神の不在証明
ザイカハルはエルフ族の美術品ディーラーで、この道八百年のベテランである。自分こそがドンの幻の最後の作品を見つけてみせる。それが、いかにエルフ族といえども既に老い先短い彼の、最後の念願となった。なお、かつて七百五十年ほど昔、ドンそのひとから銀貨一枚で『神の不在証明』を買い取った画商こそ、若き日のザイカハルそのひとなのであったが、彼はその事実について、先に結末を書いてしまえば、死ぬまで気が付くことはなかった。
ザイカハルは考える。ドンの最後の作品、『神の不在証明』について分かっていることは、それがドンの作品であるということと、『神の不在証明』と題された作品だった、ということだけである。
題名からすると彼が得意とした宗教絵画であったと推測するのが妥当と思われるが、そんなことは誰にでも分かるし、ほとんど何の手掛かりにもならない。次に重要な事実は、その絵は描かれたにも関わらず、何らかの理由で現存しないか、現存しているとしても「それがドンの絵であるとは分からない状態になって、どこかに死蔵されているに違いない」ということである。
現存しない可能性は十分にあった。絵画は物体であるので、簡単に亡失し得る。しかし、その可能性については考えてみても意味がない。現存するとしたら、その絵はどういう状態にあるか? 可能性はそんなに多くはなかった。どこかの画廊に美品の状態で飾ってあるのなら、誰かしらがドンの真作だと気が付くに決まっている。つまり、その絵はスリーパーになっているのだ。スリーパーというのは、美術界の用語で、表面のニスの汚濁化などによって絵の価値が分からなくなり、「汚くて古い絵」として扱われている、そういう状態のもののことを言う。
スリーパーは、しかし必ずしも安いわけではない。もとの絵が何だったかにもよるが、下手に綺麗なだけの安物の絵より、雰囲気が出るからという理由で好まれたりもする。
そういうわけでザイカハルは、ドンの時代の絵画のスリーパーらしき絵がオークションなどに現れると、すかさず飛んで行っては調査をするようになった。しかし、彼の優れた審美眼を潜り抜け、ドンの真作である可能性を少しでも匂わせるようなものは、なかなか見つからなかった。ようやく、これは、と思う作品に出会ったとき、『神の不在証明』の騒動が始まってから既に五年が経過していた。
その絵は、かつて何百年も前に修道院だった建物の、それも焼け落ちた廃倉庫から発見されたという触れ込みで、ほとんど元の絵が何だったのか判別することもできないような状態だった。だが、少なくとも使われている額縁はドンの時代のものと見て疑いなかった。
「これだ」
とザイカハルは思った。
「これこそが、私の追い求めたドンの最後の作品なのだ」
と。
そうして、彼は復元作業を専門家に依頼し、その作業を見守った。表面の煤けたニスがはがれ、美しい絵の具の層が明らかになっていく。しかし、修復師が言った。
「おかしいですね。ニスの下の絵の具が、すぐに剥がれてしまいますよ」
「なんだって」
「多分……これ以上は、無理だと思います。無駄ですよ」
ザイカハルは復元技師からへらを奪い取り、その『絵』の表面を削ってみた。キャンバスは確かに古かったが、古いキャンバスの上に絵を描き、その上を煤で汚しただけのものであることがそれで分かった。
ザイカハルは強くうなだれ、がっくりと首を落とした。
もしも、ザイカハルとその修復師が、薄く塗られた薄っぺらな嘘の絵の具を、最後まで剥がしていたら、その下にこう、サインが記されていたことに気が付いたことであろう。
「お買い上げありがとうございました 贋作師シャッチモーニ」
薄っぺらな嘘 きょうじゅ @Fake_Proffesor
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