ニンジンは嫌いです

「これから帝立学園に入学するまでの約一年間、私はこちらの天蝎てんかつ宮でルドルフ殿下と一緒に暮らすことになりました」

「ええええええええええええ!?」


 僕は驚きのあまり、仰け反って絶叫した。


「ど、どういうことですか!? どうしてそんなことに!? い、いや、それならリズベット殿をお迎えする準備を!?」

「殿下、落ち着いてくださいませ」


 混乱を極める僕の手を、リズベットが優しく握る。

 そのおかげで、僕も幾分かは落ち着きを取り戻した。


「そ、それで、どうしてリズベット殿がここで暮らすことになったのですか?」

「はい……」


 リズベットは、今回の経緯いきさつについて説明してくれた。

 何でも、ファールクランツ侯爵が僕とリズベットがお互いを知るためにと配慮し、当初は僕がファールクランツ家に居候させることを皇帝に進言したらしい。


 だけど、さすがに皇子である僕を臣下の屋敷に住まわせるわけにはいかないと断られたため、それならばということで、リズベットを天蝎てんかつ宮で預かることになったとのこと。

 いや、そんな大事な話、もっと早く教えてよ。


「……私もマーヤから、『ルドルフ殿下には私からお伝えしておきますので、説明不要です』と言われ、おかしいと思ったんです」

「なるほど……」


 僕とリズベットは、マーヤをジト目で睨む。

 当のマーヤはそんな視線を受けてもどこ吹く風で、使用人達に次々と指示を出していた。


「そ、その……ご迷惑でしたか……?」


 リズベットは僕の顔をのぞき込み、不安そうに尋ねる。


「まさか。リズベット殿と一緒に暮らせるなんて、こんなに嬉しいことはありません。ただ、それでしたらもっと盛大にお迎えをしたというのに、その準備ができなかったことが、一番の心残り……」

「殿下、ご心配なく。このマーヤが万事整えておりますので」


 いつの間にかそばに来ていたマーヤが、胸に手を当てて一礼した。

 いや、なんでそんなに誇らしげなの? むしろ報連相を怠る……いや、わざと報告しないってどういうことなんだよ。


「と、とにかく、僕はあなたがお越しくださるなんて、夢のようです」

「あ……はい、私もこれからルドルフ殿下のおそばにいられることに、胸が高鳴っております」


 うん、とりあえずマーヤは後でとっちめることにして。


「リズベット殿……ようこそ、天蝎てんかつ宮へ」


 僕はリズベットの前でひざまずいて細く白い手を取り、そっと口づけを落とした。


 ◇


「ふふ、やはりルドルフ殿下とご一緒する食事は格別です」


 僕とリズベットは並んで座りながら、遅めの朝食を摂る。

 マーヤのせいで朝から驚かされてばかりだったけど、これに関してはよくやってくれた。おかげで僕も、幸せそうなリズベットの表情を見て、お腹だけでなく心も満たされております。


 だけど。


「……殿下、ニンジンも食べないといけませんよ?」

「リズベット様、もっと言ってください。殿下はすぐ私の隙を突いて、ニンジンを食べずに隠そうとするんです」


 くそう、監視の目が二つに増えたことは予想外だった。

 どういうわけか、ルドルフである今の僕も、前世の僕も、ニンジンだけはどうしても嫌いなんだよなあ……。


 いずれにせよ、今後のニンジンの処理方法について早急に考えておかないと。


「ところで、リズベット殿は天蝎てんかつ宮には毎日お越しくださっていますが、皇宮内の他の場所などはご覧になったことは……?」

「いいえ、ございません。この天蝎てんかつ宮を除けば、あの日・・・の記憶に残っている場所だけです」

「では、朝食が終わりましたら、ご案内します。これから一年間ここに住むのですから、知っておいていただいたほうがいいと思いますので」


 三人の皇子……特に、ロビンがいる金牛宮に近寄らないようにするためにも、位置関係はしっかりと把握してもらわないと。

 アイツ、リズベットにも絶対に絡んでくると思うし、あの日・・・に嫌な思いをしたのは全部ロビンのせいだから。


「はい、ありがとうございます。では殿下、よろしくお願いします」

「こちらこそ、よろしくお願いします」


 ということで、僕達は朝食を済ませ、皇宮内を散策する。

 皇帝が暮らす『黄道宮』を中心として、僕の管理する天蝎てんかつ宮を含め十二の宮殿がある。


 現在は、十二宮殿のうちの七つを、僕を含めた四人の皇子と二人の皇妃、そして母であるベアトリスで管理し、残りの五つは皇帝直轄となっている。

 といっても、皇帝直轄分は維持管理のみしか行っておらず、普段は定期的に騎士が見回りを行う程度で、誰もいないんだけどね。


 だけど。


「ここは……?」

「皇帝陛下直轄となっている宮殿の一つで、『処女宮』と呼ばれています。さあ、こちらです」

「は、はい……」


 リズベットの手を取りながら、処女宮の中を進むと。


「あ……」

「はい……あの日・・・、僕とあなたが初めて出逢った、あの庭園です」


 そう……あの日の庭園は、処女宮に存在していた。

 今は手入れこそされているものの、花は植えられておらず、どこか殺風景な雰囲気となっている。


 でも、スズランが咲き乱れていたあの日・・・の光景だけは、今も鮮明に覚えている。

 ならリズベットのこともちゃんと覚えておけよという指摘は、この際なので甘んじて受けよう。


「ふふ……これからはいつでも、あなた様と一緒にここに来ることができるのですね……」

「もちろんです。僕も、あなたと再びここに来れて、嬉しいです」


 僕の肩にそっと頬を寄せるリズベット。

 彼女の温もりが嬉しくて、僕は一切動かずに庭園を眺めていると。


「フン……まさかこんなところで、“けがれた豚”に出くわすとはな」


 現れたのは、皇宮で一番お呼びじゃない人物――第三皇子のロビンだった。

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