第32話 再度
素数野さんと食事をした後、僕はパソコン室に向かった。扉を開いて出口や隠し部屋を探そうと辺りを見渡すと、奥の壁に妙な違和感を覚えた。
「なんだこれ。切れ目?」
奥の壁に一筋の切れ目があったのだ。天井から床まで続いている。その様子はまるで、ここに隠し部屋があると主張しているようであった。もちろん、昨日見た時にはこんな切れ目なんて無かった。つまりこの切れ目は今日になって出現したものなのだ。
「もしかして、中に誰かいる?」
僕は奥の壁に近づき、そこに手を当ててみた。すると壁が手で押されて少し動いた。やっぱり隠し部屋だ。前回も車海老くんが見つけていたし、もしかしたらGMは毎回隠し部屋を用意しているのかもしれない。
「すみません。誰かいますか?」
奥に誰かいるかと思って声を掛けてみた。しかし返事はない。誰もいないのかもしれない。そう思った僕は壁を押して、奥の隠し部屋へと入ることにした。
壁は僕の力によってゆっくり回転し、奥にある惨状が僕の目に映し出された。
隠し部屋では、唐雲さんと藤田さんが倒れていた。
「……は?」
見間違いか? いや、そんな訳はない。あの服は確かに唐雲さんだし、あの姿は確かに藤田さんだ。これは悪夢か? いや違う。僕の鼻腔を犯す血の臭いが、「夢ではないぞ」と嘲笑っていた。
「なん……どうして……。」
唐雲さんはうつ伏せで、背中にナイフが突き刺さされている。そこから血がどっぷり流れて、床を赤く染めていた。
藤田さんはその唐雲さんの血に顔を突っ込む形で倒れていて……。
「待った。これ何か変だぞ。」
僕の足は動かなかった。恐怖で動けなくなっていたのではない。この目に映る光景に覚えた違和感が、僕の足を縛っていたんだ。いや、足を縛っていたというより、僕を保護していたという表現が正しい。
「おかしい。明らかにおかしいぞ。」
そう口に出すことで背中を伝う嫌な汗を無視することができた。
「どうして藤田さんは倒れているんだ?」
そう。そうなんだ。唐雲さんには明らかな外傷がある。だけど藤田さんにはそれがない。なのに倒れて動かなくなっている。それに違和感はそれだけじゃあない。
「よくよく考えてみれば、唐雲さんの様子もおかしいぞ! たかがナイフを背中に刺されたくらいで人は死なないし気絶しないはずだ! それにあのナイフ、そんなに深く刺さっていないように見える!」
違和感を言語化していくと、次第に冷静になれた。唐雲さんの出血も大した量じゃあないし、藤田さんにはそもそも傷が見られない。つまり2人とも死んだとは限らない。すぐに適切な処置を施せば助かる。慌ててはいけない。まずは唐雲さんの傷口を塞がなくてはならない。やるべきことが分かれば焦りも不安も霧散する。僕は思考を行動に移すため、深呼吸をして1歩足を踏み出した。
その時だった。僕の鼻は、異臭を捉えた。
「!?」
血の臭いに混じった、嗅いだことのない臭い。上手く言い表せないけど、強いて言うなら硫黄のような臭い。その臭いを嗅いだ瞬間、僕の足から力が抜ける感覚がした。
「何か……おかしい! この部屋何かおかしいぞ!」
改めて部屋を見渡す。あるのは倒れた唐雲さんと突き刺ささったナイフ。血溜まり。それに顔を浸けた藤田さん。それ以外は……。
部屋の隅に、何かがあった。それはドロッとした白と黄色の混ざったような色をした液体だった。注意深く観察しないと見つけられないような位置にあったため、さっきまで気づかなかった。何より目の前の倒れた仲間達の方に目が行ってしまっていた。だけどそれを見つけた僕は、もうその物体から目を離せなくなっていた。
倒れた2人。突き刺ささったナイフ。外傷のない藤田さん。隠し部屋。密閉空間。藤田さんは手前に倒れていて、少し奥に唐雲さんが倒れているこの状況。異臭。謎の物体。それらのキーワードが駿馬の如く脳を駆け回り、結論を導いた。
「毒ガスか!?」
その答えを口に出した瞬間、僕は無意識に後退りした。僕は恐怖していた。毒ガスに恐怖していた訳じゃあない。この状況に恐怖していたんだ。明らかに第三者の悪意が感じ取れるこの現場。中にいる人を助けようと入れば、自らも毒ガスで命を落としてしまうようになっている。きっと藤田さんは中にいる唐雲さんを助けようとして倒れたに違いない。なんということだ。これはまるで釣りのようだ。まだ助かる見込みのある生き餌を使ってその仲間を誘い出す釣りのようだ。
「と、とにかく人を呼ばないと。」
毒ガスが少しでも逃げるように扉を開けたままパソコン室を出る。まず僕が真っ先に向かったのは会議室だった。勢いよく扉を開けて素数野さんの姿を見つけるなり、大声で叫んだ。
「じ、事件です!」
「ッ!? 場所は!?」
「パソコン室の奥の部屋。唐雲さんと藤田さんが倒れていました!」
「2人もですか!? 亡くなってはいないんですよね!?」
「わ、分かりません。部屋中に毒ガスが蔓延しているみたいで入れませんでした。今は扉を開けて換気しています。」
「なるほど。分かりました。急いでそちらに向かいますので、道宮様は他の皆様方を呼んできてください。」
「分かりました!」
弾丸の如く会議室を飛び出した僕は皆の個室の扉を破らんばかりに叩きまくった。久留宮くんと矢賀くんは僕の話を聞くとパソコン室に向かった。黒船くんは何度扉を叩いても出なかったから諦めた。そして城白さんはというと……。
「事件だよ城白さん!」
「ちょっと待って。」
そう言うと再び部屋の中に姿を消し、1分ほどしてまた出てきた。その時、彼女は僕が渡したチェキカメラを手にしていた。
「行きましょう。既に事態は進行しているはずよ。」
そうして黒船くん以外の全員がパソコン室に呼ばれた。
城白さんとパソコン室に入った僕が目にしたのは、隠し部屋の前で腕を組んで悩ましげな表情をしている素数野さんだった。久留宮くんと矢賀くんはどこに行ったのか、という疑問が口から出る前に、誰かの走る音が耳に入った。
「あったぜ爺!」
そう言って久留宮くんが素数野さんに投げつけたのは不織布マスクだった。
「ど、毒ガスの中をマスクだけで行くつもりですか?」
「えぇ。少し行って彼女達はこちら側に引っ張ってきます。力を貸してください。」
素数野さんはそう言いながらマスクを着用し、僕らにも配った。
「少しでも体調に異変を感じたらすぐに部屋から出てください。誰かが倒れれば皆で部屋の外に引きずり出します。良いですね?」
僕らは首肯し、各々マスクを装備して隠し部屋に入った。
「まずは手前の藤田さんから出しましょう。手足を持ってください。」
素数野さんの指示で藤田さんの手足を持った。その瞬間、僕は手のひらに死の冷たさを感じた。藤田さんが死んでしまっていることを、嫌でも理解させられてしまった。
「冗談じゃあねぇぞ……。」
不意に久留宮くんが呟いた。そうだ。冗談じゃあない。なんで? どうして? 疑問は次々に湧いてくる。
「次は唐雲さんです。行きますよ。」
藤田さんをパソコン室まで運んだ僕らは唐雲さんの運搬に取りかかった。しかし唐雲さんの体も、既に冷えきっていた。結局僕らは2つの死体を毒ガスの中から救い出すだけに終わってしまったのだ。
「これってやっぱり死んでるの?」
「えぇ。既に脈がありません。残念ながら……。」
もう彼女達が目を覚ますことは二度とない。その事実が心に重くのしかかってくる。
「いったい誰がこんなことを……。」
「そんなの決まってる! また黒船の野郎が――。」
「僕がどうかした?」
彼はいたって普通の態度で僕らの前に現れた。そして僕らの足元にある死体を一瞥すると、全く表情を変えずに近づいてきた。
「これから調査かい? 良ければ僕も参加させてほしいな。」
「なっ!? ダメに決まってんだろ! そもそも今回の犯人もお前だろ!」
「今回も? 僕は一度だって殺人を犯したことはないんだけどなぁ。」
殺意滾る久留宮くんの視線をものともしないような、あっけらかんとした物言いに白い視線が集まる。
「人手は多い方が良いでしょ。ほら、早速取り掛かろうよ。」
犯人は黒船くんの可能性が高い。もし証拠の隠滅でもされたら大変だ。黒船くんが何らかの偽装工作を行う前に、捜査を行わなければならない。
まずは死体だ。死体を観察して死因をはっきりさせないといけない。とは言っても僕には死体の知識なんてないし、分かることと言えば唐雲さんの背中にはナイフが刺さっているということだけだ。藤田さんには外傷はないように見える。
つまり、最初に犯人は唐雲さんをナイフで殺害した後、唐雲さんの死体を隠し部屋に隠したんだ。そしてそこに毒ガスを発生させておいて、隠し部屋に気づきやすいようほんの少しだけ回転扉を開いていた。たまたまパソコン室に入ってきた藤田さんは隠し部屋に気づき、中にいた唐雲さんを発見したんだ。そして唐雲さんを助けようと隠し部屋の中に入ったことで毒ガスを吸い込み、藤田さんも倒れた。そう考えると辻褄が合うぞ。
いや待てよ。そういえば唐雲さんの出血。あれは見た目こそ派手だけど大した量じゃあない。もしかすると唐雲さんの死因は出血によるものではない?
だとすると順番が逆なのか? 唐雲さんを毒ガスで殺害した後、背中にナイフを突き立てた? いや、犯人は毒ガスの蔓延した部屋の中に入れないはずだ。ガスマスクでもあれば別だけど、それ以外では……。待てよ? 毒ガスで唐雲さんを殺害した後、一度換気をして毒ガスを外に出したという可能性もあるのか。毒ガスを出した後ナイフを刺して、再び毒ガスを放出した。そうだとしたら辻褄が合うぞ。
藤田さんの死因は考えるまでもない。唐雲さんを助けようとして毒ガスを吸い込んだんだ。それしかない。でも、それが分かったところで犯人に繋がる手掛かりになる訳じゃあないしなぁ。
よし、じゃあ次は別の方向から考えてみよう。部屋の端にあったあのドロッとした白と黄色の混ざったような色をした液体。あれがきっと毒ガスの発生源に違いない。ということは犯人はそれを用意できた人物ということになる。しかし毒ガスに詳しい人物なんていないはずだ。それにそもそも毒ガスの材料はどこから持ってきたんだ? 倉庫にある物は日用品ばかりで危険な物はないはずなのに。
クソッ、分からない。僕には毒についての知識なんてない。さっきは直感でそうじゃあないかと思っただけで、この毒ガスの性質も何も分からないんだ。これじゃあ調査なんて、出来っこない。僕に出来ることは人狼ゲームで、殺人現場の調査じゃあないんだ。
思考を巡らせていても何も思い付かないまま、時間だけが過ぎていく。焦燥感に追われ、何かしなくてはならないと思いながらも、能力不足が祟り何も出来ない。こうして僕は死体とにらめっこをしながら時間を浪費してしまい、とうとうあの時間が来てしまった。
「午後6時になりました。これより、夕方の議論を開始しますので、PLの皆様は会議室に集まってください。」
人狼ゲーム、それは死のゲーム、まさにデスゲーム! ALT・オイラにソース・Aksya @ALToiranisauceAksya
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