真相
コンコンと軽やかなノックの音がする。
「お嬢様、紅茶とクッキーをお持ちしました」
「どうぞ」
「失礼します」とソフィアが入ってくる。私がソファーで本を手にしているのを見ると、そばのテーブルにお盆を乗せた。
「盗人の疑いが晴れたそうね。よかったじゃない」
「はい。お嬢様のおかげです」
「大したことじゃないわよ」
こぽこぽと陶器のティーカップにお茶が注がれる。ベルガモットのいい香りが広がる。
「それにしても、ホリーさんの部屋の戸棚からイヤリングが出てきたと聞いて驚きました」
「あなたを陥れるためにやったってうわさよ。ひどい話よね」
「でも、なんだか申し訳ないです。首にされる寸前だった私はこうして復帰できたのに、ホリーさんは解雇だなんて」
「あなたが落ち込む必要はないわ。それにあの人、いつもあなたの仕事に難癖つけていたじゃない。いなくなって清々したでしょう?」
ソフィアは肯定も否定もせず、かすかにほほ笑んだ。
「ただ、腑に落ちないところはあります。ホリーさんは本気で私を疑っていたように見えましたし、いくら私を気に入らないといっても奥様のジュエリーを盗むのはリスクが高いです。何より、こういう手のこんだやり方はしない人です」
「そうかしら?」
「はい。目の前に弱った子犬がいたら嬉々として蹴り飛ばしますが、罠を仕掛けて獲物を狩ることはありません。狩猟は貴族の遊びです」
ソフィアのグレーの瞳が、まっすぐに私を射る。
彼女の前では、私の嘘は通用しない。
「……降参よ。そう、真犯人は私」
「原因はオリバーですね?」
「ええ」
ソフィアには1つ年下のオリバーという弟がいる。姉によく似たかわいらしい顔立ちの給仕だ。数か月前から、私たちは人目をしのいでこっそり付き合っている。用心しているつもりだったのに、どうしてばれてたのかしら。
「たまたま目が合ったらほほ笑み合うぐらい、別に普通でしょ。相手がお隣さんだって同じようにするわ。それなのにあのメイド頭ときたら、あることないことお母様に吹きこむのよ。お嬢様に悪影響だの秩序が乱れるだのって……本当にいい迷惑だったわ!」
「なるほど。それでホリーさんが邪魔になったわけですね」
私はソフィアの視線を感じながら、ティーカップに口をつける。いつもよりやけに渋く感じるのは緊張のせいか、それともソフィアがわざと濃くしたのか。気まずい空気の中、私は彼女の次の言葉を待った。
やがてソフィアは小さく息を吐いた。
「お嬢様が弟のことを慕っておられることは今回の件でよくわかりました。私も嬉しく思います」
「……本当に?」
非難されるとばかり思って身構えていたので、ちょっと拍子抜けした。
「はい。ですが、書状のことはひと言私に言ってほしかったです」
「いても立ってもいられなかったのよ。私の計略に無実のあなたを巻きこんでしまったんだもの」
「実は私、字が書けないんです」
「ええ、もちろん、すごく反省しているのよ……あら、今なんて言ったかしら?」
「私は字が書けないんです」
「なんですって!?」
びっくりしてティーカップを取り落としそうになった。
「このこと、お父様は……」
「ご心配なく。上手くごまかしておきました」
「そう、ありがとう」
手のひらに冷や汗がにじむ。
「あまり無茶をなさると、屋敷の外での密会もできなくなってしまいますよ」
今度は危うく紅茶を噴き出しそうになった。
「オリバーったら、しゃべっちゃったの?」
「いいえ、あの子は忠実に秘密を守っています」
「そ、そう……なんでもお見通しってわけね」
ため息が出る。
「ねえソフィア、あなたは私たちの味方よね? だってオリバーはあなたの弟だもの」
ソフィアは薄く微笑んだ。
「ホリーさんがいなくなった今、奥様は旦那様を通して、私にお嬢様と弟の監視役を命じられました」
「えっ?」
思いもよらぬ展開に一瞬、思考が停まる。ソフィアの目を潜り抜けて隠し事なんて、オオカミの目の前でウサギが尻尾を振るようなもの……
「だめよ、断って! いいえ、やっぱり監視するふりをして見過ごして!」
「私は旦那様に誠心誠意お仕えしなければなりません。お嬢様が書状に書かれた通りに」
私の懇願など意に介さず、ソフィアは悠然とお辞儀をして部屋を出て行く。
「嘘でしょ」
へなへなと力が抜け、ソファに沈みこんだ。
ああオリバー、今度の敵はずっと手強いわ。なんとあなたのお姉さんよ。
これでやっと平和になると思ったのに!
それにしてもあの二人、顔立ちはよく似ているのにどうしてこうも違うのかしら?
ソフィアは肝が据わっていて頼もしくてなんでもそつなくこなすけれど、何を考えているのかよくわからないところがある。オリバーはちょっとおちょっこちょいだけど素直で優しくて、なんでも顔に出るお人よしで、そばにいると心が安らぐ。
生まれてくる前に役割分担の相談でもしたのかしら?
「会いたいなあ……」
クッキーに手を伸ばして、お盆のすみにイヤリングが乗っていることに気づく。お母様のものかと思って一瞬ぎょっとしたけれど違った。自分のだ。以前オリバーに渡しておいた、ほんのりピンク色の真珠のイヤリング。会いたいときはダイニングの花瓶のそばに置いて合図にしようと言って、お互い片方ずつ持っている……
「ソフィアったら、もう」
からかわれているのか、応援されているのか。
どっちにしても、今晩はオリバーに会える!
かすかにベルガモットが香るそれを、右の耳に着ける。
片方だけのイヤリング 文月みつか @natsu73
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