第27話

 堺にお気に入りの饅頭屋があった。殺伐とした戦国の生活に一幅の涼を与えてくれた剽軽な老主人がいた。いつもにこやかで温かく、武士も町人も分け隔てなく相手をする。それは、織田軍の実力者たる官兵衛の前でも変わらない。官兵衛は、それを楽しむ懐の深さがあったし、主人もそれが分かっていて対処していた。

 あの主人もゾンビの餌食に遭ったのだろうか。

 朝靄に煙る町を眺めながら、官兵衛は一時の物思いに耽っていた。こういう時しか落ち着ける時間を持てない。

「かんぴょうえ~」

 あの男は、その時間さえも持たせてくれない。夜遅くまで働き、朝早くから動いている。迷惑な男だ。しかし、これ以上心強い武将もいない。

「かんぴょうえ、かんぴょうえ、かんぴょうえ~!」

 堺の町が眼下に広がる物見櫓は、官兵衛の命によって一晩で作り上げられた。

「かんぴょうえ、いつの間にこんなものを作ったんじゃ」

 朝からテンション高い声を聞くと、不快な思いがするものだが、この男は、そこも計算していて、朝は高音を抑え気味にしている。

「羽柴様のご希望通りに……」

「……にしては、手際が良過ぎるのではないか?」

 官兵衛に手を引かれた秀吉は、覗き込むように官兵衛の顔を見た。元々、背が低い事もあるが。

「皆も頑張りましたので」

 秀吉は、他者の才能に敏感だ。己に自信がある分、才能豊かな人物には、対抗意識を燃やす。今は、優秀な部下を必要とするが、行く行く戦の無い世になれば、敵意に変じざるを得ない性格をしている。

「そうか、そうか。祝着じゃな」

 秀吉は、見た目満足気に眼前に広がる堺の町を見渡した。

「ついでじゃ。町の塀に沿って、しこたま藁を用意してくれんか」

「は? とうとう焼き討ちですか?」

「まだ、命令は下って無いがな」

「手筈は整えてございます。周囲の村々に打診はしております」

 余りにも手際良過ぎる官兵衛だ。自分の考えを読まれているようで、気持ち良くは無い。しかし、秀吉は、そんな思いをお首にも見せない。

「官兵衛」

「は」

「そなた、南蛮に行きたいと思うか?」

 唐突な質問だった。

「機会があれば、異国の様子を見てみたいとは思いますが……」

「殿は、南蛮趣味が過ぎる。あの方は、南蛮も日の本も同じ世界だと思っておられる」

「それは、まあ、国が違えば色々ありますから」

「そうではない。わしは、よく分かっておる。この国でさえ、農民の世界と貴族の世界が如何に隔絶しておるか。公家共は、農民を人として見ておらぬ。ばかりか、そこらの犬猫と同じ感覚で接しておる。そこに、人間同士の交わりなんぞこれっぽっちもありゃせんわ」

「ゾンビを作った者も、我々を虫けら同様に見ていると?」

「南蛮では、征服した土地の人間は、ことごとく奴隷商人に売り飛ばされると聞く。もし、ゾンビの親玉がその気になれば、自らこの国を支配して好き放題に出来るな」

「そう簡単には行きますまい」

「それは、分からんぞ。ゾンビの親玉が殿を懐柔して、織田家に入るかもしれん」

「そして、行く行くは、織田を乗っ取ると?」

「その可能性が一番高いと思わぬか? 親玉もむざむざ全滅はしたくないだろう」

「では、今、殿は……」

「何事も即断即決な殿がここまで時間を掛けておるのじゃ。何かあると思わないか?」

「羽柴様。少々、お伺いしたい事が……」

「カカカ。かんぴょうえ、改まって言う事でもあるまい。当然、わしが思う事は柴田も丹羽も考えるじゃろう」

 柴田勝家と丹羽長秀。双方共、織田家累代の重臣である。

柴田は兵の統率力、攻撃精神が卓越していて、丹羽は、温和な性格で家臣団のまとめ役になっている。

ふたりは、織田家の要であり、信長の信頼も厚い。秀吉が出世する上で気を掛けていないといけない存在である。特に、能力主義の信長が連れて来る新しい家臣に厳しい柴田は、生まれの卑しい秀吉を毛嫌いしている。

 その為、秀吉は扱い易い丹羽との関係を重視している。

「柴田のじじいは、ゾンビなんぞ許せないだろうな。もし、殿がゾンビを取り込もうとしたら、織田家は大きく揺らぐかもしれん。どうじゃ? その時は、わしらにとってチャンスだと思わんか?」

 ゾンビがきっかけに織田家が分裂するかもしれない。その時、安定して来た近畿一円が再び業火に包まれてしまう。どこの陣営に属するかで将来が決まってしまう。

 官兵衛は、返事を躊躇した。ここで、言質を取られてしまえば、自分は秀吉派に組み込まれてしまう。秀吉が嫌いでは無いが、独立心の強い官兵衛は、誰の影響下にも入る積もりは無い。

「かんぴょうえ。いい加減、腹を決めんかのー」

 地盤も血縁も無い秀吉は、信用出来る部下に乏しい。実家の農家を継いでいた弟を引きずり出したり、同じ貧乏農家である親類の子供を預かったりして、陣営の形を整えようと必死だ。

 それでも、皆が優秀な人材であるとは限らない。秀吉が優れた武将と見るや手当り次第に口説き落とそうとしている、と陰口を叩かれるのは、その環境のせいでもある。

 官兵衛としては、確実に勝ち馬に乗りたい。秀吉が織田家中で一番勢いがあるのは否めないが、一番煙たがられている存在でもある。

 不安定な立ち位置の秀吉に賭けるか、実に難しい。

 正直、官兵衛は、明智光秀の方が分があると見ている。しかし、明智陣営に新顔が入り込んで、すぐに信用を得るのは難しいだろう。官兵衛は、謀を使う得体の知れない人間だという評価もある。

 やはり、ここは懐の深い秀吉が良いか……。

「今日も暑くなりそうじゃのー」

 秀吉は、官兵衛の逡巡を他所に堺の町に目を向けた。

「官兵衛」

 珍しく名前で呼んだ。

「殿は、難しいお方じゃ。だがわしなら、あのお方の元で生き延びる。これから、中国、四国、九州、果ては唐の国や南蛮に差し向けられようとも、わしならどこででも功を上げられる。そうは、思わんか?」

 朝日に映えるその背中は、大きく見えた。

「おひとつ伺います。そこに、ゾンビ軍団が存在している、という事はありませんか?」

「愚問じゃ」

 そうだろう。この人は、織田信長と違い、嫌と言う程現実を見る。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

戦国ゾンビ いちふじ @hakahaka

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ