第26話

「あいつの名前は、村井 来風きふうと言った」

 ふたりを起こさないように静かな声で言う。

「生駒の地侍の生まれで、詳しくは教えてくれなかったんだが、結構地盤の強い一族だったらしい。それが、去年筒井に攻め滅ぼされ、まだ幼い妹を連れて堺に逃れて来たんだ。

 妹は、四歳だったらしい。

 来風は、二十歳になったばかりだった。

 兄貴が家を継ぐ予定だったから、その助けになるように剣の道に進んだんだ。

生駒を離れ堺に来たのも、剣の仕事を探すには、大きな町に行った方が良いと思ったらしい。しかし、さすがに、そう簡単に仕事が見付からなかった。妹がいるから、ゆっくり探す余裕も無かった。仕方無く港の荷揚げの日雇いで何とか稼いでいたようだ。

 俺と会ったのは、ゾンビが現れて数日後の事だったな。

 まだ、町のあちこちで悲鳴が沸き起こっていた。その中で、あいつは、ひとりゾンビと戦っていたんだ。何故か、わざわざ道のど真ん中に立って、ゾンビ達を挑発するように声を出していた」

「声を?」

「そうだ。だから、俺は妙にあいつが気になってな」

「声を掛けたの?」

「別に、仲良くなろうと思った訳じゃ無かったがな。どういう気であんな事をしてたのか、聞いてみようと思っただけさ。だが、詳しく話を聞いてみると、それは悲劇的なものだった。

 あの南蛮船が来た時、妹は、木賃宿の女主人に世話をして貰っていた。

 ゾンビ達が船から下りた時、来風は急いで宿に戻ろうとしたが、町の混乱に巻き込まれてしまって、何とか戻れたのは二日後だった。

 その時、宿は既にゾンビで溢れていた。女主人もゾンビになって襲って来た。

 何とか、宿を一掃した時、あいつの目の前に現れたのが、妹の変わり果てた姿だった」

「それって、ゾンビになってたって事?」

「そうさ。大変なショックだったらしい。まあ、当然だな。その時、あいつは、妹を斬れなかった。取り敢えず、逃がしたらいけないから、捕まえると動けないように縛って、数日そばに置いていたらしい。だが、妹が元に戻る様子は無い。毎日、大切な妹の獰猛な姿を目の前にして、どういう気分だったんだろうな。

 いよいよ、耐えられなくなったあいつは、最後に妹の縄を切って、自分を襲わせようとしたらしい。ゾンビの妹に自分を噛ませるか、それとも自分の手で妹の命を奪うか。最後の最後は、究極の選択に身を委ねたって訳だ」

「それで、妹を殺したの?」

「いよいよ、妹の手が自分の首に届くという時に、刀を抜いた」

「……」

「一晩中、妹の死体を前に茫然としていた来風は、妹の命を奪ったゾンビに怒りが止まらなくなり、それからひとり残らず斬り倒そうと決心したらしい。

 俺が出会ったのは、そんな自暴自棄になっている時だった。

 他人の事には、口を出さない俺だったが、さすがに状況が状況だっただけに、そんな無意味な事は止めさせたかった。ゾンビなんておかしなもんを目にしたせいかもしれないな。とうに捨てちまっていた筈の同情心が戻って来たんだな。

『気持ちは分かるが、妹さんはそんな兄貴の姿を見たいとは思っていない筈だぜ。自分の分まで生き延びて欲しいって思っているさ』

『私が妹の首を刎ねたんです。生きる権利なんてありません』

『そんな事無いぞ。本当にお前が妹の後を追おうと思っていたのなら、妹の首を斬るなんてしないだろ? そのまま妹に食われていたんじゃないか? でも、お前は妹の最期を自分の手で下したんだ。その決断を最優先に考えないといけない。お前は、生きる道を選んだんだ。大切な妹とそれを約束したんだ。生き抜く事を選択したんだ』」

「意外と良い事言うじゃない」

「茶化すな」

「それで、どうなったんですか?」

 いつの間にか、宗次郎と小夜も目を開けて留三を見ていた。

「何だ。聞いていたのか。起こして済まなかったな」

「いいえ。それよりも先が聞きたいです」

 小夜も前のめりに参加している。

「気風も考えを改めてくれた。兎に角、ふたりで町を脱出しようという事になった。その時は、ゾンビ達も町だけで無く、町の外に出て大騒ぎを起こしていた。都合良く中国攻めの準備をしていた羽柴の軍勢が一番対応出来たんだろう。それに、こういう状況下は、羽柴が適任だと信長も思ったのかもしれないな。でも、一番効率の良い手段だとは思うが、あんな事が出来るのも秀吉という人間だからだろうな」

「どういう事ですか?」

 時雨が留三に変わって言った。

「怪しい者は手当り次第に命を奪え。それが、秀吉の命令だったの」

「それって、皆殺しという事ですか?」

 宗次郎の言葉に、小夜は身を固めた。

「俺は、町から見ていただけだったがな。容赦の無い殺戮が行われたのは間違い無い」

「羽柴の兵士達も混乱していたわ。誰がゾンビなのか、ぞうでないのか、分からないからね」

 その時の状況を知る時雨が捕捉する。

「それじゃあ、留三さんと来風さんは、町を出られなかったんですか?」

「ああ、あんな騒ぎの中逃げ出しても、羽柴の兵に殺されかねないからな。様子を見る為にしばらく町に留まる事にしたんだ。

 来風は、強かった。食べ物を探しに町を移動していた時にゾンビと出くわすと、あいつは音も立てずにひと振りで斬り倒してくれた。俺もすっかり安心して、あいつには気安く話をするようになっていた。だから、つい船の話をしたんだ」

「南蛮船ね」

「話をした途端、あいつの表情が変わったのを見逃さなかった。俺は、その時しまったと思ったよ。ゾンビは数が多過ぎるから全部を倒すのは難しいと説得したのに、そのゾンビを生みだした親玉がいるかもしれないんだ。妹の仇は、間違い無くその人間になる。何百人のゾンビよりも、ひとりの目標。どっちが容易いかは分かるだろ? それに、元凶を片付ければ、これ以上ゾンビが増える事も無くなる。町は羽柴の兵でがっちり固められているからな。

 俺は、慌てて話題を変えてあいつの気を逸らそうとしたよ。まあ、恐らく全然逸らせてなかっただろうな。

『そうだ。町を出た後の事を考えよう。お前はどこに行く積もりだ?』

『どこと言われましても……』

 今まで、妹の為に生きていたんだ。困るのも無理は無かった。だから、それだけに妹の仇を討つ方を選択し易かったのかもしれない。

 ますます焦った俺は、とうとう最後の墓穴を掘ってしまった。

 ある日、食料を探している時だった。

『お、この屋敷はゾンビに入り込まれてないな。ひょっとしたら、お宝が残っているかもしれないぜ。ちょっと覗いて行こうぜ』

 軽い気持ちで言ったんだが、顔も見ていないのに、一瞬で来風の俺を見る目が変わった事に気付いたんだ。

『留三さん。もしかして、泥棒ですか?』

 そりゃ、変にこの町を知り尽くしていたから、不思議に思っていたのかもしれないな。

『あー、えと、そうだなー。そうかもしれないな』

 俺も、いつものように適当に嘘をつけば良かったのかもしれないが、あいつが正直者で良い奴だったから、躊躇してしまった。

『留三さん。あなたのご厚意には大変感謝しております。ですが、私は、人には迷惑を掛けない生き方をするように心掛けています。私は、裏切りや謀略の中で育ちました。昨日まで親しかった知人を殺し、子供が親を殺し、大切な娘の気持ちも無視して、品物のように送り合う世界に嫌気が刺したんです。

 私は、思ったんです。例え、自分の為とは言え、人を苦しめるのは許される事なのでしょうか。生まれてから死ぬまで、自分の心を傷付けてまで他者を追い落とす生き方に正義はあるのでしょうか。

 もう、私は、そんな生活が嫌で仕方無かったのです。貧しい生活をするかもしれないけど、この身ひとつあれば、何とか妹と慎ましく生きていけるだろう。妹にもあんな苦しみを味合わせないようにしようと。

 だから、済みません。あなたにはあなたの事情があるでしょう。あなたの生き方を否定する積もりはありません。ですが、そういう人との付き合いは、自分自身が許さないのです』

 優しい口調だったが、そこには断固とした意志が含まれていた。

 何も反論が出来無かった。

『それで、これからどうする積もりだ?』

『私は……、私が生き残った理由は、他にあると気付いたんです』

 妹がゾンビにならなければいけなかった理由、それが、あいつの生きる力になっていたんだ。その謎を明らかにした時、やっとあいつは次に進んで行ける。協力しようかと思ったが、あいつは俺の力なんて借りたくないだろう。

 俺は、黙ってあいつを見送るしかなかった」

 留三が、どうして自分の事を宗次郎に話したがらなかったのか。時雨は、納得がいった。

「あんたが宗次郎に協力したのは、その彼の事があったのね」

「来風がどうなったのか気になっていた。恐らく、そういう事だろうとは思っていたんだがな……」

「残念な再会だった訳ね」

「うるさい。もう、お終いだ。寝るぞ」

 嫌な事を思い出してしまった。来風の背中を送り出すしかなかったあの時の苛立ちが自分を責める。

 留三は、時雨に背を向けた。板張りの床がいつも以上に肩に痛い。

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