第31話 茶会

「さて、まずはどちらの部屋に参りましょうか?」


 久留宮くんと黒船くんの安否を確認するため調理場を出た僕らは、エントランスホールを通って部屋の前に来ていた。


「まずは久留宮くんの方に行ってみよう。」


 僕は久留宮くんの部屋の扉の前に立ち、ノックをしようとした瞬間、扉に書いてある名前が目に入った。決して綺麗とは言えない、幼さの残る字で、久留宮と書いてある。この文字は草浦くんが書いたものだった。


「どうかされましたか?」


「うん、いや、なんでもない。」


 胸に込み上げるものを押さえて僕は扉を叩いた。返答はない。


「扉が開くか確認してみて。」


 城白さんの言葉に従いドアノブに手を伸ばす。それを握った瞬間、僕の体から嫌な汗が流れてきた。このドアノブが回って扉が開くなら、それは久留宮くんの死を意味する。緊張に顔を強ばらせながら、ドアノブを捻った。


「……開かない。」


 ガチャガチャと扉は音を鳴らす。押しても引いても開かない。


「ということは単に寝ているだけ、ということでしょうか?」


「うん、多分そうだよ。密室殺人でも起きてない限りは。」


「少なくとも人狼に襲撃された訳ではないということが分かっただけ良いとしましょう。」


「となると、昨夜襲撃されたのは黒船様ということになりますかな?」


「それは分からない。もしかしたら狩人が上手く守ってくれた可能性もあるわけだし。とにかく、黒船くんの部屋も確認してみよう。」


 久留宮くんの部屋から数歩歩けば、すぐに黒船くんの部屋だ。僕は再び緊張した面持ちでドアノブを……。


「おっはよーう!」


「あがっ!」


 勢いよく開かれた扉が僕の顔面を捉え、激痛が走った。


「あれ、道宮くんどうしたの? 顔なんて押さえて。花粉症?」


 何を言っているんだこいつは。扉を開いた時、明らかに人にぶつけた感触があったろ。うう、痛い……。


「ふむ、黒船様も無事だったようですね。」


「僕は無事じゃなくなったけどね……。」


「となると昨晩の襲撃は狩人に防がれたということでしょうか。」


「そうなるわね。まぁ、それは当の狩人さんが良く分かっているんじゃあないかしら?」


 2人ともさらっと僕を無視しないでよ……。


「ふぅん、なるほど。理解したよ。その言い分的に、もしかして誰も死んでない感じ?」


「えぇ、そうでございます。」


「良かったよ。じゃ、早速ご飯食べに行こうか。僕もうお腹ペコペコだし。皆はもう会議室に集まってるの?」


「会議室じゃあなくて皆調理場にいるよ……。」


「調理場に? なんで? あそこ狭いじゃん。会議室ならイスもあるのに。」


 昨日会議室で草浦くんが滅多刺しにされて死んだからだよ……。誰もそんなところでご飯なんて食べれないよ……。


「ま、良いや。とにかく行こう。朝は食パンが良いな。道宮くん、バターってあったかい?」


「いや知らないよ……。自分で探しなよ……。」


「ちぇっ、なんだか冷たいなぁ。」


 本人的には小粋なジョークのつもりだったのだろうが、彼は調理場に着いた途端本物の冷たさを味わうことになった。


「おっはよー。皆、なんか今日は暗いね。元気出していこうよ!」


「すみません、私はもう朝食を済ませたので失礼します。行きましょう、藤田さん。」


「む! そうだな!」


「ぼ、僕ももうお腹いっぱいだし、一旦自室に戻ろうかなーなんて……。」


 そうして3人はそそくさと出て行ってしまった。


「うーん、タイミングが悪かったかな。もうちょっと早起きしてれば皆と仲良くお話できたのに。」


 多分もうちょっと早起きしてもそれは無理だと思うよ。


「ま、いっか。仕方ないから僕らだけで……。」


「私は遠慮しておくわ。」


「私も腰が痛いので部屋に戻りますかな。」


 気づいたら2人きりになってしまっていた。


「なんだか僕避けられてる?」


 そうだよ。


「おかしいなぁ。僕何かしたかなぁ?」


 自覚ないんだ……。まぁあったらそれはそれで怖いけど。


「じゃ、僕もやらなきゃいけないことあるからもう行くね。」


「えっ、ちょ、1人は寂しいよ。」


 後から久留宮くんも来るよ。多分。


「おぉーい、道宮くーん。待ってってばー。」


 調理場を後にした僕は早速自室へと戻った。だけどやることがない。ずっと部屋に籠っているのも退屈だ。自室でしばらく過ごした後、僕は暇を潰すために図書室へと向かうことにした。


 メインホールを歩いていると、図書室の方から声が聞こえてきた。唐雲さんの声だ。図書室の扉の前まで来ると、その声が歌であることが分かった。だけど僕はその歌を聞いたことがなかった。だけどなんとなく賛美歌っぽいなと思った。神に救いを求める歌詞だったからだ。こんな状況で、いやこんな状況だからこそ、彼女は神に救いを求めているのかもしれない。次に目覚めれば外部から助けが来て、皆助かって元の日常に戻れる。そんな劇的な展開を望んでいるんだ。


 僕は図書室へ入れなかった。今は唐雲さんを1人にしておいた方が良いと思った。僕は彼女のことを何にも知らないけど、彼女にも彼女の人生があるのだ。確か彼女は鉄道が好きだと言っていた。引っ込み思案だけど自分の意見は曲げない強さも持っている。だけどいざ人が死ぬ場面を目撃してしまうと、精神的なショックを受けてしまう。そうだ、彼女だって人間なんだ。訳の分からないゲームに参加させられて、命を奪われそうになっているただの人間なんだ。どうしようもなくなった時、1人で神に祈りを捧げて救いを求めるようなただの人間なんだ。どうしてそんな人が、誰かの都合で命を奪われなければならないんだ。


 僕はその場を後にした。唐雲さんとは後できっと話そうと思った。当たり前だけど、GMに誰かの命を奪う権利なんかない。でも人狼ゲームというゲームの性質上、誰かが死ななければゲームは終わらない。やっぱり僕らは脱出を目指すべきだ。人狼ゲームのルールに縛られていてはダメなんだ。


「おや? 奇遇ですね、道宮様。」


 自室に戻ろうと身を翻した直後、ちょうど部屋から出てきた素数野さんと出会った。


「どうも。どうかしたんですか?」


「いえ、大したことではありません。部屋で寝ていても退屈ですので、少々散歩でもしようかと思いまして。」


「散歩ですか?」


「はい。ですが、こうして会ったのも何かの縁です。どうでしょう、紅茶でも飲みながらお話しませんか?」


「良いですよ。」


 素数野さんと話したいことがあった僕は了承し、2人で調理場へと向かった。


「素数野さんって紅茶飲むんですね。てっきり緑茶とかの方が好きなのかと。」


「どちらも嗜みますよ。何事も試してみなければ分からないですからね。」


 素数野さんは紅茶を僕のカップの中に注いだ。


「どうぞ。ここにあった紅茶はその種類しかありませんでしたので、お口に合うかは分かりませんが。」


 湯気の出ているカラメル色の液体を口に運ぶと、ウーロン茶のような味の中に何か新鮮な風味を感じられる。


「お味はどうですか?」


「う~ん、正直普通のお茶と何が違うのかさっぱり分からないです。」


 確かに味の違いはある気がする。だけど僕はこれを紅茶だと言われずに出されれば、紅茶だと分からないと思う。


「ふむ、私の腕もまだまだのようですね。精進するとしましょう。」


 もう1口飲んでみるも、やっぱり分からない。どうやら僕にはまだ紅茶は早かったようだ。


「しかし昨晩の道宮様には驚かされましたな。」


「えっ、何の話ですか?」


「議論の時の話でございます。とても場馴れしているように見受けられましたので、以前にもこのようなゲームに参加したことがあるのではないかと思いまして。」


 う~ん、鋭い。そんな感じには見えなかったと思うんだけどなぁ。端から見れば分かるものなのだろうか。


「まぁ、無理にお答えしなくても結構ですが、私としては非常に興味がございます。」


「興味が?」


「えぇ、興味です。私を羽田財閥の工業課長にまで押し上げたのは、好奇心でございますから。これだけは失ってはならないと常日頃から思っております。」


「羽田財閥って世界でも有数の財閥で、そこの工業課長って相当凄い役職ですよね。こう、学歴とか才能とかの方が大切なんじゃないんですか? 好奇心ってそんなに凄いものなんですかね?」


「ふむ。そうですね。好奇心は凄いものでございます。道宮様、私は何歳に見えますか?」


「う~ん、60歳くらいですかね?」


「今年で90です。」


「90!?」


「見た目が若々しいと良く言われます。私はこれを好奇心のおかげだと思っています。」


「その心は?」


「人は年を取ると新しいものに対して拒絶反応を示すようになります。しかし好奇心がその拒絶反応を打ち破った時、人は新しいものと触れ合って学習をするのです。老いとは、即ち衰退です。私のように常に新しいものと触れ合い、日々進歩している人間は衰退とは真反対の人間と言えるでしょう。人は学び続けている限り、どんなものにも打ち勝てるのです。例えそれが老いであってもね。」


 常に学び続けていればどんなものにも打ち勝てる、か。


「ですから私、知識に関しては非常に自信がございます。何しろ工業課長ですから、あらゆる物質とそれらの性質を理解しているつもりです。」


 優雅な手つきで自身のカップに注がれた紅茶に口を付ける素数野さん。なんだか深いことを言っているんだろうけどどういうことかさっぱり分からない。


「さて、それで話を戻しましょうか? 道宮様は以前にもこうしたゲームに参加したことが?」


 正直、僕は迷った。あんまりこういうことは言うべきじゃあないと思っているからだ。秘匿していても人間関係に支障はないはずだし。だけどここで答えたくないと言うのは、YESと言っていることと同義だ。嘘を吐くのも気が引ける。僕は迷った挙げ句、正直に答えた。


「はい。実はこのゲームに参加したのは2回目で。」


「それは……。ということは以前のゲームからは生還したということでしょうか。いったい、どのようにして?」


「人狼ゲームに勝ちました。脱出は、試したんですが無理でした。」


「ふむ。ということは道宮様、あなたは……。いえ、何でもありません。辛いことを思い出させてしまっていたら申し訳ありません。」


「いえ、大丈夫です。むしろ僕は素数野さんに謝らなくてはいけません。」


「私に謝る? それはどういう意味でしょうか?」


 僕は前回のリアル人狼ゲームで起こったことをかいつまんで話した。どのようにして脱出を図ったのか。その結果どうなったのか。そして、羽田財閥の跡取り、羽田中司くんの最期も、全て。


「僕は羽田くんを助けられなかった。」


 素数野さんは表情を次々に変化させながらも僕の話を黙って聞いていた。最終的には驚きを隠せない様子で、それでも極めて冷静に、彼は震える手でカップを掴んで紅茶を喉に流し込んだ。


「羽田中司様が失踪したという事実を知っている者は、ごく僅かです。道宮様には到底知りようがない。ですがそれを知っているということは……。」


 彼は再びカップを口元に運ぶ。カップにはもう紅茶が入っていないことに気づくと、それを元の位置に戻し、深く息を吐いた。


「羽田中司様の失踪により羽田財閥は今大きく傾いています。生きているのか、死んでいるのかすら分からない状況でしたから。」


「羽田くんは、外ではどういう扱いになっていんですか?」


「1週間ほどの海外旅行に向かい、そのまま消息不明でした。連絡がつかなくなった日から警察を動かして必死に捜索を行いましたが、一切痕跡すら見つからず、そのまま失踪扱いとなりました。」


「一切痕跡すら見つからず……。」


「この失踪がどこからか漏れ出てしまい、ライバル財閥にも知られてしまいました。跡取りがいない財閥など、衰退の道を辿るのみです。何より愛しい我が子を失った羽田財閥の当主様は酷く心を病み、羽田財閥の経営は一気に危機に陥りました。」


 新聞やニュースではそんな様子、全く聞かなかった。僕が生還してからも羽田財閥の活躍はちょくちょく聞いていたし、まさかそんなことになっていただなんて思いもよらなかった。


「道宮様、私はこのことを当主様にご報告しなくてはなりません。」


「良いんですか? 生きているかもしれないって希望を持たせてあげていた方が……。」


「それでは当主様を苦しめ続けるだけでございます。それは私の望むところではございません。私は必ずこの場から生き延びて帰り、このことをお伝えしなくてはなりません。」


 彼は空になったカップを持って立ち上がり、それをシンクの中に入れる。洗い物をするのかと思ったらそうではないようで、そのままスタスタとこちらに向かってくる。


「ですが、人狼ゲームのルールに則って生還するとなるとそれは大変難しいことでございます。ですので、私はこれから脱出を試みます。」


「脱出ですか?」


「はい。脱出です。例え無駄だと分かっていても、そうするより他ないのです。」


 その時の素数野さんの表情には、確かに焦りがあった。いや、思えばここに来た時からずっと、彼は焦っていたように見える。羽田財閥が大変なことになっている今、自分まで消えてしまってはならないと思っているのだろう。


「私はこれからどうにかしてあの赤い扉を開けられないか試してみます。」


「だったら僕も手伝います。」


 そうだ。僕だって脱出したくない訳じゃあない。ただ諦めていただけなんだ。前回のリアル人狼ゲームで心を折られ、脱出なんて無理だと思ってしまっていた。


「ありがとうございます。ですが、良いのですか? 脱出を試みればGMから危害を加えられる可能性も……。」


「いえ、それはありません。前回もGMは一貫して処刑以外で僕らに攻撃をしたりはしなかった。多分今回もそうです。それにもしそんなことをしてきたら、それこそ脱出に近づいている証拠じゃあないですか。」


 でもこれは希望的観測だ。GMがどんなことをしてくるかなんて想像のしようがない。そもそもアイツの考えていることが分からない。目的が分からないから、何が逆鱗に触れる行為なのかも分からない。でもこんなゲームを開催するヤツだし、きっとプライドだけは一丁前に高いんだろうなぁ。


「脱出するならまず他の部屋を調べてみませんか?」


「ほう、それはどうしてですか?」


「以前の人狼ゲームでは、明らかに出口と思われていた扉は偽の扉で、本物の出口は他の場所にあったんです。きっとあの扉も偽の扉ですよ。」


「ふむ。確かに脱出を阻止したいのであればそういうミスディレクションで時間を浪費させる手もあるでしょう。となるとどの部屋を調べたら良いのでしょうか?」


 確か、前回は扉が食堂にあったんだよな。だからあるとしたら調理場……いや、どちらかというと会議室か? いつも議論を行う場所に出口があると考えたら辻褄が合う。


「会議室を調べてみましょう。」


「なるほど、分かりました。しかし会議室であれば2人で調べるほど広くはありませんね。道宮様は私が会議室を調べている間、他の場所を調べていただけますか?」


「じゃあ僕はパソコン室を調べます。終わったらそちらに向かいますね。」


「分かりました。」


 どうやらすっかり話し込んでしまったようで、少しお腹が減ってきた。もうすぐお昼かな。


「ふむ。先に腹ごしらえをしてから向かうとしましょうか。こう見えて料理は得意なのでお任せください。」


 こうして僕はお昼ご飯を素数野さんと食べて、そのままパソコン室へ向かうこととなった。この時まさかあんな事件が起こっていたなんて、僕は想像もしていなかった。もしお昼ご飯を食べる前に先に調査を始めていたら防げたかもしれない、悲惨な事件。パソコン室に向かった僕はその惨劇を目の当たりにして、ただただ後悔をすることしか出来なかった。

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