしまいそうな勢いの彼女を前にふざけるなとも言えず、急な出費に頭を抱えたくなる。一体、その細い体のどこに消えているのか。もしかしなくても俺は、巻き込んではいけない人間を巻き込んでしまったのだろう。


「ご馳走様でした」


悶々としている俺をよそに、彼女は追加分も残さず食べきっていた。デザートのアイスまで詰め込んだ彼女は満足そうな顔をしていて、少しだけ腹立たしくなった。


 店の外に出れば空は既に茜色へ染まり始めていて、ひんやりとした風が頬を撫でていく。


「さすがに君のファンも諦めてくれたようだな。結果的には穏便に済んで良かったな」


「大誤算だったけどね」


「なに、いずれ安い出費だと認識できる日が来るよ」


それじゃあまた来月、こちらから連絡するよと言って彼女は呑気に手を振って踵を返した。大きなため息を残し、俺も帰路へとついた。


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